麻雀放浪記
真田広之 鹿賀丈史 加藤健一 名古屋章 高品格 加賀まりこ 大竹しのぶ 他出演
和田誠監督作品
はっきり言って、昭和の大傑作のひとつだと断言したい
日本映画の面白さと切なさ、そして、その美しさがみっちり凝縮されております
1984年公開とある
原作は「雀聖」阿佐田哲也氏による小説
以下はYahoo! 映画のあらすじ・解説
> 阿佐田哲也の同名ベストセラーを基に、イラストレーターの和田誠が映画化し監督デビューを飾った作品。戦後の東京を舞台に、麻雀に打ち込む若者が、様々な勝負師との出会いを通して成長していく姿を描く。敗戦直後の上野。青年・哲は、ある日、以前バクチを教えてくれた上州虎と偶然会う。虎に連れられチンチロ部落に足を踏み入れた哲は、なけなしの金でプロのバクチ打ちであるドサ健の張りにノッた。おかげで相当勝ったが、その大半をコーチ料としてドサ健にとられてしまう……。
あのですね
僕の趣味のひとつ、それは麻雀であります
以前にもブログで触れたことありますが…
麻雀とは「人生の縮図」といいますか
麻雀とは「宇宙の縮図」といいますか
麻雀とは…
ズバリ
その打ち手の「生き様」そのもの
…なのであります
あのですね、決して大袈裟ではございません
出ます、その打ち手の「性格」「考え方」「本質」が出るのです
あまりに如実に出すぎて、誠にえぐい…ほどであります
走りたがる者、立ち止まる者、進まない者、無鉄砲な者、石橋を叩く者、罠をはる者、ツイてる者、ツカない者、忍耐のある者、ない者、我慢の効く者、効かない者…
その麻雀牌1枚の後先…
待ち選択、切り時、手仕舞い…
そのひとつひとつが、打ち手の「本質」を暴いてしまうのであります
嘘じゃありません
まさに、残酷にして恐ろしいほどであります
「博打」
…の持つ圧倒的すぎる明暗、その暗黒と不条理、その歓喜と虚無
あのね
麻雀には必勝法はないのよ
どうしても必勝はないのよ
経験と鍛錬を積むことで、敗北率を下げることはできても、しかし、勝ち続けることはできない
それはご存知の通り、賽の目や配牌という不可抗力たる「運命の支配下」にあることが大前提の遊戯であるからだ
つまり、絶対はない
ツキさえ掴めば、いとも簡単に素人がプロを粉砕してしまうが麻雀よ
しかし、しかし…である
が、100戦やれば、間違いなくプロが素人を圧倒する
いうなれば…
運気の収束や循環作用を知ったるがプロといいますか…
あるいは
流れの突き崩し、ずらしを操り、「運気と確率の波」に乗れるのが熟練者であり、プロと呼ばれる達人であるかと…
そういう「麻雀」という究極的にアナログにして、しかし、科学的なる摩訶不思議、「博打」「ギャンブル」の面白さが凝縮された映画が、この「麻雀放浪記」なのであります
また、「イカサマ」や「ワザ」も多用されるわけでありますが、しかし、究極的には「人間力」が最後にモノを言う世界として描かれるわけです
いやぁ
わかるかなぁ⁇
やらない方にはわからないと思う
この奥行き、いや、「深淵」は死ぬほど取り憑かれないとわからないかも知れないなぁ
つまり、「夢の中でさえ麻雀を打つ」ほど好きになれれば…
さて
バブル経済の只中たる1984年に作られたこのモノクローム映画の面白さは破格であります
戦後の混乱と世相の必死と金への執着の凄まじさ
さらに
仁義と裏切り、そして、無慈悲…の泥沼たるや、まさに、「昭和」という時代の面白さと魅力が詰まっている
さらに
人肌が恋しくなるほどの恋愛模様がまた、なんとも実に切ない…のである
さて
僕は1週間のうち、その半分は麻雀牌に触れないと気がすまないタチである
僕は関東式、つまり東南戦四人打ちのオーソドックスが好み、で半荘一回約40分から50分として、2日に1回、半荘2回…を自身に課してます
…えっ⁇
時間割き過ぎ⁇
んんん
白状しよう
たぶん、僕は病気なのである
仕事なんかが忙しくて、麻雀する時間がない時なぞは不安になってしまうほどなのである
「あぁ、麻雀勘が鈍る、鍛えなくちゃ運気が逃げる」
…だなどと、ブツクサ独り言をぼやいてしまうほどの
つまりは「狂人」なのである
さて、競馬やパチンコも楽しかろう
が
僕は麻雀が1番好きなのである
それは自身の「生きかた」を自覚しながら、未来を「選択」しつづける感覚をひしひしと味わえるからである
牌をひとつ、切れるか否か…のヒリヒリ
これを味わい尽くさずして、なにが人生か…⁇
だなどと考えて、止まるな、踏み出せっ‼︎
と胸の内で叫び、ついつい打ち込んでしまうのである
つまり、よく負けるわけだ
が、いい負け方…もあるのである
いわゆる
「悔いの残らない選択」
こそ、至上…ということよ
御愛読感謝