アフダマリエフ「井上尚弥とは戦う運命にある」に武者震いする | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

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アフマダリエフ 井上尚弥との対戦熱望「彼とは戦う運命にある」…WBA&IBF統一王者に単独インタビュー スポーツ報知


井上尚弥との対戦を熱望するムロジョン・アフマダリエフ(カメラ・宮田有理子通信員)

>  プロボクシングWBAスーパー、IBF世界スーパーバンタム級統一王者のムロジョン・アフマダリエフ(28)=ウズベキスタン=が28日までに、スポーツ報知のインタビューに応じた。前4団体世界バンタム級統一王者・井上尚弥(29)=大橋=の参戦で注目が高まるスーパーバンタム級で君臨する名手は、井上への憧れを口にしつつ、“モンスター討ち”で階級最強を証明する目標を明かした。(取材=米ロサンゼルス・宮田有理子通信員)

 ―井上がスーパーバンタム級に転級するのをどう感じたか。

 「実は以前から井上と戦いたいと思っていた。私がバンタム級に落とし、スーパーバンタム級の王座も懸けてチャンピオン同士の戦いができればとも考えていた」

 ―そうだったのですね。

 「井上は今、最もエキサイティングなボクサーであり、彼が成し遂げてきた事、リング内外のふるまいにも憧れている。私は両親から他者を敬うよう育てられた。きっと井上もそうだろう。真の紳士だ。ボクシングは互いの敬意が不可欠で、彼のような人と戦いたいんだ」 

 ―井上に勝つ自信は?

 「彼が素晴らしい選手であることは誰の目にも明らか。井上が新たな階級でスティーブン・フルトン(WBC&WBO王者)という難しい相手と戦おうとしている点は興味深い。対戦相手の誰にとっても井上は脅威であり、ものすごく高い壁で、それは私にとっても同じだ」

 ―確かにそうです。 

 「でも彼がどんな相手にも勝つと信じて試合に臨むのと同じように、私もリングに上がる。井上に勝つのは最大のチャレンジだからこそ、戦う意味がある。私が2つのベルトを持ち、この階級に井上が来るというのは、彼と戦う運命にあるのだと言われているような気がしている。その試合を実現させるためにも、まずは私もしっかりとベルトを守らなければならない」

 ―試合が決まっていない時期は母国で過ごしているのか?

 「基本的にはウズベキスタンだが、一年の半分以上は練習で米国にいる。両親たちは今も、私が生まれ育ったナマンガンの街に暮らし、妻の住まいは首都のタシケントにある。私は2021年12月に結婚した。“ベイビーMJ”は、これからだけどね」

 ―どのようにしてボクシングを始めたのか?

 「小さい時は公園でサッカーばかりしていた。私のあだ名はブラジル代表のカカから来ているんだ。9歳の時、サッカー仲間の1人が全然来なくなり、聞いてみたらボクシングを始めたと。それで一度、一緒にジムについて行ったら僕がハマってしまった。その友人は数か月ほどでやめてしまった。よくある話だよね」 

 ―幼い頃の交通事故の話を聞かせて下さい。

 「新しいリングシューズを買うお金が必要で、働いていた時のことでした。写真を届ける仕事していて、僕は自転車を買えず、走って届けていたんだ。事故の日も誰よりも早く写真を届けたくて走っていたら、車にひかれてしまった。足の骨が4か所飛び出るほどの重傷で、ドリルで穴を空ける手術をして、金属のギプスをつけました。医師には『二度と普通には歩けない。つえが必要になる』と言われましたが、私はとても頑固者。事故から2年後にはアジアのトーナメントで優勝していたよ」

 ―回復まではどれほど大変な道のりだったのですか。

 「けがをした当時、既にボクシングで成功できると考えていたので、もう二度とできない、と言われたのは大変ショックだった。8か月は車いす生活だったが、立ち上がることができると、その時点でジムに戻り、トレーニングを始めた。この時にフットワークを使わずに強く打つ練習をしていたことが、私がハードパンチャーとなった原点だ。復帰後に出たトーナメントから、ストップ勝ちが目に見えて増えた。不可能と言われても諦めず、怪我から競技に復帰できた経験によって、どんな困難にも打ち勝つ自信を得た。それが私のボクサーとしての最大の強みだ」

 ―2015年世界選手権銀メダル、16年リオ五輪銅メダル獲得へとつながっていくわけですね。

 「けがの経験もそれらのメダルもすべてあってこその、今の私です」

 ―プロ転向し、ロシアのプロモート大手「ワールド・オブ・ボクシング」と契約した。

 「米国を拠点とすることは、私の人生においてとても重要な決断だった。そして、ありがたいことにとてもうまくいった。どれだけ才能があっても、しかるべき人に見出され、プロモートされなければ、成功するのは難しい。私がこれほどの早さで統一王者になれたのは、このチームのおかげに他ならない。全ての人に感謝している。世界王者になって、ウズベキスタンの大統領や重要な人々とも会えた。ボクシングによって人生は変わった」

 ―2018年に米国でデビューした時の気持ちを覚えていますか?


 「試合内容は覚えてないが、とても楽しく幸せだったことだけは覚えている。すべてがトントン拍子で、夢のようだった」

 ―トレーナーのジョエル・ディアス、アントニオ・ディアスに師事し始めたのはいつか?

 「デビューを前にいろんなトレーナーのもとで練習をしたけど、ジョエルとアントニオを選び、一緒に戦ってこられたのは大正解だった。2人は個々に得意分野があり、チーフトレーナーは私のボクシングにより合っているアントニオの方だ。彼らは私の恩師であり、家族でもある。私はこのチームの家族的な温かさが大好きだ」

 ―あなたは評価の高いダニエル・ローマンから2団体王座を奪い、母国での凱旋試合では岩佐亮佑を破った。日本のファンはあなたの強さを知っている。

 「ローマンとの戦いは最も難しい戦いだったし、岩佐も警戒すべき相手だった。岩佐がタパレスを倒した試合(2019年のIBF世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦)を観たからね。劣勢でも粘り強くじわじわと相手を崩していく“サムライ”だった。私は彼にTKOで勝ったが、ストップは少し早かった。彼の闘志は消えていなかったと思う」

 ―自分の長所は?

 「私の仕事は、強い相手一人一人とリング上で向き合い、自分の持てる全ての力を使い、乗り越えていくこと。長所を強いて言うなら、IQかな? 私よりも速い相手、パワフルな相手に対し、リングの上で、より賢くあることに努めている」

 ―今後の目標は?

 「ベルトを守り続ける先に階級の全タイトルを手に入れて、誰もが世界一強いと認めるチャンピオンになることだ」

 ―井上との試合が実現すれば、日本開催になる可能性もある。

 「アマチュア時代も含め、一度も日本に行ったことはない。写真や映画などで見て、日本がとても美しい国であると想像しているし、行ってみたい。ただ、試合の開催地はプロモーター次第。最も行う意義のある場所で行われると思う。ボクシングは国際的なスポーツです。日本に行けば、井上のファンが多いのは当然だが、戦いを通して、彼らが私のファンにもなってくれればいいなと思う。日本の皆さん、おそらく、そう遠くない将来にお会いしましょう」

 〇…アフマダリエフは4月8日(日本時間9日)に米テキサス州サンアントニオで、元WBO世界バンタム級王者でIBF世界スーパーバンタム級1位のマーロン・タパレス(30)=フィリピン=と4度目の防衛戦を行う。現在はカリフォルニア州インディオで合宿中で「準備は計画通り進んでいる」と闘志十分。昨年6月の防衛戦で利き手の左を7か所骨折し、回復に約半年を要したという。「もう問題ない」と語り、拳の保護に優れる日本製のグラブを用い、練習に励んでいる。

 ◆ムロジョン・アフマダリエフ 1994年11月2日、ウズベキスタン・ナマンガン生まれ。28歳。9歳でボクシングを始める。2015年世界選手権バンタム級銀メダル。16年リオ五輪銅メダル。18年3月にプロデビュー。20年1月に8戦目でWBA・IBF世界スーパーバンタム級王者ダニエル・ローマン(米国)を判定で破り、2冠を奪取(現在3度防衛中)。11戦全勝(8KO)。身長166センチの左ボクサーファイター。愛称は「MJ」。


…なんか活字からの印象では

MJって、かなりの好青年って感じしますなぁ

いつかのMJ×岩佐亮佑貼る
さらに

MJ×ダニエル・ローマン貼る
ダニエル・ローマンってさ、メチャクチャ強いチャンピオンだったんよなぁ

MJはサウスポーの超攻撃型ね

モンスターとは噛み合う…と思うなぁ

となると

どっちかがぶっ倒れて決着する…と思う

僕は遠距離ボクサー型のフルトンより、近接辞さないファイターMJの方が怖いなぁ…と妄想しちょる

性格もなかなか…のようだな

しかし

井上尚弥選手に最大のリスペクトを払い、さらに、自身がバンタム級に落としてでも対戦したかった、とは

にゃるへそ

やはり

デンジャーマンよのう

ムロジョン・アフダマリエフよ

果たして、モンスター×MJによる4団体王座統一戦は実現するのか⁇

してほしいなぁ〜

^_^

御愛読感謝