[もう一度観たい映画] 「ブレードランナー」が浮かぶ | ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

ボクシング&ロック野郎 higege91の夜明けはまだか?

人生の曲がり角に遭遇したボクシング&ロック・マニアhigege91。暇を見つけてはホール通い。ああ、俺は戦っているか!? ああ、俺は俺の求める『俺』に近づいているのか!?

昔、なんかの映画か小説で聴いたセリフにこんなのがあった…


「人は満月を見ても、それはまだまだ何度でも見られる、と感じてその美しさを顧みないが、実は何度でも見られるわけではない」


…的な感じだったかな


ほら、人はついつい「いつでも、何度でも」って思いがちだけど、実は人生には限りがあるし、いつ何時終焉が待ってるかわからん…と


つまり、「いつでも、何度でも」と言う永遠っぽい感覚とは実は「幻想」に過ぎない、と


想像して欲しい


みなさま、それぞれ何年生きてこられたか分かりませんが…


あなたは、今まで幾度、全く欠けていない綺麗な満月を眺めたことがありますか…⁇


たぶん…


よっぽど宇宙や星座なんかに興味がある方以外は、恐らく両手で収まってしまう回数しか、じっくりと完璧な満月なんて見上げたことはないのではないか…⁇ と思うわけです


ちょっとぞくっとしませんか…⁇


我々は永遠なんて持ち合わせていないにもかかわらず、それを見て見ぬふりをしているわけです


満月なんてこの先何度でも見られる…なんて、幻想に過ぎない


人生は一度きり…なんて言い方もあるけど、実はそんなのは間違った甘い認識であると…


生ぬるい


すなわち、全然、足りない


やはり、戦国時代の茶の湯の境地じゃありませんが、「今一時」という刹那をいかに切実に抱けるか…というか


いつ最後が訪れるかわからん乱世に、一服のお茶を味わう


命懸けで入れていただいたお茶を、文字通り命懸けで味わう覚悟を以ていただく…


「今一時」を、全身全霊で感じ、全身全霊にて受け止め、全身全霊を以て研ぎ澄ます…


文豪・井上靖さんの小説、千利休〜本覚坊遺文〜の一節に確か…


『無ではなくならんが、死ではなくなる…』


と、あったような…


僕の頭にずーっと染み込み続けてる台詞…


無と死とは、似て非なるもの…


無では自我は存在し得ないが、死ならば選べる、そこに「我」は確かに存在し得る…


と、僕はそんなふうに解釈したんだけど…


そうだ、熊井啓監督の映画化作品で聴いた台詞だったか



これは大好きな映画なんです


秀吉に切腹を命じられてしまう千利休を晩年の三船敏郎さんが演じて、そのお弟子の本覚坊を奥田瑛二さんが演じてる


僕はふいにこの映画からいただいた「今一時」の感覚を思い起こしては自らを鼓舞しようと躍起になるわけであります

「今一時」を生きるってのは、可能な限り、自分を「奮い立たせる」ってことかなぁ、と


そこで…


あ〜


いつ死んでしまうかわからんのがこの人生…って考えたら、いつか観たあの映画たちをもう一度観たい…と考えるようになりまして


僕の人生感を豊かにしてくれた、僕の生き方、考え方に衝撃を与えてくれたあの映画たち…


また、今、見直したら、新しい発見もあるはずに違いない、との確信もある


ってことで、「もう一度観たい映画」というシリーズで、たまに書きたい、と思います


ま、そうは言っても気楽に…ね


気ままに、ふっと、なんか浮かんだ時にね


常に生死の際にあった戦国武将の境地のように生きるのは無理だから、ふわっと行きます


^ - ^


…で、一発目は


映画大好きな人は、たぶん、みんな大好き…なはず





「ブレードランナー」


リドリー・スコット監督


1982年公開の、ハリソン・フォード主演の大傑作SF映画


…の、メイン・テーマに乗せて、愛情表現にまつわる場面を散りばめていただいた映像を見つけたので貼らせていただく




あ〜


ええわぁ


本当に凄い映画だわ、改めてさ


まさに現代を見越した驚嘆の想像性と映像美、そして、デジタルとAI時代の危機感と欺瞞と暗部を先見していた、と…



また、観たくなった


う〜ん


ショーン・ヤングの美貌も破格、ルドガー・ハウアーの悲哀もまた格別…


観るか、久々に観るかなぁ


(^^;;


さて、映画「ブレードランナー」は、そういう「人生の刹那」の尊さと素晴らしさ、そして、儚さ…が見事に表現されてますな


レプリカントと呼ばれる人造人間が心を持ち、愛という概念を得て、精一杯生きたい…と願う


しかし、彼らを造った企業はそれを許さない


不利益なる、忌み嫌う危険な存在…として扱われる


そして、レプリカントたちは、みな、スローモーションの中で壊れてゆく…


つまり、殺される


我々は観客は、人間ではない機械人間であるレプリカントの純粋なる、「ただ、生きたいという希求」を通じて「生きること」とは何か⁇ という普遍的なる哲学的命題と向き合うことを余儀なくされるのだ


これぞ、エンタテインメントと芸術性が見事に融合した傑作である、と僕は感じる


監督のリドリー・スコットはレプリカントたちへの同情と憐れみを以て、その壊される様を敢えてスローモーションで描く…


その意味に落雷に撃たれたように気づいたのは、雨に打たれながら死んでゆくルドガー・ハウアーとその両手の中の鳩の描写だったような…


無垢なる鳩と、純粋なるレプリカントの死…


そして、羽ばたく鳩、そのスローモーション…


おおっ


これぞ、まさに、映画表現の極み…かと



あぁ、これだったなぁ…


ただ、生きたい、ただ、感じたい…


が、その生命の電池は無慈悲にも尽きる


ぐぐぐ…


泣けるのう


ええ映画さのう


「今一時」…を味わい直す


僕はディレクターズカット版を若い時に映画館で観たけど、ディレクターズカット版の方が意味深だったかなぁ…


ハリソン・フォード演じるデッカードもまた、実は…的な


さて


…というわけで、たまに「もう一度観たい映画」シリーズも書くと思う


御愛読感謝