ええ、仕事はもちろんしてます。
…が、交渉先の先方との時間調整が発生、で、最近再読していた沢木耕太郎氏の『一瞬の夏』を読み終えた。お昼ごはんにマクドナルドを食べて胸焼けしてるが、桜は満開だ。
日差しは暖かいが風は冷たいか。
どうでもいいが、僕は「カシアス内藤」を観たことがない。
痛い。
このノンフィクションはライターである沢木氏の主観で語られる、3年ぶりにリングに上がろうとする元日本・東洋太平洋王者?のボクサー、カシアス内藤との物語で、ド素人…にあたるノンフィクションライター・沢木氏が韓国の東洋太平洋王者と内藤を闘わせようと奮闘(マッチメークする)しながら、また、カシアス内藤というボクサーの生き様を描くものである。
読んだことの無い人がいたら「もったいない」ので、これ以上、内容は書かない。
チャンピオンだけが『到達点』あるいは『終点』、『理想の場所』ではない…、それはわかってる。
しかし、拳闘という「命懸け」の勝負を続けるボクサーにとって、タイトル(世界、東洋太平洋、日本)…と言うものを獲得できたかどうかでその後の人生が変わってくるのは必然であると思うが、いわゆる『ベルト』をつかめなかったボクサーたちは、肩書きの無い、ただの元ボクサーとなってしまう…。
ボクシングマニアの記憶の中だけで生きる…わけだが、これはこれで美しいが、それは誰かの記憶の中にとどまる性質があり、その誰かが死んだ瞬間、記録簿の中の単なる「文字」…となってしまう。
人間とはかくも弱い存在であるから、自分を保つには「誰か」あるいは「何か」がどうしても必要だ。
『証』が欲しい!!!
自分が選び、その青春をかけて獲得した『証』が欲しい!!!
でもさ、それって、なにもボクサーに限るものではないよな。
子供だったり、仕事だったり、作品だったり、思い出だったり、財産だったり…なんだか分からないが、『証』を人間は求める。
なにもないと人間は不安になる。
桜が散るのを見て、ああ…なんぞと思わずうめいてから自虐的に吹き出してみたりするが、やがて「笑えなくなる」…。
十二社通りは熊野神社前の交差点で、「空気ギター」をかき鳴らしていたホームレスを見て、思う。
『証』とはなんぞや!?
それは人の数だけ存在するものであるので、この際、僕にとってのそれとは何か?…が正確には正しい。
胸焼けして座り心地の悪い車の中で、そんなことを考えながら、仕事に頭を切り替えている途中なのだが、うまくいかないだすね。
そんな時は、彼の声を聞こう…
…そう、『魂の声』をこれほどまでに全世界中の人々に伝え尽くした人物はいまい。
ベスト版を延々と聴くかな。
一番好きな1曲…って選べないよな。
…でも今日は『GOD』ですかね。
神も仏もビートルズもなんにもない。あるのは僕、僕とヨーコ…。
苦悩、なみだ、愛、平和、生き様… 凄まじいね、ジョンの仕事は…
ジョン・レノンはボクシング界で言えばやっぱりモハメド・アリ…。
カシアス内藤の「カシアス」は言わずと知れた、モハメド・アリ改名前のカシアス・クレイのカシアス…。
しかし、カシアス内藤の『闘っている』映像を見てみたいなぁ。
『一瞬の夏』、やっぱり面白いですね。リングの外の出来事って単なる一ファンには覗けませんからね。
『証』…だなどと、そんなに堅苦しく生きる必要もないとも思う…、が、目標を立てる、こうありたいと願う自分をきっちりとイメージする…のは怠ってはいけないと思う。
それが難しいんだけどね。
カシアス内藤の『証』と、その巻き込まれた観測者・沢木耕太郎の『証』と、ジョン・レノンの『証』、そして、永遠のチャンピオン、モハメド・アリの『証』を同時に噛み締めながら、世界平和を願おう…。
じゃ、仕事するか。
因みに、カシアス内藤さんは現在はボクシングジムの会長さんであられるそうだ。
(E&Jカシアスボクシングジム⇒ http://okepi.com/cassius/ )
御愛読感謝
つづく