成瀬巳喜男が好きだ。小津安二郎よりも、溝口健二よりも、黒澤明よりも、僕は成瀬巳喜男が好きだ。
銀座の『並木座』で、黄金町の『ジャック&ベティ』で、開演から最終回まで延々と観ていたのは『浮雲』だったり、『女が階段を上るとき』だったり、『放浪記』だったり、『山の音』だったりした。
高峰秀子がとりわけ好きだった。観ても観ても飽きがこなかった。こんなにかわいらしい女優は他にはいない。色気はない。めっぽう美人ってわけでもない。…が、圧倒的に『かわいらしい』のだ。
成瀬作品は『女』が描かれる。女心が張り裂け、閉じ込められ、粉々になってゆく…。それでもなお、往々にしてそれはまるでおろしたての着物のごとく、凛としていて、儚くも、たくましいのだ。
HIGEGE91がこよなく愛する成瀬作品は『流れる』だ。
これは泣けた。とにかく美しくて、切なくて、それは人間と言う存在がいかに『もろく儚いか』…が浮き彫りなっている映画だ。山田五十鈴、杉村春子、田中絹代、高嶺秀子…と、昭和30年当時における、まさに『オールスターキャスト』な傑作だ。
ああ、風景、情景がこんなにも『別の意味』をもちえたラストシーンは他に類を見ない。
…隅田川が、『流れる』。
それは、もたれながら『利用』し、また、信じたふりをしながら『裏切られ』、ここにいるはずが『迷い漂い』、しがみつこうとも『流されて行く』…。
人間という曖昧な存在が、こうも『風景』を通じて表現された映画を僕は知らない。
しかし、それでもなお、『凛』として、背筋を伸ばして、綺麗に化粧をして、三味線を弾く女の儚くもたくましいその姿は、凄まじい。それは尋常ではない。映画では語られない、その先の物語が、やはり『流れる』…。
暗闇と不幸が大きな口を開いて待ってる。…が、女たちは『凛』として、かくも『美しい』存在なのだ。
…で、HIGEGE91は明日から映画撮影に入る。ちょっとエッチな映画だ。芸術性がなくもないが、あまりに混沌としていて、正直、理解できない。狂気が「テーマ」になっているので、同調は出来ない。残酷で、無慈悲で、観客を拒絶する映画…。
早起きしなくちゃなので、眠ることにする。
つづく