今年3月に大阪で「引退式」を済ませたはずの本田秀伸(元日本Lフライ級王者(6度防衛の後返上・元WBC5位)が6月に『現役復帰宣言』をした。戦績 30戦26勝4敗(14KO)…、現役時代は『ディフェンスマスター』の異名をとった左ボクサー。引退のきっかけになったのは2度目の世界挑戦に失敗後、再起戦 対名城信男(現スーパーフライ級王者・当時はまだ無名)戦での判定負けであった。ネットを通じてその試合結果を読み知ったときは「仰天」した。なんと、あの本田が負けるとは…!? 名城信男選手と言えば、このブログでも以前取り上げているが、前Sフライ級王者(田中聖二)をKOし、アクシデントとはいえ「死」に至らしめてしまったほどの「ハードパンチャー」であった(…これは本田戦の勝利で一気に知名度を上げ、瞬く間に日本タイトルを奪取してしまった)。後になって負けるはずのない本田が「負けた」理由が多少氷解したわけだが、いずれにしても本田自身、まだ「燃え尽きていない」と感じていたわけだ。しかし、彼の周囲が「引退」を促したのか、なにか他に「理由」があったのか定かではないが、とにかく「引退式」の3ヵ月後には『現役復帰』を宣言したのだ。対名城戦は観てない(…というか、まだ名城選手が動いているところを見たことがない!!…どれ位強いの!?)し、本田の胸に本来「最後の試合」となるはずであった「敗戦」とはどんなものであったのだろう…。また、2度挑戦した「世界」のリングに置いて来てしまった『忘れ物』は、本当に取り返せると信じているのだろうか…?…一体、どんな勝算がどれほどあるというのか…?
今は「整骨院」に勤務中とのこと。奥さんも、子供もいる。『家庭』と『仕事』とさらに諦められない『ボクシング』の両立ってのはどれほどの『厳しさ』を秘めているのであろうか…。家族はどう思っているのだろうか?奥さんは認めてくれたのだろうか(…引退に纏わる記事には本人は「未練ありあり」っぽい感じで書かれていたし、それでも一旦「引退式」を行ったくらいだから家族は反対しているのではなかろうか?あくまで「臆測」ではあるが…)?
1975年9月19日生まれ…ってことはもうすぐ『三十路』仲間なのだ。応援はもちろんする。しないわけにはいかない。僕は対ムニョス戦で大ファンになったのだ(…HIGEGE91はここ数年でボクシング狂になったので、彼の日本王者時代、世界初挑戦の対ポンサクレック戦などは残念ながら知らない…しょぼん)。しかし、「限界」と「制約」、「家庭生活」と「ハングリー精神」、「衰えて行く肉体」と「理想のあるべき自分の姿」…、などなど、ちょっと「想像」しただけでも『尋常でない厳しさ』がそこに巨大な『壁』となって存在しているように思えてならない。しかし、幕を下ろすことはできなかった…。
『引き際』という言葉があるが、その意味は人間の数だけあると言って間違いない。最近テーマにした「金井晶聡」はまだ22歳なのに(…わかっている。年齢だけが引退示唆でないことは…)…なんてボクサーがいたり、伝説の殿堂ボクサー、トーマス・ハーンズが46歳で現役復帰をKO勝利で飾り、さらに再び『世界』を狙っていたり、1994年に45歳でヘビー級世界王座を奪取したジョージ・フォアマンの例もあったり(…これが現在54歳になるはずだが、時々現役復帰の噂が未だに聞こえてきたりする…ゾォー)、40歳のバーナード・ホプキンスは先日まで現役4団体統一王座を連続20度防衛してたり、39歳西沢ヨシノリがまだまだバリバリの「現役」だったり、辰吉丈一郎がまだ正式に「引退」してなかったり、坂本博之は復帰戦で敗北するも、その日のうちに現役続行だったり、とにかく「様々」「多種多様」であり、当然『決まり』も『規則』なんてない…。
本人が納得いくまでやればいい…って言葉にしてみても、実際はそんなに簡単なことではない。人間とは、たった「ひとり」では「自分」さえ意識も自覚もできない曖昧な存在なのである。ましてや「命」を懸けて戦うリングに帰ろうというのだ。
「厳しい」ことは確かだが、記事によると目標はあくまで『世界』であり、名城ではない…が、仮に名城にリベンジを果たせたならば、当然世界ランクは還ってくる。しかし、そんな「マッチメイク」が成立するものなのか、僕には良くわからない…(個人的には是非観たいが…)。
03年の対アレキサンデル・ムニョスへの2度目の世界挑戦、あの試合を僕は今でも時々観たくなってDVDを再生する。当時ムニョス24歳でもうすでに「怪物」扱い。当時、その戦績は23戦23勝23KO(ひ、ひぃー!?)のパーフェクトレコードを保持。本田(当時28歳)が何回まで「もつか?」が争点にならざるを得なくて、本田がいくらディフェンスには定評があるにしても、長丁場の12Rはもつまい…が、戦前の予想であったに違いない…。
ムニョスは「セレス小林」から8RTKOで王座を奪い、この前年には「東洋太平洋Sフライ級王者 小島英次」を2RTKOに葬っていた。この軽量級にあってその存在は「戦車並」であることはもう知れ渡っていたのだ。要するに、「真剣対木刀」的な試合にならざるを得なかった。
1Rからムニョスの体ごと吹っ飛ばされそうな剛打を本田は「紙一重」で交わし続ける。さらにその「大きな打ち終わり」に打ち込む。…が、本田のパンチは腰の入った「全力パンチ」には成り得ない…。乱打戦から生まれる「カウンター」がもっとも破壊力を生むのであろうが、「ポイント」としてのパンチにも評価しズらい細かいパンチしか打ち切れない。…なにしろ「1っ発」で試合を終わらせてしまうムニョスの剛打をかいくぐっての攻撃である。「全身全霊の必殺ブロー」はそうは打てない。リスクが大きすぎる。細かく「ヒット&アウェー」を繰り返す本田であったが、大きなムニョスのパンチは「見栄え」が良くて「音」もいい…。ムニョスは当然KO狙い。大きなパンチがガードの上から本田を突き飛ばす。バックステップを踏むしかない局面がどうしても生まれざるを得ない。
しかし、そんな逆風に晒された本田ではあったが、そのボディーバランスは凄まじかった。これほどの「神業的ディフェンス」を僕は観たことがない。ムニョスのコンビネーションをことごとく『紙一重』でかわし続けた本田の防御はまさに「鬼気迫るディフェンス」であった。これほど「切実」で「背水の陣的な追い詰められた極限状態」のなかで「集中」を切らすことなく「かわし」続けたボクサーを僕は観たことがない…。そして、その姿は「美しかった」。
しかし、攻撃という意味では、本田は当てるのが精一杯であった。細かく狙ったが、どうしても振りぬけない感が残った。採点は3-0だった。最大で10Pの「差」がついていた。ムニョスの「連続KO」はついに途絶えた。ただ、「倒されなかった」ことが本田の意地の証明となった。結局、KOで倒されないことが「テーマ」になってしまったことは残念であったが、もともとLフライで日本王者で、フライでポンサクレックに挑戦し、このムニョス戦はスーパーフライでの挑戦であったことを踏まえると、イタシカタなかったのかもしれない…。本田に「川嶋重勝」くらいのパンチ力があったら、王座を奪えたかもしれない…。しかし、当たり前だがそうはいかないし、「パワーの差」はハンデとは呼ばない。階級が同じ以上、これ以上の『平等』はボクシングにおいては与えられないのだ。均衡が取れているようで、そうでない「溝」がボクシングには横たわっている。それを覆えしてこそ「世界王者」の称号を与えられるのだ。
さて、復帰後の本田秀伸は「攻撃的」な自分を作り上げるつもりであるという。どんなに「カミソリのような」「爆弾のような」パンチを「神業的」な「驚異的」なディフェンスで「芸術的に」凌ぐことが出来ても、ポイントにはならない。これが2度の世界挑戦、また、対名城信男戦の3度の判定負けを通じて、それぞれのリングに置いてきてしまった「忘れ物」であったのではなかろうか…。
残された時間は多くはない。自分の中にある「自分」と自分がより等身大に、いや、それ以上に大きくなって「自覚」し、その「実感」を本田選手が、またそれを見守っている「僕たち」が感じて微笑むことが出来るよう、がんばって欲しい…。
つづく