夏の夜の花です。月のない、蒸し暑い、暗い夜に咲くカラスウリの花です。81年前の前橋空襲の夜、炎に追われて郊外へ逃れた街の人たちはこの花に出会ったかな、そんな気がして暗くなってから探しに出たんです。


ユキ子さんの伯母、二代目吉駒は、母親はじめ皆を疎開させ一人で街中の家にいたのだそうですが、空襲が始まり、「東へ逃げろ!」って声を聴きながら、なぜか南へ、線路を越えて六供の方へ走ったんですって。「どうしてだかみんなと違う方へ逃げたの。それで助かった…」と言っていました。六供は真っ暗だったろうな…

 


昨日は朝からよく晴れていました。でもこども公園の広場で遊んでいる子どもたちは少なかったです。広場の上にはたくさんのナツアカネが飛び交っていました。写真には写らないですね…。

 


私は、キュウリ、ナス、シシトウ、ミョウガ、赤シソの葉、合計約6㎏を漬け込んでいました。来週の中頃には、今シーズン三度目のしば漬けができあがります。夏の大事な遊びです。


毎年、広瀬川の比刀根橋の袂にある慰霊碑で開かれる住吉町2丁目主催のの前橋空襲犠牲者追悼式にお邪魔してきていたのですが、今年は遠慮させていただくことにし、家で独りで犠牲者を追悼をしてました。玄関先の水鉢にはアシナガバチが絶えず水くみに飛んできていました。

 


夕方4時近くになってから家を出ました。最初に訪ねたのは住吉町2丁目の愛宕神社、お参りして戻ろうとしたら、ナツアカネが一頭飛んできて玉垣に止まりました。


玉垣の下に石が並べられています。この石は広瀬川の遊歩道の改修工事で撤去された比刀根橋の縁石です。前橋空襲の爆撃の傷跡が見られます。住吉町2丁目自治会が撤去された縁石をここに保存してくれています。

 


それから、比刀根橋の袂の慰霊碑を訪ね、黙とうしました。今年は原田さんにお会いできなかったのが残念です。


広瀬川の流れは傾いた夏の日を受けて眩しく光っていました。

 


熊野神社へもお参りしました。拝殿前に『前橋大空襲犠牲者追悼碑』が設えられていました。この碑の裏には「わたしたちは戦争の悲惨さを後世に語り継ぎ 世界恒久平和の実現に邁進します」と墨書されています。


参道に掲出されていた空襲の被災地、赤く塗られている部分です。81年前の8月5日の夜、前橋は米軍のB29爆撃機を主力とする92機の爆撃機に空襲されました。投下された爆弾は723.8トン、焼失面積は当時の市街地の8割に達し、11,518戸の家屋が焼失し、535名の市民が亡くなりました。

 


帰り道、三河町の正幸寺に寄りました。宗派を超えた宗教施設が連携して行う、『前橋空襲一斉慰霊』の会場の一つです。お参りだけさせてもらいました。

 

 
夕食のおかず、主菜は豚ヒレ肉を使ったローストポークです。ズッキーニとピーマンのソテーを添えました。スープは冷たいジャガイモのポタージュです。

 
副菜は野菜の盛り合わせ、トマト、オクラ、ミョウガ、キュウリ、生キクラゲ、それと筆生姜の梅酢漬けです。それと、白ゴーヤのゴーヤチャンプルでした。私のローストポーク、義母さんにすこぶる好評なんです。

 


夕食休憩をしっかりとった8時過ぎに、カラスウリの花をさがしにでました。見っけました。暗くなると咲いて、日の出前に萎みます。前橋空襲、夜10時ごろから爆撃が始まったとのこと、カラスウリが咲いていたはずです。

 


<戦争はなぜ起きるのか、ヒゲに聞いてもよく分かんねえんだいね。こういう本見っけたぜ、『ヒトはなぜ戦争をするのか』(著:アインシュタイン アルバート フロイト シグムント 訳:浅見昇吾 解説:養老孟司 斉藤環 講談社学術文庫2016)。読んで見っかな…>

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が創設し、伯母の二代目吉駒から私に引き継がれた美登利会を主宰しております。毎年4月に、舞踊会を開催しております。今年も4月5日に82回目を開催することができました。来春には、83回目を予定しております。こうして回を重ねることができますのも支えてくださる皆様のおかげと、ただただ有り難く感謝申し上げるばかりです。


第82回美登利会と第7回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください。

第81回美登利会と第6回三代目吉駒リサイタルはこちらをご覧ください
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第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください
お稽古場は前橋市城東町、三代目吉駒をご紹介しますのでさいこちらをご覧ください。