今、日本の芸術界が陥落しようとしている!新コロナで全く上演ができなくなった劇団やミュージカル。政府は積極果敢に、演劇、ミュージカル、いわゆる「芸術」を救おうとしていない。このまま放置しておいていいのか?
筆者の友人で同期でもある劇団四季吉田智誉樹社長の寄稿文を紹介したい。
劇団四季には、「劇場からの糧だけで生計を立てる」という、創立者・浅利慶太の理念がある。そして私は、浅利の次のような口癖を
また浅利は、敬愛したジャン・ジロドゥのパートナーだった演出家のルイ・ジュヴェの言葉、「恥ずべき崇高さ、偉大なる屈辱」を座右の銘としていた。それは次のような内容だ。
演劇ほど色々な問題に
崇高な思いだけでは観客は集まらない。演劇には、恥に
だから我々はこれまで、「プロの演劇人として生きる」という浅利の祈りを受け継ぎ、何度も恥に塗れながら、「当たり」を求めて全力で走ってきた。映像産業やタレント業など周辺の仕事には脇目も振らず、もちろん資産で財テクすることも考えなかった。どうしたら劇場でのお客様の感動を最大化出来るかを考え、そこに全ての資産とマンパワーをつぎ込んできたのだ。演劇に注力した経営を続けてきた背景には、劇団創立者の思想がある。
コロナウイルスは、我々の、この「一丁目一番地」を襲った。演劇にこだわり、プレゼンスを高め、更に発展、拡大を目指す経営を守ってきたことが、逆にウィークポイントになってしまった。
演劇のプロとして生きる道を選んだ劇団四季の重要な目標の一つが、「満員の客席」
劇団四季には1400人の所属員がいる。そして今、全公演は止まっている(4月28日現在)。数か月間、売り上げの
劇団四季のみならず、演劇を支えている芸術家たちが失われる可能性もある。芸術の世界では、人材育成に
海外では、芸術を喪失するかもしれない危機に備えて、様々な経済支援策が行われようとしている。フランスでは、民間劇場に対して上限500万ユーロ(約6億円)の緊急支援を実施するそうだ。ドイツでは、連邦政府のグリュッタース文化大臣が、「文化は良き時代においてのみ享受される
日本でも芸術への救済策が検討されているが、欧米に比べると規模の小ささは否めないように感じる。私が目にしたものでは、「文化芸術、スポーツイベントを中止した主催者に対して、観客が入場料の払い戻しを請求しなかった場合、放棄した金額を寄付金控除する税制措置」や、「コロナ収束後、官民一体型の消費喚起キャンペーンの実施。具体策として、チケットを購入した消費者に対し、割引券などを付与する」などがある。特に後者は、コロナ収束まで芸術団体が生き残っていたら、という前提付きの支援だ。
今回の問題では、劇場芸術だけでなく、観光や飲食業など様々な業界が試練に直面している。何をどのように救済するのかを決めるのは難しいに違いない。国や自治体が、劇場芸術を直接支援するためには、恐らく様々な道程を歩まねばならないだろうことも想像は出来る。その上でも、
一つ目は、中止した公演への金銭的支援。実害の5割でも構わない。これが示されれば、無理に興行を行う団体は少なくなるはずだ。結果として感染の収束を早めることにも
三つ目は、感染防止策の厳格な運用である。国や自治体には、収束を早める施策、努力を最大限のスピード感をもって、徹底的に行ってもらいたいと思う。個人情報の扱い方や法制度の違いは分かっているが、アメリカや欧州、韓国、台湾などの施策に見習うべきものはないだろうか。外出自粛を国民に「要請」し続けるという方法は、指示に忠実な日本人に合っているかもしれないが、街にはまだ人がいる。このままでは収束が長期化してしまわないか。「監視社会の到来を招く」という懸念も理解はするが、今は非常時だ。事後に必ず再度議論をするなどの条件を付けて、直ちにコロナを止める手を打てないか。
いまの演劇人は、出血をしながら辛うじて生きながらえている手負いの動物のようなものだ。そしてこの動物たちは、国や自治体から「傷口の治療は『自粛』してくれ」と言われ、痛みに耐え、
感染収束が早ければ早いほど、救われる芸術団体や芸術家の数は増える。時間を要すれば逆になる。劇場芸術を愛する方は、何としても感染防止に協力をしていただきたい。コロナ問題には、この国から「プロの演劇人」を根こそぎ奪い去ってしまう怖さがある。当事者の一人として強い危惧を感じている。
吉田智誉樹
皆様はどう思われますか?
<続く>
参照:読売新聞