18日(土)~19日(日)にかけて、早稲田の三大祭りの一つ「100kmハイク」に参加した。この行事は40年の歴史を誇る、早稲田では毎年恒例となっている行事なのだ。18日(土)午前10時から、埼玉県本庄市駅近くの駐車場で開会式。僭越ながら、不肖私そのまんまが選手宣誓などをさせて頂いた。一般参加者も含む約1200人の学生参加者は、朝からテンションが最高潮で、異様な盛り上がりだった。午前11時の号砲を合図に1200人が一斉に元気良くスタート! この大会は仮装大賞も兼ねているとあって、ユニークな仮装者が多い。男装、女装、看護婦、サンタクロース、豹、ミニスカポリス、ホンダのロボット・アシモ等様々。中に、肌色の煙突のような意味不明な被り物を被った学生がいた。「何か?」と聞くと「これ、チンコなんです!」だと。チンコを被って100km歩くのである。途中、取材のカメラが来ていて、チンコを大写しにしていたのには笑った。僕らチームそのまんまの4人も、松下君のアイデアで、「中国の日本領事館の亡命者達」というタイトルで仮装しょうという話が出たのだが、中国警察の征服が手に入らず断念した。 
 さて、ハイクの方であるが、僕個人としては「初めの40kmあたりまでは調子良かった。しかし、50kmを過ぎたあたりから、急に足が重たくなった。完全に歩きを舐めていた。100kmの距離は、その昔、ウルトラマラソンで走ったことがあった。走りに比べれば歩くくらいちょろいちょろいと思っていたが、甘かった。歩きは馬鹿にはできない。走りとは全然別の筋肉を使う全く別物のスポーツであることを痛感した。50kmからはまさに地獄。その頃は丁度深夜。寒いし、暗いし、心細いし、足は痛い。おまけに暴走族にばれてしまい、写真を撮ってくれだのなんだので、何度リタイアしようかなと思ったことか? この頃になると一緒に参加した山口君、松下君、穴田君もめっきり口数が減っていた。 そんな僕らを救ってくれたのが、前を歩いていた、とあるサークル。彼ら彼女らは突然大きな声で歌を唄い出したのだ。「上を向いて歩こう」「負けないで」「トトロのテーマ」等々。歌がこんなにも窮地に追い詰められた人を救ってくれるものだと初めて知った。良く戦地で行軍しながら軍歌を歌うというが、まさにその心境である。 歌は何曲も唄われ、そのうち早稲田の応援歌「紺碧の空」の大合唱になった。これには感動した。「紺碧の空 仰ぐ日輪 光輝あまねき 伝統のもと すぐりし精鋭 闘志は燃えて 理想の王座を 占むる者われ等 早稲田 早稲田 覇者 覇者 早稲田・・・・・」見上げる空は真黒だったが、僕には確かに紺碧に見えた。
 その日は深夜1時に、入間市の東京家政大学体育館に着いた。足は1歩も動かない状態だった。スタートから60kmを歩いていた。 ここで仮眠を取るのだ。 僕は既にここの地点で限界を感じていた。穴田君は「リタイアする」と泣きを入れたとたん爆睡していた。山口君は何か食べていた。松下君は荷物をきちんと整理していた。狭い体育館に参加者の半分の600人(別の半分は入間市体育館に分散)が雑魚寝である。僕が寝ようとすると、隣りに寝ていた学生が大声で「ちっちぇ~!」と寝言を言うのだ。それも何度も。「ちっちぇ~!」 何がちっちゃいんだ? え? 一体何がちっちゃいと言うんだ? 聞きたい! でも起こせない! そのことについてずっと考えていたらいつのまにか起床の5時になってしまっていた。「起床!」と言う、まるで刑務所のような掛け声で起こされ、結局一睡もできなかった。ファック! 
 眠たかったが、仕方なく起き、その日の行進がまた始まった。足は最早自分の足ではなくなっていた。それでも、様々な人との触れ合い、助け合い、励まし合いなどで何とか歩き続けられた。本当に周りの人々に感謝したい。
 80km辺りを越えると、もう痛さも感じなくなっていた。最後の休憩所早稲田高等学院から、ゴールの大隈講堂までは約13km。この区間では常にトップグループの先頭を歩いた。横には松下君がピタリと着いていた。彼は、ニックネーム通りハリーポッターのような華奢な身体で本当にスタミナと根性がある。30分遅れで穴田君。それより約1時間遅れて山口君という順番であった。 先頭グループは本当にテンションが高かった。早稲田通りに入ってからは、校歌と応援歌「紺碧の空」を先頭集団全員で大合唱しながら、大隈講堂を目指した。校歌と紺碧の空を何度も唄っていると、それらが身体の芯まで染み入り、身体の芯から早稲田生になれたような気がした。早稲田通りから長寿庵を左に曲がった瞬間、一人の学生が飛び出した。これは毎年の恒例らしい。 我先にゴールを狙う、それらの暴走学生を身体を張って阻止する学ラン組みの大会実行委員会の学生達。 最初に暴走した学生は、学ラン達にあえなく倒され玉砕! それに触発されて次々と学生が走り出した! たちまち、辺りは騒然となった。突っ込む、学生! それらに体当たりやラリアットで応戦する学ラン組み! 70年代の学生運動、あるいは、それこそ総領事館に亡命を試みた北朝鮮の一家のようだった。一人が犠牲となってつかまり、その隙にもう一人の仲間が間隙をぬって突進する。そんな光景もあった。僕の前を走っていた学生は、学ランの実行委員に体当たりされ、道路脇の店のシャッターに激突し、気絶していた。きっと、あそこでリタイアだったに違いない。 100km歩いてきて、後数百mを残して無念のリタイアなのである。何てこったい! しかし考えてみたら、何で阻止する必要があるのだろう? 最後くらいちょっと走ったってよさそうなもんじゃないか・・・・・大目に見てやれよって感じだよね・・・・・・・・普通、100kmも歩いてきたら惜しみない拍手かなんかで迎えられて当然なのに、ラリアットや体当たりで出迎えって! 一方運良く間をうまくすり抜けられた僕は、結局2位だか、3位だかでゴール。松下君は僕の直ぐ後ろからゴールした。2000人くらいが出迎える大隈講堂は、ゴール者が続くと、ビールかけや胴上げが始まり、大変盛り上がった。僕も胴上げされた。夜空高く2回3回と舞い上がっていると、33時間の疲れなどどこかに吹き飛んでしまう思いだった。
 その後、大隈講堂で閉会式。仮装大賞は、ロボットアシモに決まり、ゼッケンネーミング大賞は「そのまんま」の僕が選ばれた。歩きながらゼッケンのキャッチコピーを見るのも楽しみだった。面白いネーミングが沢山あった。笑ったのは「限りなく童貞に近いブルー」、ただ「コンドーム」とか「え?」とだけ書いてあるもの、「第1回 我慢汁大会」 因みに、松下君は「ハリーポッター」 住む所がまだ定着してない穴田君は「ジプシー」、山口君は何故か「クリームソーダ」・・・・・・・・・受賞したアシモと僕は大隈講堂の壇上で挨拶。満員の会場からは東コール。アシモはCMソングの大合唱のもと階段降りの歩きを見せ会場は大盛り上がりだった。僕は、舞台上で数百人の完歩した学生諸君を前に、100ハイの感想や挨拶をした。最後に、全員起立し肩を組んで、校歌と紺碧の空の大合唱! 会場一杯に木霊する歌声を聞きながら、やはり、僕の運命は、この大学に入ることに決まっていたのだと、妙な因縁めいたものを感じていた。