21日(火)日帰りで宮崎に行って来た。UMKのドキュメント番組(宮崎地方は5月25日(土)の午後3時30分OA)のナレーションを頼まれたのだ。内容は、宮崎県は日之影町にある小原(こばる)小という小学校が、おりからの少子化の波にあおられ、ついに閉校されるというドキュメントであった。一年に渡って、町や人々の様子や表情を追いかけた映像は、UMK渾身の作品(FNSドキュメント大賞応募作品)に仕上がっていた。地元の子供たちや親兄弟達、おじいちゃん・おばあちゃん、その他の、ほとんど全員がこの小学校の卒業生という住人の方々がとてもいい味を出していた。現在日本は少子高齢社会の波にあおられ、小・中学校の統廃合があちこちで実施されている。小原小は全児童9人の超過疎化の小学校。ついに124年の歴史に幕を下ろすのだ。ヨーロッパでは、古代から教会を中心に町づくりが行われたが、我国では明治以降、富国強兵・教育勅語などの教育振興政策により、学校を中心とした町・村造りがスタンダードとされた。よく、小学校や中学校に高く聳える時計台などがあるのは、町・村全体を流れる時の象徴なのだ。明治以降、学校と地域社会とのJoinは切っても切れない密接なものだった。その形体が、現代、崩壊しつつある。そんな、本来我国がパラダイムとしてきた、学校を中心としたCommunityの原型が日之影にまだ存立していた。村の行事はほとんど学校で行われ、学校行事には村全体で協力する。豊かな自然に育まれて育った児童達は、穢れをしらなず、純粋無垢に、そして伸び伸びと明るく実に逞しかった。きっと、ここではイジメや登校拒否など皆無に等しいのだろう。 まるで、僕らが小学生だったS30年代を彷彿させる光景。その求心的インフラだった小学校が無くなる。地元民にとっては、郷愁、哀愁、虚無・・・・・・さまざまな感情と感傷、思い出などが絡み合い複雑な心境に違いない。70歳くらいのおばあちゃんが目尻にうっすら涙を浮かべ言った「なんかしらんけんど、さみしぃですがね・・・・」の一言にはまさに万感の思いが込められていた。教師や職員も離れ離れになり、住み慣れた場所を後に、今後新しい環境に適応して行かなければならなない。子供たちは村から7キロほど離れた日の影小学校にスクールバスで登校するという。時代が変化するにつれ、生活スタイルも変化していかざるを得ない現実。時代の進行が人々に及ぼす永代なるINFLUENCE・・・・・・・・人々が時代の当然の帰結として、演繹的に実行する現実の生活・・・・幸福・希望・安心・そして絶望・・・・・・・・学校の消滅が社会構造を変え、人心の表象までも変えていく、この過酷な現実。その中において、懸命に、そして健気に環境に適応して行こうと直向に生きる人々の姿に感動し、思わず涙しそうになった。いや、泣いていた。 あ~っ、年取ったなぁ~。最近、どうも涙腺が緩んで困る。昨日も濱ちゃんに「涙脆くなりましたね~」なんて言われたばっかりだ。