最近…いつ頃からだろう。。

高齢者の運転事故のニュースをよく見かける様になったと思う。

ちょうど車の運転免許をたくさん取った世代の方々が、70代~80代になったのもあるのかと思う。

昔は、ミッション車が殆どで、今はオートマ車だからか?

アクセルとブレーキの踏み間違える事故。

運転している本人も、一瞬の出来事だろうかと思う。

私も親がその年代だから、ニュースを聞く度にいろいろ考える。

ただ、地方の田舎で車がないと言うことは、
とても不便。

公共交通機関も、人がどんどん減っているから、通る本数もどんどん減る。

それはもちろん採算が合わないから。

採算があわないから、大型スーパーやショッピングモールが出来ると、近場の小売店は潰れてしまう。

そして大型スーパーやショッピングモールは、郊外にあるのでやはり車が無いと不便。

多方面の問題が重なった案件じゃないかと思う。

【地方再生】

人口集中の格差が広がる、大都市と地方都市。

農業者も伝統工芸なども、どんどん従事者が減っているのでは無いかと思う。

日本全体の未来図をどう描くのかって、大事な事だと改めて感じたり。

次は農業について書いてみようと思います。

ありがとうございました。


今このブログを見て頂いているあなたは、人間関係で悩んだことない人でしょうか?

それとも何かしら人間関係で悩んだり、試行錯誤したことがある人でしょうか?

私は、小・中学校と友人関係を作る中で、人間関係に悩んだことはあります。

特に意識しなくもスムーズに関係性が上手くいくタイプの人と、なぜか誤解されたり(実際はどんな風に解釈したかを直接言ってくれないので、その本人が誤解しているかも確認が取れない)
したこともあります。

高校時代は、友人関係を広げることをしない選択を自らしていたので、それほど困る出来事には出会いませんでした。

しかし大学になると、多様な人種(キャラクター)が集まります。

特に私が通った大学は、マンモス校と呼ばれるタイプの大学だっので、多様性に溢れていました(^^;)

そのおかけで、振り幅も広がりました。

まぁざっくりとそんな流れで生きてきて、強烈に価値観の違いと言う壁に出会ったのが、結婚&離婚です。

以前の記事に離婚したくだりは、書きましたが、この「価値観が違う」と言うこと。

離婚理由の「性格の不一致」にも繋がる事だと思います。

価値観:何に価値を置いてモノゴトを判断しているのか。

何を大事にしているかは、全世界すべての人が共通ではありません。

そして、同じ日本人でも違います。地域によっても、違う。

違うもの同士が出会ったとき、自分の大事にしているモノを、当たり前に相手も大事にしているはずと、無意識には思い込んでしまいやすいです。

それで何かしらキッカケがあり、相手と自分の大事にしているモノが大きく違ったりしていることに出会い「あり得ない!」事態に陥ったりします。

自分がずっと大事にしてきたモノを、まさか相手は、何の価値も思っていない、となると本当に信じられなくなります。

相手の人格さえ疑いたくなったり。

価値観が違うと言うとこをまっすぐ受け止めるには、「観点」を知る必要があると思います。

「観点」が何なのかが分かったときに、世界人類が70億人いれば、70億通りの観点があることもわかるし、観点の違いも分かるし、そこから来る結果が違うことも受けとることが出来る。

私は、nTecでこの「観点」を知ったことで、価値観が違うという壁を超えることも出来たし、過去のそれにまつわる理解出来ない事象も整理できました。

人間理解が出来れば、先に進めるし、対応が出来る幅も深さも広がります。

また次回以降に違う角度でも書いてみたいと思います。

ここまで目を通してくださったみなさま、ありがとうございましたm(_ _)m

自分というキャラクターが良く分からなくなる。

あれ?私ってこんな人…と分かってたはず?

自分も知らない自分がポコポコいるんだなぁと気づかされる。

抵抗しても一緒。

どんな自分も受け入れられるようになったら、
どんな状況も人も受け入れる器の深さ広さに繋がるだろうと。

現在進行形で試行錯誤している。

ただ、ずっと同じステージにいるのでは無いと、認識してあげる。

私はつい、試行錯誤に対して、ずっと同じステージでうろうろしているかのような、嫌なイメージを持っていた。

これらも一歩、自分のイメージを破って行動することで気づく、出会うコトが出来る。
最近、よく自己否定のワナに落ちそうになる。

というか、けっこう落ちてる…(^^;)

あるPartに関して、顕著に
「どうせ無理なんじゃ無いか」
という思考がグルグル回るから。

やっても無理と思う
やらない、チャレンジしない
ずっとやったこと無いまま歳をとる
更にチャレンジするのに壁高くなる
今更無理と思う


悪循環極まりない(>_<)

そう思っても、「どうせ無理」
というフレーズが頭を駆け巡る。

思考から整理をして…などと思ってもいたけれど、

どうにも一歩にならない。

しかし「やったこと無いことは、やってみないとやったコトにならない」のですよねー。

整理するのも必要な時があるだろう。

今は、邪魔する思考がグルグル回っても、
行動することで、纏わり付く思考を遠心分離機にかけるみたいにする時期かなぁ。

と思っていたりする。

と言うことで、ウダウダな考えも抱きしめつつ、やったコトにチャレンジしていこうなぁー😁
先日ネイルサロンで、話ながら思いだしたこと。

もう7年前くらいの話。

仕事のプロジェクトでかなり信頼して一緒にやっていた仲間との事件簿。

目的目標達成のため、意見が食い違うことがあっても、ぶつかっても、ちゃんと主張しあって、再び目的に紡ぐことが出来るような仲間。

あるとき、ハッキリとした原因が何かわからないまま、溝が出来てしまった。

今までだったら、険悪になったとしても、それでも話が出来て、より深い信頼と共に解決してきた。

それなのにこの時ばかりは、どうしてか修復出来ない。
加えて時間が経てば経つほど、より互いに対するイメージが悪くなっていくように感じる。

おはよう、お疲れさまなどの挨拶さえ交わさず、ホントに言葉で交流しない。

人間は、笑うことも泣くことも怒ることも、恨むことも、もちろん話すことも色んな事が出来る。

そう、笑うことも出来るのに、お互い笑って接することが出来ない。

何が邪魔をするのか。
相手に対するイメージ、感情が嫌な方向に膨らんでいるから。

恐らくお互いの勝手な思い込みとブレンドされた結果としてのイメージ、感情だと思う。

けれど、固定したイメージから抜け出そうと、違う解析を何パターンかやってみても、実際のところはどうなのか?が交流出来ないので確認出来ない。

過ぎていく日々は、会話も無い。
会話が無いことに余計に苛立ち、嫌なイメージを相手のせいにしていく。

かなりの悪循環。

このまま、「嫌なやつ、分からない人」にしてしまって、いいのか?
自分はそうしたいのか?

もし仮に明日私が事故で急死したり、相手がそうなったりしたときはどう思う?

常日頃ふつうに健康な人は、まさか自分が(相手が)明日死ぬ、なんて考えないと思う。(例えが良くないかもしれないけれど)

けれど考えてみれば、通常事故とは予定して起きるモノでは無く、想定外な事が殆どと思う。

じゃぁ、いまこうなっている相手方か自分が想定外の状況になっても、嫌なやつという状態を続けるか?

と自分に問いかけたとき、
「それは嫌!!」だった。

嫌いも好きも、そのように感じることが出来ること、ムカつくことも、そう思うことが出来ること、それさえも今ここに生きて動いて居られるからこその奇跡だと思えた。

その心で関係を繋がり直そうと決め、自分からアクセス。
「話がしたい」と。

そういう背景があったからか、時間を作ってくれることになった。

そこではまず、「何を目指しどんな関係性を作りたいのか」をこじれている条件を抜きに、純粋に湧き上がる思いを伝えることにした。
だからよくよく自分の中を紐解けば、溝が出来て挨拶さえしない状態になった相手にムカつく感情のもっと奥には、「繋がれない事が悲しい」が潜んでいた。

それをそのまま伝えることにした。

そういう交流をするうちに、繋がり直すことが出来、より一層信頼と協力関係が深くなった。

些細な亀裂が溝になり、クレバスのように深くなりつつあったのに。

普段何気ない時に、他人の反応にムカつくとか気分を害することって誰でも経験があるのじゃ無いかと思う。

そこでは、その人のお陰で「気分を害された」「ムカつく」「イラッとした」etc出てくる。

ただそれらの感情は表層であったりして、
その根底には「無視されたようで悲しい」→「(無視されて)ムカつく」と変換されていたりする。

気分を害するのも、イラッとするのも、そう言った「悲しい、寂しい、否定された」という感情から繋がって、言動行動へと表現される際に変換されていたりする。

だから変換前の素直な感情を(攻撃的な感情へ変換される前に)ちゃんと伝えられると、まったく違う関係が作り直せると思う。

振り返ってみて改めて思うのは、こういうコミュニケーションや人との関係性をつくれる様になったのも、nTechを学んで実践したからかなぁ(^^;)

それ以前は、人との繋がりが悪くならないように、オブラートに包み関係性をつくっていたし、ホントの本音は言えないし、ある程度の信頼はあっても、何かあれば壊れると言う不安があったと思うし。

それが今は壊れたとしても、一時的でまた関係性を結び直すことが出来ると本気で思えるから。

まだまだ日々試行錯誤の進化がいろいろあるけれど。

長くなってここまでお付き合い頂いた方々ありがとうございます。

日々の気づきを人生に活かしたい。

そう思いながら、日常のリズムに埋没しやすかったりすることは無いでしょうか。

昨日、「がんばること」について書きましたが、なぜこうも「頑張って」しまう様になったのかに思いを馳せてみました。

すると、ふと思いだすことがあり。

かなり昔に遡りましたが、以前の記事にもちょいちょい書いてます通り、おおよそ学生時代(主には小学生)、運動オンチで鈍くさい子でした(^^;)

幼稚園→小学生の運動会が嫌で嫌で堪らなかった記憶があります。(遠い記憶…)

運動会では、「かけっこ」という種目がありますよね。

障害物競走だったり、単純に運動場のトラックを一周するだけの競走だったりです。

ハードル競走もあるかな。

当然ながら、どれもほぼ最下位のゴールです😅

一番嫌だったのが、何の道具も介在しない、トラックを一周、二周するだけの、単純に走るのみ!のかけっこ。

足の速さ、能力の差が歴然と現れるものなので。

みるみる差が開いていきます。
障害物競走などは、気持ちカモフラージュされるので、うっすら気が楽です。

その足の速さに関して、運動会で毎回確認され、自分の能力の無さに落ち込んでいました。

そこには、母親からの叱咤激励が大きく。

母親は若かりし頃、足が速かったのです。

走る度に、
「何であなたは遅いんだろうね。お母さんは足が速かったのに…」

「お母さんは速かったんだから、頑張ればもっと速く走れるはず。」

という、終わった後に声をかけられました。
なんとも返事が難しい投げかけです。

心は、「だって出来ないんだもん!!」
「一生懸命走ってるのに、人より遅くなるんだもん!」
「頑張ってるのに出来ないんだもん。。」

等など、心で叫んでいたんだろうなぁ、と改めて認識しました。

当時は、涙が滲んでくるばかりで言葉にならなかったように思います。

こういう事が、実は

「頑張っても出来ない」
「どうせ私には無理」
「だけど頑張らないと何も出来ない」

という判断基準を自分の中に作ったのだなぁと。

私はとにかく「がんばること」を選択して、かなりストイックに取り組むこともあります。

でも、思うように結果がでずに、今度はあきらめ心を抱く様に気持が移動します。

そのパターンは矛盾する

「頑張っても出来ない」
「どうせ私には無理」
「だけど頑張らないと何も出来ない」

↑これらから繋がっているなぁと。

人の言動行動、選択に影響する、それぞれの判断基準。
無意識にも一人一人がこの判断基準を使って、人生を生きている。

ただ、この判断基準は、何気に幼少期の何気ない出来事とその環境である親の言動行動がブレンドされて、形成過程されています。

だから未熟な部分も多々ある。
それでも無意識深くに鎮座している根本の判断基準になっている。

この形成過程に気づき、自らが作り出している結果の世界を変化させるキッカケに繋げることは、ホントに大切。

この自分の判断基準の形成過程を客観的に解析し気づきに繋げられるようになったのは、
やっぱりマインドーム理論を理解したからなんだなぁと思えました。

書いてて、いつも何気に長くなってしまう(^^;)

今日もお付き合いくださりありがとうございます😌




人生棚卸し、再構築中です。

ですが、なかなか遅々として進んでいないようにも感じていたり(^^;)

ですが、最近人生について考えるからか、
その手の刺激をたくさん受けています。

今日は「がんばること」について。

私はけっこうな「がんばって」しまうタイプだとの自覚アリです。

「がんばること」が当たり前。
ひっくり返すと、「がんばらないと」ダメ。

こういう観点を持っているんだろうと思います。

そこで、耳にするのが

「がんばらなくていい。」
これは、言われたりします。

もちろん、私も人に↑この「頑張らなくていい」を言ってきました。

そうなのに、私自身は、恐らく基本に「がんばって」しまうんだなぁ、と昨日も思いました。

そして、
「がんばっても結果が出ない」
と悲しくなりました。

そもそも本来きっと

「だって、がんばって出す結果じゃないから。」なのだと思います。

また、
「がんばりました。は要らない」と仕事で言うことがあります。

がんばっても結果出てないなら、同じだと。

「がんばることは、要らないこと。」
なのかもしれない。

ただ、どこかで自分の中で
「がんばることが良いこと」
とどこかで
「がんばる=○」の方程式を作っていたのか。

本当に「がんばることは良いこと?」なのか。

「がんばることは要らないのか?」

ちょっと注目して解いて行きたいと思います。

みなさんは、これを読んでどんな感想を持たれたでしょうか(^-^)

今日もありがとうございます。

人生棚おろし中
変化のキッカケを振り返っています。

今日は、「ポーカーフェイスがカッコイイ」
という思い込みについて書いてみます。

これは何かと言うと、カッコイイなと思うモデルを真似ることから始まるのですが、遡ること中学生の時です。

今では、クールな○○さん、という枕詞がついてくる様なイメージがある私ですが、10代の頃は、そんなではありませんでした。

どちらかというと、運動音痴、ちょっと野暮ったくどんくさい様なタイプだったと思います。

決して二枚目役じゃなかったです。

部活の仲間同士でよく遊んでいましたが、メンバーもそれぞれ個性が違い、何となくの配役が出来てきます。

そこでは、勢いがあるけど、ちょっとずっこける様なタイプ?だったかな。

ただ、その配役にはちょっと不服だったんです。

その同じ仲間に、すっごく美形でスタイルもスレンダーのモデルタイプがいて、スポーツもサラッとこなす彼女。

笑いもとるけど、決してずっこけ無い。
いえいえ、ずっこけたとしても、何だかそれさえも様になる。

いや~、これは憧れました。
片や体を張って笑いをとったり(取るつもりではなく結果、鈍くさくて笑いになる😅)

こんな風になりたい😍!!
観察しましたね~(笑)

すると、いちいち一喜一憂などしない感じ。ステキに笑ったりするけど、安定的な感情表現。
すーっごく怒ったところも見たことない!

なるほど!こういうサラサラッとした反応にしていけば、力が入りすぎることもなく、力みすぎてコケる事も無いのか(゜o゜;)

そこから表現調整トレーニング始まりました。

すると、三枚要素が薄く(ただ外に漏れてないだけ?)なり、二枚目クール寄りになってきたような…😲

ところが、今振り返ってみると、ここでにこやかな“笑い”の要素も抜けていた様です。

そのまんま、この路線を強化していきましたから、高校生の時既に教師たちから「ポーカーフェイスだね」と言われるように。

要は、表情に乏しい!!

表現が乏しいと言うこと。

あれれれ~(・∀・)

このことは、相当年気づかずに過ごし、すっばらしくオーバーアクションのある人物に出会うことで非常に刺激を受けました。

この方、ホントに貴重な人種だと個人的に感じています。
殻を破りたい方には、ぜひご紹介したいモノです。

ある時期集中して変化の為にレクチャー頂きましたが、驚くことしきりでしたね😁

「恥ずかしい事こそやってみること!」
とな。

「えぇ~!ヤだよそんなの!」
となるのですが、まぁ環境も整うと徐々にチャレンジ出来ます。

そうすると、すこぉしづつ緩く、柔らかくなるような、そんな感覚を覚えました。

変化を自ら作るときには、色んなメソッドがあると思います。

ひとりコツコツと取り組むのも良いですが、しかしこの時の感覚と変化は、仲間と環境(場)が揃ってこそだと思います。

今度は、どこかでそれぞれのシチュエーションネタで振り返ってみようかなと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございます🙆

何気ない日常で思うことです。

何かの消費行動をした結果、
支払いが生じますよね。

その支払いを「現金」でするか、
「クレジットカード」または「電子マネー」等の「現金以外の方法」で行うか?

どちら派でしょうか。

私は断然、「現金以外派」です。

なぜなら、「現金」で支払う場合、ほぼそのままの金額が出ていくだけだからです。

来年の消費税10%に向けて、
導入時対策でポイント還元される等の部分がありましたが、「現金以外で決済」すると、
何かしらの+αがおこることがあります。

なので、可能な限り「現金以外決済」を希望しています。

ところが、観光客が大勢やってくる東京の都心でさえ、飲食店などで「現金以外不可」
のお店に多々遭遇します。

海外旅行するときに、現地通貨をたくさんは持ちたくないもの。

度々の両替も手間だし、手数料もかかる上、
使い切れず余ったりする。

なので、旅行時も現地通貨以外の方法での決済が望ましいと思うのに。

2020年の東京オリンピックに向けても、
早く「現金以外決済可」が進まないかしら。

と何かの支払いで「現金のみで」とカード決済を断られる度に思います(^^;)

人生棚卸し中、いろいろと自分を振り返って、今更ながら気づくこともたくさんあります。

今日は、とあるカフェ☕で聞こえてきたお話。

結婚適齢期?
(適齢期って一体いつか…など思いつつ)
な世代の女子トーク😁

*******
「彼氏に私のどこが好き?」
って聞いて、

「顔が好き🎵」
って言われると
「めっちゃめちゃテンションあがる~😆」

「だよね、だよね~🎶」
********

なるほど~~👀👀👀

と、自分を振り返って
もし自分の場合、初っ端それだと、
ついつい邪推してしまうなぁ~と😅

「それだけ!?」
とかって。

顔が好き、だもんねー。

たぶん、受取方が
物質的な部分を褒められただけ、
ととってしまうんだろうなぁ。

それなら、
「キレイ」「カワイイ」
「表情が良い」とかが良いなぁ。

そんな思考の展開を巡らせてしまいました(^^;)

けれど、所詮ことば。
されど、ことば。

同じことばの綴りでも、受取方が千差万別!
良くも悪くも、受取方がその言葉の意味を決定しているとも言えるような。

人とのコミュニケーションで、ことば+α、
イメージ伝達まで出来るのが望ましいなぁー

そんなコトを思った日でした。