先日ネイルサロンで、話ながら思いだしたこと。
もう7年前くらいの話。
仕事のプロジェクトでかなり信頼して一緒にやっていた仲間との事件簿。
目的目標達成のため、意見が食い違うことがあっても、ぶつかっても、ちゃんと主張しあって、再び目的に紡ぐことが出来るような仲間。
あるとき、ハッキリとした原因が何かわからないまま、溝が出来てしまった。
今までだったら、険悪になったとしても、それでも話が出来て、より深い信頼と共に解決してきた。
それなのにこの時ばかりは、どうしてか修復出来ない。
加えて時間が経てば経つほど、より互いに対するイメージが悪くなっていくように感じる。
おはよう、お疲れさまなどの挨拶さえ交わさず、ホントに言葉で交流しない。
人間は、笑うことも泣くことも怒ることも、恨むことも、もちろん話すことも色んな事が出来る。
そう、笑うことも出来るのに、お互い笑って接することが出来ない。
何が邪魔をするのか。
相手に対するイメージ、感情が嫌な方向に膨らんでいるから。
恐らくお互いの勝手な思い込みとブレンドされた結果としてのイメージ、感情だと思う。
けれど、固定したイメージから抜け出そうと、違う解析を何パターンかやってみても、実際のところはどうなのか?が交流出来ないので確認出来ない。
過ぎていく日々は、会話も無い。
会話が無いことに余計に苛立ち、嫌なイメージを相手のせいにしていく。
かなりの悪循環。
このまま、「嫌なやつ、分からない人」にしてしまって、いいのか?
自分はそうしたいのか?
もし仮に明日私が事故で急死したり、相手がそうなったりしたときはどう思う?
常日頃ふつうに健康な人は、まさか自分が(相手が)明日死ぬ、なんて考えないと思う。(例えが良くないかもしれないけれど)
けれど考えてみれば、通常事故とは予定して起きるモノでは無く、想定外な事が殆どと思う。
じゃぁ、いまこうなっている相手方か自分が想定外の状況になっても、嫌なやつという状態を続けるか?
と自分に問いかけたとき、
「それは嫌!!」だった。
嫌いも好きも、そのように感じることが出来ること、ムカつくことも、そう思うことが出来ること、それさえも今ここに生きて動いて居られるからこその奇跡だと思えた。
その心で関係を繋がり直そうと決め、自分からアクセス。
「話がしたい」と。
そういう背景があったからか、時間を作ってくれることになった。
そこではまず、「何を目指しどんな関係性を作りたいのか」をこじれている条件を抜きに、純粋に湧き上がる思いを伝えることにした。
だからよくよく自分の中を紐解けば、溝が出来て挨拶さえしない状態になった相手にムカつく感情のもっと奥には、「繋がれない事が悲しい」が潜んでいた。
それをそのまま伝えることにした。
そういう交流をするうちに、繋がり直すことが出来、より一層信頼と協力関係が深くなった。
些細な亀裂が溝になり、クレバスのように深くなりつつあったのに。
普段何気ない時に、他人の反応にムカつくとか気分を害することって誰でも経験があるのじゃ無いかと思う。
そこでは、その人のお陰で「気分を害された」「ムカつく」「イラッとした」etc出てくる。
ただそれらの感情は表層であったりして、
その根底には「無視されたようで悲しい」→「(無視されて)ムカつく」と変換されていたりする。
気分を害するのも、イラッとするのも、そう言った「悲しい、寂しい、否定された」という感情から繋がって、言動行動へと表現される際に変換されていたりする。
だから変換前の素直な感情を(攻撃的な感情へ変換される前に)ちゃんと伝えられると、まったく違う関係が作り直せると思う。
振り返ってみて改めて思うのは、こういうコミュニケーションや人との関係性をつくれる様になったのも、nTechを学んで実践したからかなぁ(^^;)
それ以前は、人との繋がりが悪くならないように、オブラートに包み関係性をつくっていたし、ホントの本音は言えないし、ある程度の信頼はあっても、何かあれば壊れると言う不安があったと思うし。
それが今は壊れたとしても、一時的でまた関係性を結び直すことが出来ると本気で思えるから。
まだまだ日々試行錯誤の進化がいろいろあるけれど。
長くなってここまでお付き合い頂いた方々ありがとうございます。