今日1月25日は 菅原道真が大宰府に左遷された日 | マコトの道はひふみ神示

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ひふみ神示(日月神示)と出会い、これこそ自分の生きてきた道そのものだと強く感じ、自らの体験を通してひふみ神示を実証していこうという下級臣民の日記

今日は、伊勢白山道の記事を読んで、なるほどなぁ、と思ったので、パクります。

噂話で他人の人生を破壊した人の行き先はXXだった 2024-01-25

記事によると、

今日1月25日は、菅原道真が、九州の大宰府に左遷された日です。

西暦901年1月25日
これが旧暦なら、新暦では2月16日でしょうか。


菅原道真の才能を妬む左大臣・藤原時平が、道真を罪に陥れてやろうと策略した。

というのが定説のようです。
道真の無念の死の6年後に藤原時平が死んだのは道真の呪いだと言われています。

また、神話の時代の話から


スサノオ神が、他の神々の讒言によって、手足の爪を抜かれて根の国底の国に追放された

このような話もされていました。

 

私も実体験でこの型を演じています。

過去記事でも

 

爪を抜かれたスサノオ   2019-05-23

 

天に戦を仕掛けた咎でスサノオは、

両手両足の爪を抜かれ、千両の車駕に乗るほどの罰金刑を与えられ、高天原から追放された

 

スサノオとはまるで、戦前の軍国日本のようではないか。

二度と戦争をしないように、軍隊という爪を抜かれ、ずっと謝罪と賠償の重荷を課せられたのである。

 

 

扶桑の巻 第六帖

 はらひため 千城百国 精治万歳。

 三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違へるでないぞ。

手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。

神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。

 

私も我の爪を取られ、持てる力を封じられる型を演じている。

その後、蘇ってさばきの庭に立ったのである。

戦争で世を救えると思うのは間違いなのである。

 

このように書いていました。

 

今思うと、あの一連の出来事は誰かの策略だったのだろうか。

私は、天が仕組んだ天命だと思っています。

 

「天命に逆らうな」

 

と、鎌倉殿の巫女さんも言っていました。

 

 

他の神示でも

 

岩の巻 / (一八のキ) 

 第一帖 (三六六)

スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ

 

ここでも同じことを言っていますね。