爪を抜かれたスサノオ | マコトの道はひふみ神示

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ひふみ神示(日月神示)と出会い、これこそ自分の生きてきた道そのものだと強く感じ、自らの体験を通してひふみ神示を実証していこうという下級臣民の日記

今日は、なわふみひと氏のブログ記事から思ったことを。

最近は、日本の戦後のふがいなさを訴える記事が多いように感じていましたが

これは面白いと思ったので一部引用します。

 

05.22  永遠なれ、日本

 中曽根康弘/石原慎太郎  PHP

 

世界史に輝くべき日本の近代史 石原

 

 この記憶は、いまだ欧米人の中に強く印象づけられている。以前、村松剛から、日本が大東亜戦争で降伏した日のアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』の論説のコピーをもらいました。このとき一緒に、ドイツが降伏した日の論説も持ってきてくれたのですが、両者を見比べると扱いがまるで違う。
 ドイツとの戦争は、いってみれば年中やっている兄弟ゲンカのようなもので、その元凶であるナチスを淘汰すれば、残るのは優秀なドイツ人だけである。だから復興に力を貸そうという内容になっている。それが戦後のヨーロッパ復興計画、マーシャル・プランへとつながるのです。
 ところが日本の場合、そうは書かれていない。日本に模した巨大ナマズのような化け物が、ひっくり返って口を開けている。そこにヘルメットをかぶったGI(=アメリカ兵)が、「やっとこ」で歯を抜いている。そんな風刺画が描かれ、同時にこんな文章が載っている。
 「この怪物は倒れはしたが、まだ命がある。われわれは一生かかっても、アメリカや世界のために、この化け物の牙と骨を完全に抜き去らなくてはいけない。それは戦争に勝つよりもむずかしい作業かもしれないが、アメリカは世界のためにやるのだ」
 こうした認識から、アメリカの日本統治は始まったのです。つまりアメリカ人から見ると、日本はいまも依然としてエイリアンなのではないでしょうか。黄色人種ということで見下していた日本人が、負けはしたものの、あの戦争で大きな存在感を示した。その後、結果として植民地も解放された。このことは白人にとって、信じられないことだったと思うのです。

 

 

 

この記事の部分は石原氏のようだが、これを読んで、私は色々感じた。

 

 

ヨハネの黙示 13:1-10

新共同訳1987

13:1 わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。

13:2 わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。

13:3 この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。

13:4 竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」

13:5 この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。

13:6 そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。

13:7 獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。

13:8 地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。

13:9 耳ある者は、聞け。

13:10 捕らわれるべき者は、/捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、/剣で殺される。ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。

 

 

どうだろうか、ここで言われる獣は、まるで戦前の軍国日本のようである。

42か月は戦える力を与えられ、聖書の民族と互角に戦い、全世界を驚かせ、恐怖させた。

 

聖書の民族から見れば、異教の民である日本人は獣なのである。

徹底的に叩き潰したはずなのに、すぐに復活し、経済戦争で世界を支配するほどになってしまった。

小羊の命の書 を拝まないアジアの国々は皆この獣の国によって独立を勝ち取ったのである。

 

また、この型は、古事記のスサノオの型でもある。

 

天に戦を仕掛けた咎でスサノオは、

両手両足の爪を抜かれ、千両の車駕に乗るほどの罰金刑を与えられ、高天原から追放された

 

スサノオとはまるで、戦前の軍国日本のようではないか。

二度と戦争をしないように、軍隊という爪を抜かれ、ずっと謝罪と賠償の重荷を課せられたのである。

 

また、ニューヨークタイムズの風刺画は、一世を風靡した漫画「アキラ」を思わせた。

人々は、アキラの強大な力に恐怖し、バラバラにして封じ込めたのである。

歯を抜かれるとは、牙を抜かれるということである。

私にはナマズが鯨に思えた。

日本人は鯨の歯が抜けないように守る役か。

おっと、これは余談である。

 

 

扶桑の巻 第六帖

 はらひため 千城百国 精治万歳。

 三年と半年、半年と三年であるぞ、その間はクラヤミ時代、火をともしてもくらいのであるぞ、あかるい人民にはヤミでも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年ぢゃ、五日と五日ぢゃ、このこと間違へるでないぞ。

手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみぞ、この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ。

 

私も我の爪を取られ、持てる力を封じられる型を演じている。

その後、蘇ってさばきの庭に立ったのである。

戦争で世を救えると思うのは間違いなのである。

 

今日もセブンイレブンの天守の反撃が話題になっていて、日本の変革は徐々に進んでいる。

おっと、店主か。天守と店主の攻防か。

セブンイレブンと言えば、私のブログ開設は7.11、余談の余談

 

今度、アメの切り札のトラがやってくるんだってね、どうなることやら。