今年は「どうする」の右左岐年。
昨日の「どうする家康」第2話は「兎と狼」 。
この先はネタバレを含むのでご注意!
「兎と狼」と言えば、過去記事
オオカミとウサギの物語 2020-01-02 を思い出します。
私は戌年生まれで、オオカミの眷属。
うちのカミさんは、松島の思い出2 2016-03-12 の中で
カミさんはウサギの干支を持っている。
神のいけにえ
試しの御役
大国主を助けたのもウサギ
東日本大震災も卯年、試練の時
このように、ウサギの因縁を持っている。
オオカミがウサギに出会ったら、「食べてしまいたい」という欲望に突き動かされたとしても否定はできない。
3千年前のお釈迦様の譬え話、大神にその身を捧げたウサギの話。
オオカミに自ら食べられたウサギ。
私はカミさんの言葉を記事(食い物)にしている。
因幡の白兎も、身削ぎながら主人を助ける話ともとれる。
こんなことを書いていましたね。
オオカミに自ら食べられたウサギ。
この話は、自ら木の根にぶつかった兎の歌、待ちぼうけを思い出します。
大国主が助けた兎も実は食べられて大神の命を繋いだとか妄想が。
自ら火の中に飛び込んだ兎は、木花咲耶姫
火のカグツチに焼かれて死んだイザナミ
怒ったイザナギが火のカグツチを斬る
日の神神楽で鬼を斬る
ああ、妄想が暴走してしまうのでこの辺で。
それで、今回の家康が言った言葉。
「わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ! 」
これに興味を惹かれて家康の生まれの干支を調べてみました。
Wikipediaによると
徳川家康 天文(1542年)11年12月26日、岡崎城主松平広忠(松平清康の子)の嫡男として岡崎城において生まれる。生母は緒川城主水野忠政の娘・大子(伝通院)。幼名は竹千代(たけちよ)。
生誕 天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日、遡及グレゴリオ暦1543年2月10日)
この ユリウス暦1543年1月31日 を西暦としてみた時の干支は
癸卯の年、 甲寅の月、壬寅の日の生まれ
でした。やっぱり兎の生まれだったんかい!
しかも今年の干支癸卯と同じ
まさに480年前の癸卯(きぼう)の年に生まれた因縁の者。
まあ、その宣言で虎に覚醒した、という展開にするのかな。
この話では、信長がオオカミ、竹千代(家康)が兎としているわけだ。
今日の本題はこれから。
ネットの掲示板で観た興味深い記事を引用します。
横の数字を足せば567=コロナ
上下の数字を足せば666
2023年でコロナ茶番は終わるだからコロナが5類扱いになる
2021年 5
2022年 6
2023年 7
6 66
これは面白いですね。
2021年は令和3年です。
2021年から2023年までの3年間は特別な年です。
2022年を真中にしたこの3年は、奥義の要、砂時計のくびれ
さらに、今年は兎の年、信長は竹千代を「白兎」と言った。
白兎は、八、九、十
全部揃ってるやん!
君は567から、八、九、十 にジャンプ出来るかぴょんぴょん
西暦1桁は、 1,2,3 ひふみ
年号では、 3,4,5 みよいず
西暦では、 5,6,7 みろく
さらに縦読みで、3,5,7
日蓮は、3年、5年、7年と言った。
神示では
冬の巻 補帖
病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。 一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。
ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。
理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。
三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。六月九日、ひつくの神。 以上