ビル・ゲイツとトロンの戦い | マコトの道はひふみ神示

マコトの道はひふみ神示

ひふみ神示(日月神示)と出会い、これこそ自分の生きてきた道そのものだと強く感じ、自らの体験を通してひふみ神示を実証していこうという下級臣民の日記

最近ビル・ゲイツの名前をあちこちで見かけるようになった。

 

NETニュースによると

 

 


【ロサンゼルス共同】米IT大手マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は29日までに、2020年春の叙勲で旭日大綬章の受章が発表されたことを受け「日本に感謝する」との声明を発表した。新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、日本の科学者らに敬意を示した上で「人類はこのパンデミック(世界的大流行)に打ち勝つと確信している」と強調した。

 ゲイツ氏は、マイクロソフトにいた40年前から日本を訪れるようになり「日本のコンピュータープログラマーやエンジニアの革新的な仕事ぶりに感銘を受けた」と回想。「今は日本の科学者や医学研究者に同様の敬意を表する」と表明した。

 

 

日本の叙勲に外国人のビル・ゲイツ

というのも違和感を感じたが

 

同じころにNETで


日航機墜落事故でTron開発の技術者17人が亡くなったのは、
当時出来て間もないMicrosoftを儲けさせる為という陰謀説もありますね。
Tronは使い勝手が良い上に無料配布させる予定だったので。


こんな書き込みを見てしまった。

 

そ、そうだったのか・・・・

 

日航機墜落事故については過去記事で何度も書いていた。

 

 

日本航空123便墜落事故から29年  2014-08-12

 

日航ジャンボ機123便墜落事故から今日で29年になる。
今年も追悼番組などで記憶を呼び覚ましてくれる。

事故原因は未だになぞが残り、色々言われているが、それはさておき
123便という数字が日月神示的に因縁を感じるのである。

日航機の事故は1985年に起こった。
私が出世より信仰の道を選択した1983年から2年後である。

墜落場所は群馬県多野郡上野村高天原山の山中であった。
いままで御巣鷹山と覚えていたのでこの名前は驚きである。

このころから日本はいろいろとおかしな方向に変わっていったように思える。

飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。十二月十八日、ひつ九か三。
日の出の巻 第十五帖

 

 

江戸は何うしても火の海ぞ  2016-10-07

 

 

そして、最近うちのカミさんが、目黒の大円寺が気になると言う。

ここも坊主が放火した江戸3大大火の一つである。

供養のために520体の地蔵が作られたそうな。

520体の地蔵と言えば、御巣鷹山にもあり、日航123便墜落で520人が亡くなっている。

 

江戸は何うしても火の海ぞ

 

 

 今日は日航ジャンボ機JAL123便墜落事故から33年  2018-08-12

 

トップダウンの弊害か、忖度の弊害か、独裁の弊害か、時節が来ているゆえの事象か。

去年の2017年もこんな事故があった。

 

1945年の歴史上初めての原爆発から66年で2011年の東日本大震災と史上最悪の原発事故となった。

それから年、年、年の年限が過ぎ

今年は1985年8月の日航ジャンボ機JAL123便墜落事故から33年となる。

毎年お盆の時期に航空事故が起きているのに対策が後手になっている。

お盆の時期は霊界と繋がりやすい、ということは、事故も起きやすいという事である。

今年は私の定めの年、これからもどんどん前代未聞の事象が出てくると確信している。

 

 

このように何度も記事にしているが、陰謀撃墜説は書いていなかった。

 

日本のOS、Tronが、アメリカとビル・ゲイツのMSDOSに潰されたのは有名な話だが

 

日航機墜落事故でTron開発の技術者17人が亡くなったのは、
 

これは知らなかった。

これで俄然、撃墜説が信ぴょう性を増してきた。

 

Tron が完成していたら、歴史が変わっていたのは間違いない。

 

私も今とは違うことになっていたかもしれない。

 

日月神示にも出会わず、このブログもやっていなかったかも。

 

 

誰かが歴史が変わるのを阻止するために事故に見せかけたと考えると恐ろしいものがある。

 

 

最後に、この陰謀説については、下記のサイトから引用します。

 

 

1985年の日航ジャンボ機事故の考察 ~国産OS「TRON」技術者の死~  2018-8-14

 

 

4.日本の国産OS「TRON(トロン)」と日航ジャンボ機事故

 

ここまででの話でもかなり衝撃的と言える内容だが、更にあるのが、当時日本の国産のOSとして注目されていた「TRON(トロン)」の技術者がごっそり乗っていたのが、この日航ジャンボ機(JAL123便)であった。「TRONプロジェクト」と言われるプロジェクトを手がけていた天才エンジニアの17人が乗っており、全員亡くなった。

 

「TRON(トロン)」とは、当時「Windows(ウィンドウズ)」と「Machintosh(マッキントッシュ)」が、少しずつ広がっている中で、純国産で作られていた日本版のOS(オペレーティングシステム)である。OSとは、今のWindowsと同様のソフトと考えればいい。これが、当時でWindowsの10年先を行くと言われていたものであった。
 

すなわち、今のWindowsの代わりに日本産のTRONがコンピュータを席巻するかも知れない状態、と考えてほしい。これをアメリカが脅威と思わないわけがない。アメリカでは、コンピュータのソフトに力を入れ始め、軍事から始まった「インターネット」の構想が大きく練られていた頃である。

TRONの親 坂村健氏
TRONの親 坂村健氏

もちろん、こんなことが理由で飛行機を打ち落とすとは思いたくないが、TRONがその価値に値するほどのものであったことは言える。国防上の大きな脅威であったことはアメリカは認識していたと思う。今の状況を見てもわかるように、「OS」とは、全てのコンピュータを制御する中核となる技術であるからである。その開発に「しのぎ」を削っていたアメリカがその重要性を知らないはずはなかった。

 

この事故が全てではないが、かくして「TRONプロジェクト」は大きく後退せざるを得なく、実際に世界のOSを握ったのは、Windowsのマイクロソフトであった。

 

しかも、この後の1989年にアメリカが強力に日本に貿易不均衡を主張し、いわゆる「スーパー301条」という強硬手段に出たときに、なぜかTRONがやり玉に挙がった。アメリカは、TRONを日本政府が応援するのは市場への介入である、という訳のわからないことを言ってきた。日本のOS市場が「TRON」に支配されることを恐れたのである。もちろん日本政府は、アメリカの言うとおりにして、かくしてTRONは衰退を余儀なくされた。

 

なお、TRONの生みの親である「坂村健(さかむらけん)」氏は今も健在で、活躍されている。そして、国産のOSである「TRON」はちゃんと生きており、少しずつ広がっている。トヨタ自動車がそれを採用したことも言われ、確かな技術の芽はなんとか健在である。坂村氏は国産に大きなこだわりを持っており、しかも、無償で提供することに強いポリシーを持っている情熱家である。しっかり広がってほしいと思う。