『おびえる児童、子を探す母、血まみれの大人 川崎の事件』
やり場のない憤りや悲しみ、被害にあった子ども達や親の事を考えると、言葉すら見つからない。
こんなテロとも呼べる凄惨な事件は、当然日本全体で考えるべきだし、絶対に取り組むべき。
が、こうした悲惨な事件が起きるたびに、マスゴミは子ども達を守る安全対策をいかにすべきかと騒ぎたてる。
それは正しい視点なのだろうか?
確実に言える事は、安全対策というのは問題が起きる前提に議論をするものであり、果たしてこうした問題に対する本質的な対策なのだろうか?
これはリベラル教育、リベラル視点に染まった姿を表している。
本質は間違いなく、このような問題をいかに起こさない社会を創るかと言うこと。
もっと正確に言えば、いかにこのような問題を起こさない社会を取り戻すか。
日本は、明治開国から戦後、平成、令和と時代が進むにつれて、明らかに調和社会を失った。
しかし私たちは、鍵をかける必要のなかった時代を経験してるし、外国人から地上の楽園とまで讃えられた江戸文明があった。
もっと遡れば、争いすらなかった縄文文明を残している。
戦後が進むにつれて、明らかに人として大切なものを失った事件が増えて、社会秩序が維持出来なくなったのは、ただ一つ。
道徳心の欠如につきる。
共産思想、リベラル思想が教育に染み込めば染み込むだけ、社会は、人はおかしくなることは実証されている。
安全対策が悪いとは言わないが、それ以上に必要な事は、本質的な対策であり、それは突き詰めれば道徳的教育を取り戻す戦いだと強く声をあげたい。