横浜米軍機墜落事故 | 飛行中年・空のサムライ

飛行中年・空のサムライ

Uコンやラジコンなど模型工作の世界を模型飛行機を中心に情報発信し、シニア世代の模型再開や青少年の模型工作を趣味とするきっかけになればとおもいます。
また、家族向けた自伝の側面もあり、幅広く投稿しています。

1977年9月27日、神奈川県横浜市に厚木基地を飛び立った米軍機(二人乗りのファントム)が墜落しました。
墜落地点は当時造成中の空地の多い住宅地でしたが、付近の住宅が燃えて犠牲者は大変痛まし状況でした。

墜落直後、たまたま休みだった私は近くに住む当時の模型飛行機仲間から「江田に飛行機が墜落したぞ」と連絡を受けました。
早速、軽自動車にカメラを積んで墜落現場に駆けつけました、墜落直後だったので規制線もありませんでした。

現場では灯油のようなジェット燃料の臭いのなかで、その惨状を遠巻きに見ながら、写真を撮りました。
周囲はこれから住宅地に開発される広い造成地でしたから、昔からそこにあった家の所に墜落したようです、もう少し操縦してくれればと思いました。

飛行機マニアとして、先の大戦で敵機に撃墜された零戦や雷電の搭乗員が、自らを犠牲にして最後まで操縦し、村や町を守ったお話しを知っていましたから、そんな思いもありました。

⚫︎墜落現場で私が撮影した写真
ラジオ局の車と道路脇の残骸

しばらくして上空に飛来した米軍ヘリと墜落現場

焼け落ちた住宅や蔵

当時、周囲はニュータウンの造成地でしたから、Uコンやラジコン飛行機を飛ばしていた造成地の近くでした。


この事故で、パラシュート降下した2人の米軍パイロットは要請された自衛隊機によって救出されました。
その時、自衛隊が住民を救助しなかったと非難されたそうですが、とんでもない誤解だったようです。
この事故の詳細は「横浜米軍機墜落」で検索してください。
不謹慎かもしれませんが墜落直後は飛行機マニアの野次馬の一人として写真を撮りました、当時はこんなに痛ましい事件になるとは思ってもいませんでした。

最近の話ですが、横浜の港が見える丘公園の中に、愛の母子像として犠牲になった母子3人の像がありました。

碑文

先日、地域のイベントで出かけた時に見つけました。

また、1999年11月22日には自衛隊の練習機T-33Aが埼玉県狭山市の入間基地北東約2キロの河川敷に墜落し、送電線に当たって大停電になった墜落事故がありました、この時、脱出が遅れて二人の自衛隊員が犠牲になりました。
私はこのニュースを聞いた時、市街地を避けて最後まで操縦してくれたんだなと思いました。

最近になってネット検索したところ「13秒後のベイル・アウト」としてYouTube等で話題になっていた事がわかりました。

こういう話は軍用機ばかりではありません、民間航空においても、感動的な秘話はたくさんあります。

台湾で神様になった零戦搭乗員、杉浦中尉「飛虎将軍」の様に彼らの事を忘れないで欲しいとおもいます。