『人はなぜラブレターを書くのか』という映画をご存じでしょうか。
2000年3月8日、東京・日比谷線脱線事故で命を落とした17歳のボクサー・富久信介さんをモデルにした作品です。
事故から20年後、当時プロボクサーを目指していた彼を指導した大橋秀行会長のSNSに、
見知らぬ女性からメッセージが届きました。
毎朝同じ電車に乗り合わせていた、当時の女子高生の方からです。
名前も知らない。話したこともない。それでも富久さんは、電車内で痴漢に遭うAさんを何度も守っていたと言います。
「名前も知らない私に、優しさを向けてくれた」と、彼女は20年越しに綴りました。
そのメッセージは、富久さんのご両親へと転送され、
お父様は、こんな風にお返事をしたそうです。
「お優しい心遣いに何度も読み返し、うれしくて少し悲しくて読むたびに涙が止まりません。
武骨でシャイでプライドが人一倍高く、口数の少ない奴でしたので彼女はいないんだろう、できないだろうと思ってました。
貴女(あなた)のお便りを拝読して、彼奴(あいつ)にも「守ってやる」女性がいたんだと。
今となっては彼奴の胸の内は知るよしもありませんが、淡い恋心が芽生えていたとしても何ら不思議ではありません。
そうあって欲しいと切に願います。少しでも恋する心、愛する心を知って旅立ったと思いたいのです」
道半ばで先立たれた悔しさを滲ませながらも、どこか温かいこのお返事に、
親の愛、そして人を育むことの本質が詰まっているような気がしました。
私たちは、他者の"見えている部分"だけでものごとを判断しがちです。
しかし、誰かと直接関わっている時間というのは、その人の人生全体から見れば、決して多くはありません。
自分のいない時間にも、その人は一生懸命に生きて、何かを学び、何かを鍛え、何かに気づき、何かに怒り、そして何かを愛しているのです。
誰かの成長や幸せを願うとき、私たちはそのような「自分と関わっていない時間」へと思いを馳せることが大切だと思います。
その間の葛藤や頑張りを想像し、時にはそっと気づかないふりをしながら見守る。
そういった「心の余白」を持っているかどうかで、関係の深さも、育みの質も、大きく変わってくるのではないでしょうか。
それは我が子に対してだけではなく、企業における人材育成においても、まったく同じことが言えます。
確かめようのないことであっても、そこに思いを馳せ、願い続ける気持ちは、
時と場所を超えて相手に届くことがあります。
そして、今を生きる人であれば、それを確かめることだってできるはずです。
思いを伝えてみたり、率直に聞いてみたり、時にはぶつかり合ってみたり、
関わり続けることで、できることはいくらでもあります。
それをしないでいることが、いかにもったいないか。
お父様の文章を読みながら、そんなことを感じました。
いつどうなるかは、誰にもわからない。だからこそ、今を精一杯生きていきたいですね。
人事コンサルタント
金森秀晃
