鷹は70年も生きるらしい。
ただ、そのためには40歳くらいのときに、
ある一つの重要な選択をしなくてはならないようだ。
40年も生きると、
くちばしは長く曲がり、
羽は衰え重くなり、
爪は醜く色褪せる。
(人間だと50歳くらいのカンジなのかな?)
その際、
道は二つに分かれる。
そのまま衰えに身を任せるか、
(そのまま、死んじゃうんだって)
一方、
寒風に身を晒すか。
いやいやマジらしいぜ。
決断した一部の鷹は、
環境の厳しい山頂に巣を構え、
使い古したくちばしを岩に叩きつけて割り、
一枚一枚自らの爪を剥ぐ。
さらに、
羽も一本一本抜いていく。
その結果、
砕け散ったくちばしの根元からは、
新たに、
艶やかで力強いくちばしと、
40年の叡智を宿した鋭利な爪が生えてくる。
そして、
また大空高く舞い上がり、
残りの30年に悠然と向き合っていくのだ。
僕らの衰えは、
鷹ほど見える形で鮮明に現れないかもしれない。
一見、
いかようにも誤魔化せる。
鷹における物理的な衰えは、
過酷な自然環境に身をおく捕食動物ならではの美醜の差なのだろう。
なら、
人間ではどうだ。
鋭利な思考か。
信念を宿した瞳か。
人の心に火を灯す口述か。
主観を自制する忍耐か。
困難を楽しむ強靭な精神か。
変化に対する耐性に基づく多様な解釈か。
まったく分からんね。
ただ、
そうした勇気ある一部の鷹の選択は、
他の個体を意識したものではない、ということだけは分かる。
そこには徹底して、
己との勝負しかない。
何が本当に大事なのか、
今まで受け入れなかった価値観を受け入れ、
新たな自分を開発していく必要があるのだろう。
え~!! やだ~!
40年なんとかやっとこかろうじて頑張ってきたんだからさ、
あったかいとこでぬくぬくしてたいよ~
と、
プレゼント代わりにいただいた、
いいハナシを聞いて、
安穏と衰えに身を任す側であることを再認識した次第です。