日々、
たくさんの方のいろんな相談を受けるが、
対人関係に起因していないものは、ないといってもいいかもしれない。
人の評価や関心が気になって仕方ないケースが多い。
20代は承認欲求の塊であってもいい。
ちょっとしたことで、
たくさん憤慨し傷を負えばいい。
ただ、
信じることを止めてはいけない。
(「見切る」のはもっとも容易い手段。後でしわ寄せがくる。)
「信じる」という行為は、
相手は関係ない。
自分で決めたら「信じる」んだ。
相手次第でコロコロ変えていたら、
一向に強くならないじゃないか!
(分析、見極め、とは別ね。)
30代は、心から「貢献」できるテーマを見つけるとラクになる。
40になっても、
承認欲求が止まらない人はちとイタい。
そういう人を見かけたら、
電光石火でどっか褒めてすぐさま逃げよう。
(いや、
専門的に言ったら、
「褒める」ってのは評価に繋がってムッとする人とかいるから、
「自分事で褒めよう」。
「勇気をもらえる」とか「励みになる」ってな具合に。
「羨ましい」ってのもイイね!)
なるべく早いうちに、
社会「貢献」できる体制を整えることだ。
(もちろん、力は微々たるもんだ。一気に強くなることなどできない。
ただその過程一つ一つが、結果だ。焦る必要はない。)
小さく考えると、
ちょっとした対人関係が気になって仕方なくなる。
「みんな仲間」
という意識でより大きく捉え、
「貢献」できる「価値」づくりに没頭できる自分をつくれば、
人生は、
こっちのモンだ。
ちなみに、
あからさまな敵意を受けたらチャンスだ。
大義を得たことになる。
死なない限り、
全ての傷と敗北は、次に繋がるから徹底的にやれ!
(死んだら、ごめん!)
(あと、結果に対する責任も全部自分だからね)
(ただ、「刺し違えても」くらいの覚悟を持つと新たに見えてくるものもあるかもしれない。)
まあ、
タイトルのセリフは授業でもよく言うことなんだけど、
それくらいで考えた方がいい。
「絶望」から始まれば、
あとは「希望」しかない。
自分と違ったスピードと価値観で生きている人に対して、
こう考えて欲しい、
こう動いて欲しい、
なんて、ずいぶんと傲慢だろう。
10人中1人、2人くらいに嫌われたっていいじゃないか。
(え?9人? ま、まあ…いいじゃないか…。
それは、ちょっと主観が強すぎるかもしれないから、もうちょっと客観性を…
ただ、そのお一人は天使だね。死守してください!)
君に幸あれ!
冒頭の写真は、
名前を呼ばないと、
どこまでも追ってきて攻撃を止めないブル君。
人犬関係も「絶望」から、だね。