J・A・シーザーのライヴを観たのにゃ。アンコールなしの2時間。
ラストの、「青ひげ公の城」からの「Come down Moses」がよかったにゃう。三連続公演の最終日だったが、シーザーは好調(MCはまったくなかったけど)。これからも、まだまだ彼のライヴを観ることができそうにゃ。
J・A・シーザーのライヴを観たのにゃ。アンコールなしの2時間。
ラストの、「青ひげ公の城」からの「Come down Moses」がよかったにゃう。三連続公演の最終日だったが、シーザーは好調(MCはまったくなかったけど)。これからも、まだまだ彼のライヴを観ることができそうにゃ。
作 寺山修司。演出 森永理科。ザムザ阿佐谷。
過去に観た月蝕歌劇団や万有引力のバージョンとは、ラストが違う。どうしても、インパクトは弱くなる。ていうか、いつからザムザはマッチ禁止になったんだ? この間まで、使い放題だったのに。
それでも、見どころは多い。黒蜥蜴の歌の入り方とか、赤い布の使い方とか。何と言っても、三坂さんが元気なのには驚いた。まさか、ここで・・・。ネット配信もあるので、寺山関係に興味のある人はチェックにゃ。最新バージョンの寺山演劇なのにゃ。
最後のセリフ「過去は数学的な法則の中にしか存在しない。」 これの元ネタは、寺山の愛読書だったシュペングラーの「西洋の没落」。最初の方に出てくるから、割と簡単に見つけられる。どういうことかというと、過去は「成ったもの」、「固結したもの(死んだもの)」だから、一定の法則の中に落とし込むことができる。あらゆる法則は数学的な性質を帯びているから、「過去は数学的な法則の中にしか存在しない」となる。
これと逆なのが、未来(「成るもの」)。未来は形がなく、つかみどころがないから、法則の立てようがない。だから寺山は、「毛皮のマリー」ではこう書いている。「過去はすべて嘘(*いくらでも再編集ができるから)。ただ、明日やって来る鬼だけが本当。」
これら二つが、シュペングラーからの影響がモロに出た代表例なのにゃ。
目録が届いたにゃんこ。ちょっと前に、プラトンの「ティマイオス」(講談社学術文庫)の注釈におかしな点があるので指摘した、謝礼なのにゃ。
それは、172ページの「二つの平方数の間にはa二乗:bc=bc:b二乗と一つの中項bcが存在するが・・・」という箇所。「bcじゃなくて、abじゃね」というのが、ワシの指摘。なんで、第三の数cが出てくるの、ってことにゃ。
でも、謝礼はもらったけど、ワシの指摘が正しいのかどうかは不明なのにゃ。ヒマな人は、本屋さんでチラ見して、考えてみてにゃ。
菅原邦城著。ちくま学芸文庫。
山室静や谷口幸男との違いは、北欧人が書いた文献に直接当たっている点だという。日本アイスランド学会会長だという小澤実という人が、解説でそう書いている。だが、ワシが読んだかぎりでは、今まで読んできた山室や谷口の著作とほとんど内容的な違いはないようだ。学者が読めば別なのかもしれないが。ただ、巻末の索引が充実していて、辞典として使えるのはありがたい。
問題は、解説だ。この小澤という人は、菅原邦城を讃える一方で、山室静を貶めている。1980年の「ユリイカ」での山室と谷口の対談を取り上げて、「(北欧神話の)紹介者(山室)と研究者(谷口)の間に見られる意識と水準の差を示す資料でもある」、などと書いている。
なんでわざわざ、こんなことを書くんだろうね。同じ解説の中にはっきりと、「菅原は、山室から刺激を受けて北欧に関心を持つようになった」と書いてある。山室の著作なしに、今回の菅原の本の出版もなかったろうに。学者らしい偏狭さが、むき出しになっているのにゃ。大丈夫か、日本アイスランド学会。