山内進著。ちくま学芸文庫。
だいぶ前に読んだ本が新しく出たので、再読にゃう。裁判とは原告と被告の戦いであるという考え方が中世のヨーロッパにはあって、この伝統が現代のアメリカに特に根強く残っている、というもの。さまざまな決闘の実例が楽しい。
ただ、気になるのは、「聖書には純粋な神判を思わせる記述はない」(45ページ)という記述だ。そんなことはない。たとえば・・・。
列王記上(18、23~40)に出てくる、預言者エリヤと、バアルの預言者たちとの戦い。犠牲の雄牛を引き裂いて、それぞれの神が火をつけるのを待つ、というもの。バアルの預言者たちがどんなにがんばっても、火はつかなかった。それに対して、エリヤが神に祈ると、すぐに火が降って雄牛を焼き尽くした。敗れたバアルの預言者たちは、ただちに殺された。
古代のユダヤ人と中世のゲルマン人には、似たような点もあった、ということにゃう。


