自分の心の問題にカウンセリングが合わないことに薄々気付いてはいたけれど、なかなかやめるキッカケがつかめなかった。
しかし、今回のある出来事でキッパリとやめる決心がついた。
心無いカウンセラーもたまには役に立つことがあるものだ(苦笑)。
今まで受けてきたカウンセリング暦を振り返ってみると、最初にカウンセリングを受けたのが、パニック発作とうつを併発していたときだった。
そのカウンセラーは通っていたメンタルクリニックの主治医の奥さんだった。
一時カウンセリングは中断していたが、うつと神経症が強くなった頃から再びカウンセリングを受けるようになった。
カウンセリング主体で治療をするというのがウリのメンタルクリニックで、そこでお世話になったカウンセラーの数は7人。
20代くらいの若い人から50代くらいの年配者まで年代は様々だが、皆女性だった。
なぜ、こんなに多くのカウンセラーにかかっていたかというと、5、6年という期間が長かったこともあるが、お互いの相性の問題と、転退職等カウンセラー側の事情もあったからだ。
まあ、これほど長期間かつ多くのカウンセラーのお世話になったクライアントもそうそういないと思う(笑)。
自分の問題解決にはほとんど役立たなかったけれど、カウンセリングというものがどんなものかということは分かったつもりだ。
カウンセリングには様々な手法があるようだが、ユング派だとかゲシュタルト派とか、はたまた認知療法を勧めるカウンセラーもいたが、はっきり言ってそんなことはどうでもよい。
一番重要なのは、カウンセラーとの相性である。
ただ、一回のカウンセリングで相性がいいカウンセラーに出会うことはかなりまれで、かなり当たり外れがある(笑)。
また、一度会って相性が良くなさそうだと感じても、数回通ううちに打ち解けてくることもある。
こればっかりは、ある程度の時間や金銭的喪失は覚悟しないといけない。
基本的にカウンセリングというものは、クライアント側が自分の悩みや考えを打ち明け、カウンセラーはそれを「傾聴」して余計なアドバイスをしないのが基本だ。
これは、心の問題が何が原因であるかを突き止めるには効果的だが、そこから先のどういう自分になりたいかという自己実現のビジョンが描けないと頭打ち状態になると思う。
くだけた言葉だと、ただ愚痴を聞いてくれる相手が欲しくて、それでスッキリしたい向きにはいいかもしれないが、それだと「カウンセリング依存」みたいになってしまって、あまりよろしくない。
そんな高価な“グチ聞き料”を払うくらいなら、何でも話せる友人を作った方がいい(笑)。
まあ、カウンセリングに過大な期待をしていると、ただ話を聞いてくれるだけで終わり。
まるで砂を噛むような、腑に落ちない感覚を引きずり続けることになるだけだろう。
ところで、カウンセリングを長年受けていた経験から、最後にこんなカウンセラーにはかかってはいけないというアドバイスをして、私のカウンセリング暦にピリオドを打ちたいと思う。
最近、ネット上でやたら持論を展開したり、メディアに露出して目立つ言動を発信する「カウンセラーもどき」がいるが、こういう手合いにかかるとまず良くなるどころか、かえって症状が悪化しかねないので気をつけたほうがよい。
特にスピリチュアルを絡めてくるのは要注意だ。
カウンセラーはあくまでクライアントの影の存在であり、決して自我や主義主張を表に出さない謙虚な人間であるべきだと思っている。
意外と地味で目立たない、自分の身近にいる人間が良きカウンセラーであることもある。