村井秀夫刺殺事件の真相を追って -30ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

上峯の反論「私はやってない潔白だ」



9月11日、村井秀夫刺殺事件で徐に犯行を指示したとされ、殺人罪の共犯で起訴された上峯憲司被告の初公判が東京地裁で開かれた。

裁判長は安広文夫が引き続き担当したが、陪席裁判官は徐裕行裁判と異なる組み合わせで、右陪席は阿部浩巳、左陪席は飯畑勝之が対応した。


(阿部浩巳裁判官)


(辻洋一弁護士)

上峯の弁護人は辻洋一弁護士が担当した。

今回の起訴事実は徐裕行の供述に基づくものだったが、背後関係の捜査は難航していた。この日は20枚の傍聴券を求め、早朝から924人が並び、事件への関心の高さをうかがわせた。

安広裁判長「傍聴人は発言ができません。静粛にしてください」

安広裁判長は裁判の冒頭、傍聴席に「くれぐれも静粛に」と異例の注意をした。
徐裕行の初公判で高英雄が騒ぎ、退廷させられた事件を思慮しての呼びかけだった。

しばらくして被告人が入廷してきた。

上峯憲司は、ブルーのストライプシャツに濃紺のズボンで法廷に姿を現した。白髪まじりの角刈りで黒ぶちの眼鏡をかけ、はっきりとした声で氏名住所などを述べた。


罪状認否では、上峯は落ち着いた口調で事件との関わりを全面否定した。

上峯「(事件と自分は)全く関係ないです。否認します」

弁護士「共謀は一切ありません。この事件については、世上言われているような、おもしろおかしい背景も一切ない。免罪の構造の典型だ」と述べ、全面的に争う構えを見せた。


検察側は冒頭陳述と証拠調べで

①上峰が「徐は右翼の一員だった」と口裏を合わせるよう周辺に指示していた

②上峰は事件前に一億円の融資を知人に依頼していた


ことを明らかにした。


●上峯憲司と2人の証人



上峯が一億円を必要としていたことを供述したのは上峯の知り合いの元右翼団体関係者と、上峯や徐が出入りしていた都内の有限会社の代表者

元右翼団体関係者の供述調書によると、「名義のために一億円の印紙が必要」「東京進出の足がかり」などと話し、焦った様子だったという。元右翼関係者は自分が関係する会社の社長と上峯を会わせたが、社長と上峯は10分ほど話しただけで、「社長は色よい返事をしなかった」とされる。

上峯被告から融資の相談を持ちかけられた会社の常任顧問の調書では、上峯は4月14日、「いい物件の話があるが、名義変更にあと一億円足りない」「名義変更のために一億必要だ。何とかならないか」と頼んで来た。会社に呼んで上峯を社長に紹介したが、融資は成立しなかった、とされる。

有限会社の社長は95年3月、元暴力団の紹介で上峯と知り合った。上峯は「六本木のビルで一億円が必要」と話したという。


また、検察側は徐裕行の供述調書を読み上げた。しかし、徐の初公判で読み上げられた冒頭陳述とほとんど変わらない内容だった。


①当初、上祐を狙おうとしたが包丁を入れたアタッシュケースが開かず失敗した

②報道陣が囲んでいたために青山弁護士の襲撃も断念した

ーと、村井秀夫だけを刺殺の対象としていなかったことを明らかにした。

(この時点で検察側は村井事件は暴力団のみ犯行と断定。南青山総本部の地下入口について触れられることはなかった。)


上峯被告が事件前に2回、徐被告に会い、

①事件3日前の4月20日、JR目黒駅付近の乗用車内で

「オウムの幹部、上祐、青山、村井のだれでもいいから包丁でやれ」「ある人が期待しているんだ」

②22日午後、東京・六本木の日本料理店でテーブルに「殺」と書き

「これ(殺意)がなかったことにしろ」「組のためにやるんだ」「その場で逮捕されろ。右翼を名乗れ」「このことは誰にも言うな」

など詳しい指示を与えたこと、と話したことを、検察側はあらためて主張。更に


①上峯が所属していた暴力団組員に電話して、徐被告が右翼団体と名乗るだろうから、口裏をあわせるように、と連絡していたこと

②上峯が周辺に「事件は頼まれてやったことだ」と漏らしていた事実を明らかにした。




上峯は椅子に深く腰掛けて、手を膝の上で組み、じっと前を見つめたままだった。
検察官が起訴状朗読をすると、上峯は天井をじっと見上げていた。


参考文献(朝日新聞95年9月11日夕刊15面)、(東京新聞95年9月11日夕刊9面)、(毎日新聞95年9月11日夕刊11面)(産經新聞95年9月11日夕刊3面)(東京新聞97年3月21日)(週刊現代95年8月12日号)より出典
●高英雄「頑張れよ!皆で持ってるからな!」

村井秀夫刺殺事件の「黒幕」はだれだったのか。
95年7月25日、東京地裁刑事8部・四二九号法廷にて、徐裕行被告の初公判がはじまった。


(当時の安広文夫裁判長)

裁判官は安広文夫裁判長。右陪席は大谷吉史、左陪席は平木正洋。
徐裕行の私撰弁護人は清水肇弁護士。

オウムの最高幹部の殺害映像が放送された事件だけあって、一般の関心は非常に高かった。
午前6時半には20人が裁判所の前に集っていた。



午前9時の受付開始時には30度を超す熱さの中、傍聴希望者は679人に膨れ上がった。裁判所は2列に分ける措置を取ったが、それでも列は裁判所の建物を半周し、長さは数百メートルになったという。一般傍聴席はわずか18席で、約37倍の高い競争率となった。



傍聴希望者の中には、年配の男性や若い女性、雑誌やテレビ局が動員したアルバイト学生の姿があった。その列に混じって江川紹子や4、5人の暴力団員風の男性もいた。

江川は赤と白のストライプシャツに紺パンツ、水色のハットにサングラスといった変装姿で列に並んだ。当時頻繁にテレビ出演していた彼女はお茶の間では有名人だった。スッピン顔で髪もボサボサだったため周りの人は誰も気付かなかった。同行していたマスコミ関係者4人は、あまり公にしたくないのか、江川を日陰の柱によりかからせて周りを囲み、人目をガード。しかし、あまりの暑さに江川は地面に座り込んでしまった。「公判で新しい話が出れば、と期待して並んだ」(関係者)ということだが、抽選は全員はずれた。江川一行は地裁を後にした。



この日、東京地裁によるとロス疑惑で殺人罪に問われていた三浦和義被告の判決公判で791人が並んだとき以来の傍聴希望者であった。

東京地裁では、社会的に関心の高い刑事裁判になると、法廷の入口において、金属反応検査がなされる。ハイジャック検査のように、金属探知機ゲートを設けて、少しでも反応すると、金属探知棒でチェックする。カメラやテープレコーダー類の持ち込みや、刃物や短銃がないか検査するのである。

ところが、今回は、金属反応がなくても念入りなボディチェックが行われ、女性の傍聴人のために、女性警備員が動員されるほど警戒が厳しくなっていた。


(麻原彰晃の初公判時の一般傍聴希望者は12,292人だった。)



午前10時、開廷。38席の傍聴席は満席。法廷には作家の故・佐木隆三氏(2015 年10月31日没)の姿もあった。

静まり返った法廷に徐が手錠をかけられた姿で現れた。
紺の横じまのTシャツにベージュの麻のズボンとベスト姿。刺殺前に整えたパンチパーマは刈り取られ、頭は丸坊主姿にされていた。徐裕行の顔色は佐木氏には青白く見えたという。

すると突然、傍聴席の最前列中央右側にいる男が大声を発した。



高英雄「頑張れよ!皆で待ってるからな!!」

叫んだ男はクリーム色のサマージャケットに、派手な黄色の柄もののシャツ姿だった。徐を励ますような物言いで叫んだ。(高が叫んだ言葉として「皆で見守ってるからな」と記した文献も見られるが、佐木氏によるとこれは誤りだという。)




安広裁判長「その男、退廷を命じます!」

大声で叫んだ男の正体は、徐の旧友、高英雄だった。

高英雄は暴力行為の疑いで逮捕されたが、捜査当局は事件の関連性を確認できず、処分保留で釈放された。高はこの瞬間のためだけにわざわざ仲間を集め、37倍の競争率に当選したのだった。見を乗りだした高を5、6人の職員らが取り押さえる。






高英雄「性根入れてな!!」

傍聴している人たちの間に緊張が走った。

ところが徐は振り返らなかった。
高はそのまま法廷から引きずり出されていった。
佐木氏は反射的に高の様子をメモにとった。


(実名報道される高英雄)

退席後させられた高は、裁判所1階の正面玄関付近で待っていた2、3人の仲間と合流。何やら二言三言話すと、そのまま外へ出ていった。


(当時の佐木隆三)

騒ぎが鎮まると、起訴状朗読が始まった。
徐は被告人席で手を後ろに組みながら聞き取った。

【起訴事実の認否】

検察官が起訴状朗読をしたあと、起訴事実の認否が行われた。

安広裁判長はここで地検側の対応に、時系列的な問題があることをを指摘した。

東京地検が徐裕行を殺人・銃砲刀剣類法違反で起訴したのは5月14日。
しかし、この時点で起訴状には「上峯と共謀して」という一文が入っておらず、”徐の単独犯”ということになっていた。

その後、6月2日に東京地検は上峯を殺人罪で起訴し、「徐裕行と共謀して」と起訴状に明記し直した。この経緯から安広裁判長は起訴状に間違いがあるか、徐に確認した。

安広裁判長「書いてあることに間違いはないか?」

徐裕行「(起訴状に)共犯者のことが書いてないが、その指示による犯行です」

徐「殺意を否定するわけではないが、犯行当時は無我夢中でした。殺してやろうとはっきり意識していたわけではない」

その直後、主任弁護人の清水弁護士が、裁判長に対して、弁護方針を明らかにした。

清水弁護士「殺意の存在を、全面的に争うことはない」


証拠採用された乙号証(本人調書)からの一部から、検察官が要旨を告知した。

徐裕行「羽根組の組員として、上峯の命令に逆らえないと思った。しかし、(組のためでなく)上峯の私利私欲のために利用されたのかと、疑念が生じている。上峯が指示したことを否認しているのは許せない。事実を隠しては、人間としては後悔するから、指示されたことを話す気になった」


検察側冒頭陳述がはじまると、徐は目を細めに開きながら、調書を基に犯行経緯を説明する検察官を見据えた。



●【犯行に至る経緯】

「被告人、徐は、高英雄が暴力団5代目山口組直系羽根組の組員であったことから、同年(94年)5月ごろから、三重県伊勢市所在の同組事務所および組員宿舎などに出入りして、同組関係者との交際を深め…翌年(95年)3月からは時おり伊勢市内の羽根組事務所に出向いて電話当番をするなどして、実質的に同組員として活動していた。

上京中の同組幹部、上峯憲司被告から友人を介して電話連絡するように指示を受けたので、今年4月20日の午前11時ごろ、上峯被告の携帯電話に架電したところ、同人から「話があるから六本木かどこかで飯でも食いながら話をしよう。昼ごろまた電話をしてくれ。このことはだれにも言うな。一人でこい」など告げられた。

被告人は、目黒駅に赴き、午後1時ごろ、元羽根組組員の運転する自動車に同乗して同駅西口前に現れた上峯被告と出会い、被告人も同車に乗車した。

駐車場の車内において、被告人は上峯被告から「やったら、その場で逮捕されろ。そして、右翼を名乗れ」と命じられ、動機に関しても、「地下鉄サリン事件で犠牲になった人たちの痛みを分からせてやりたかった。オウム真理教は許せない」など、右翼としての主張を述べるよう指示され、「ある人がお前を期待しているんだ」「このことは絶対だれにも言うな」など厳命され、当座の足代として現金2、3万円を渡された。

被告人は、21日夜、教団関係の報道番組を見て、オウム真理教の上祐史浩・緊急対策本部長が港区南青山のマハーポーシャビルにいることを知り、早く済ませて楽にしようと考え、午前9時30分ごろ、公衆電話から上峯被告の携帯電話に架電し、「上祐が今もマハーポーシャビルにいる。今からでもいいですか」などと上祐殺害を持ちかけるが、上峯被告から「今日はだめだ。また明日の夕方電話しろ」と言われ、同日におけるオウム幹部殺害の決行を断念した。

被告人は22日午前11時ごろ、足立区の建築金物店に赴き、刃物が長く、刃先も鋭い牛刀を5000円で購入し、アタッシェケース内に隠匿携行した。

被告人及び上峯被告は、港区六本木6丁目の日本料理店に行き、上峯被告から再度、犯行の直後に現場で逮捕されること、右翼として義憤にかられた犯行であると述べること、他人からの指示を受けたことではないと述べることなどを命令され、加えて、テーブル上に指先で「殺」と書き、「警察ではこれがなかったと言え」などと、殺意を否認することも指示された。

また、被告人は、上峯被告から「いつごろやれるのか」と問われて「一日でも早くケリをつけたい」と答えた。



【犯行状況】
被告人は、牛刀を隠匿してアタッシェケース内に所持し、4月23日午前11時ごろ、徒歩でマハーポーシャビル前路上に到着し、見物人を装い待機を始めた。

村井秀夫幹部は、同日午後4時30分ごろ、山梨県上九一色村の教団施設から自動車で出発して午後8時30分ごろ、ビル付近交差点に至り、いったん同ビルの地下入り口に向かって外側階段を下りたものの、出入り口が施錠されていたために再び地上に戻り、1階のビル出入り口に向かって歩いていった。
被告人は、村井幹部がビル1階出入り口方向に歩いてくるのを見て、殺害することを決意した。

午後8時36分ごろ、被告人は村井幹部が近づいてきたところで、アタッシェケースから牛刀を取り出し、村井幹部の右わき腹付近を突き刺した。




●【検察側冒頭陳述・要約】

⑴上峯被告は事件の3日前、徐被告に「ある人がお前を期待している」などと話した

⑵上峯被告は事件前日に、都内の日本料理店でテーブルに指で「殺」と書き、改めて徐被告に教団幹部の殺害を命じるとともに、捕まっても殺意はなかったと言うように指示した

⑶徐被告はいったん、教団緊急対策本部長の上祐史浩氏の殺害も考えた



冒頭陳述後、村井秀夫の両親や、徐の家族の話にうつった。
この時徐は幾分伏せ気味にしていたという。対照的に仲間の元暴力団員らの証言を聞くときは鋭い視線で、時折けげんそうな表情を浮かべた。



そして検察官から、村井刺殺時に使用した牛刀を物証として提示されると「(犯行に使った凶器に)間違いありません」と認め、現場の写真などを一枚一枚丁寧にめくって見届けた。

初公判は1時間15分で終了し、徐は再度手錠をかけられ退場した。

初公判について捜査当局は「上峯被告から指示された」とする徐被告の供述は具体的、詳細で信憑性は高いと判断し、「上峯が頑強に否定するほど『かえって何らかの組織が介在していた疑いが強まる』」とし、今後も背後関係の究明につとめるとした。


(徐裕行の法廷画。傍聴席には佐木隆三氏も描かれている。)

 (朝日新聞95年7月25日夕刊15面) (毎日新聞7月25日夕刊9面) (週刊ポスト8月11日号214項) (東京新聞97年3月21日)より出典


●徐裕行の弁護人、清水肇について

初公判後、徐の私撰弁護人である清水弁護士(当時43)は、今回の事件の弁護を引き受けた経緯について
「彼のお母さんの関係で弁護を引き受けました」と説明。徐は犯行前に共犯者の上峯憲司から「いい弁護士をつけるから、心配するな」と激励を受けたとされるが、清水弁護人は「何人か(羽組関連の)弁護士がいたようだが、私は組の依頼を受けた弁護士ではない」と主張。
次回公判からは殺意の任意は問わず、情状酌量の立証を中心に弁護を進めていくと語った。

●柳日竜、逮捕される

警察は村井秀夫刺殺事件の背後関係を洗うべく、羽根組関係者の別件逮捕を押し進めた。

95年5月12日、四課は羽根組若頭の上峯憲司、徐の同居人高英雄を逮捕。
19日には高英雄の金融業を手伝った在日朝鮮人・柳川竜星こと柳日竜(当時22)を都内の会社社長を脅迫し、暴力行為をした疑いで逮捕した。

捜査は当初警視庁捜査一課が調べようとしていた。村井事件より前から、不動産取引などの件でオウムと暴力団の接点がある情報をキャッチしていたためである。

ところが上層部の方針で捜査四課に変更された。捜査四課は暴力団対策を担当する組織で、体格が良くヤクザと見分けがつかない強面の刑事たちで構成されていることから、俗にマル暴とよばれている。羽根組にはマル暴が一番、という判断だったのだろう。しかし一課の刑事、小山金七は納得がいかなかった。果たしてマル暴は真相を暴くことができるのか?小山の胸中には不安が残っていた。


(連行される徐裕行。)

●焦燥

捜査官「上峯が捕まったぞ」

取調室の中で若頭の逮捕を告げられた徐は動揺した。

捜査官「お前、事件当日の朝、上峯の携帯に電話かけたよな」

徐裕行「よく覚えていない」

捜査官「嘘付け。記録が残っている」

捜査官「料金でいえば10円ぐらいの電話だったようだな」

警察の情報収集の早さに徐の心拍数は急上昇した。警察に付け上がらせないためにも平常心を装い、上峯をかくまった。2人が謀議してた疑いに取り調べが及ぶと、徐は共謀を全面否認し、次のように答えた。

徐裕行「みねさんから指示されて殺害したり、物的に支援を受けたことはない」

「知らない・わからない・覚えてない」ととぼけ続けた徐だったが、上峯との関係を突きつけられ、言い逃れができるのは時間の問題だった。

捜査官「社会正義とは無関係な暴力団員が、何の利害関係もなく、ただ税金の無駄遣いやサリン犠牲者への心の痛みで村井氏を刺殺するとは到底考えられない」





娑婆では在日仲間やヤクザに支えられていた徐も、牢獄では孤独だった。唯一手を差し伸ばしてくれた弁護士の前でも徐は嘘を吐いた。清水肇弁護人との接見時、徐は次のように話している。

徐裕行「上峯さんは自分の(オウムの関係者を痛い目にあわせるという)意図を察していたかもしれない」

長い孤独と警察のゆすぶりに徐の精神はボロボロだった。


徐裕行「俺だけ損してばかりじゃねえか!哀号!!」


●徐裕行、裏切る

失望と苦悩に陥る哀れな男の耳に、今度は羽根組が解散した話が飛び込んできた。
徐は強い衝撃を受けた。長い留置生活で、若頭への忠義がぐらついていた矢先のことである。

捜査員「お前、騙されてんじゃないか」

その一言がそれまで耐え続けていた徐の精神に追い打ちをかけた。
徐は疑心暗鬼に陥陥り、かつての仲間に憎しみを爆発させた。そして、それまで捏造していた供述を全面転換させ、犯行は上峯あらの指示だと認めた。



(徐裕行の尋問を再現した漫画。実際は若頭への疑心暗鬼がきっかけで供述をはじめたという)


徐裕行「右翼思想に基づく犯行ではない。羽根組若頭から、 『オウムはとんでもない組織だ』と、何度も繰り返し聞かされ、自分もその気になった」

徐裕行「上峯に『一斉捜査やなんかで大量の警察官を動員しているけれど、これも国民の大事な税金が浪費されるような自体を起こしたヤツは許せない』『あんなやつらをのさばらせていいのか』と言われ、『そうだ』と思って犯行を起こした」

「襲撃相手に村井秀夫、青山吉伸、上祐史浩の三人の名前が挙げられ襲撃計画が持ち上がった」

5月27日、徐は証言した日時に誤りがあったことを認めた。「4月17日に殺害を依頼された」から、「20日の直後に殺害の依頼を受けた」と供述。

徐裕行「上峯には『失敗しても良いから』といわれた。絶対に殺せと言う命令ではないと思い、そのつもりで現場に行ったが(報道陣など)大勢の人間がいたので興奮してやってしまった」

死刑は恐いので、殺意は断じて否定した。



この時、徐は雑談も含めて素直に応じ、「できれば殺したくなかった」と話していたという。留置場では時代小説やSF小説などを読み、弁護人にはノートの差し入れを頼んで「心境などをつづりたい」と語っていた。(毎日新聞95年7月25日夕刊9面より出典)