村井秀夫刺殺事件の真相を追って -29ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

不穏な雲行き

 

責任を上峯に転嫁し続ける殺人犯、徐裕行。
調べに応じるも調書には署名せず、免罪を主張する上峯憲司。
双方の不自然な主張に検察は不信感を抱いたものの、警察側の捜査が不十分なため、真相に近づくのは困難だった。

それより問題なのは判決日が迫っていることだった。
元東京地検特捜部長の河上和雄弁護士は次のように予測している。

河上和雄「上峯被告が容疑を全面否認し続ける以上、背後関係の解明は望み薄。それだけでなく、徐被告の態度にもまだ疑問は残ります。彼は、妙に度胸がいいんです。何の訓練も無く、衆人環視の中であれだけの殺しができるのか。動機面でも、組の幹部から殺せといわれただけで殺したのが不思議。カネも数万円しかもらっていないようなのに……。上峯被告だけでなく、徐被告も、まだ何かを隠している。完全にしゃべりきっていない、という気がします」

村井事件の背後に隠された闇は依然深く、このまま公判が進めば、両被告の量刑は「求刑は懲役15年、判決は懲役12年程度」(河上和雄)と予想された。

(週刊朝日95年8月11日36項より引用)


徐被告に懲役15年求刑

10月24日。
殺人と銃刀法違反の罪に問われた徐裕行の第四回公判・論告求刑が東京地裁で行われた。

検察側は「”殺しのプロ”による計算し尽くされた冷酷非道な犯行。人名を軽視する犯罪を鎮圧するためにも厳罰に処すべき」などと述べ、徐裕行に懲役15年を求刑した。

検察は論告で

「暴力団の世界に置ける”箔付け”ともいうべき暴力団の論理により、”ヒットマン”としていとも簡単に人命を犠牲にした。犯行は周到に計画、準備され、確固たる殺意の秘められていたことが浮き彫りになっている」

「地下鉄サリン事件などへの関与も疑われた被害者の口封じになり、一連のオウム事件の真相解明に甚大な影響を与えた」

と、殺意を強調。指示したとされる上峯憲司と責任に差はないとし、犯行を”テロ事件”と断定。

「テロ事件の性格があり、ほう秩序に対する挑戦で強く糾弾されるべきだ」

「綿密な計画のもとに行われた冷酷、かつ非道な犯行で、社会に行われた影響も大きい」

「”殺しのプロ”による計算し尽くされた冷酷非道な犯行。人名を軽視する犯罪を鎮圧するためにも厳罰に処すべき」と述べ、懲役15年を求刑した。

引き続き行われた最終弁論で、弁護側は「犯行を指示された経過は徐被告にも分からず、”鉄砲玉”として利用された。犯行も現場での激情犯で、事前に確定的殺意は無かった」と寛大な判決を求め、

「拒絶できないことを見越して命令した者は卑劣」などと、上峯被告を厳しく非難、「殺してやろうとの認識ではなかった」と主張を繰り返した。


毎日新聞95年10月24日夕刊9面 産経新聞95年10月24日夕刊3面  朝日新聞95年10月24日夕刊14面  東京新聞10月24日夕刊9面


●判決懲役12年

1995年11月13日午前。
ついに東京地裁で徐裕行に対する判決公判が開かれた。



この日、徐はベージュのスウェット姿で出廷。丸刈りだった髪は伸びていた。

安広裁判長「暴力団の論理に基づく犯行動機に酌量の余地はなく、犯行態様も冷徹。テレビ中継された現場で敢行され、一般市民に大きな衝撃を与えた」「懲役12年に処する」

安広裁判長が「懲役12年に処する」と判決主文を二度繰り返すと、徐は小さくうなずいた。

判決で安広裁判長は「暴力団の準構成員だった被告人が、暴力団幹部の殺害指令で被害者を牛刀で刺殺したという凶悪事犯」と認定。


安広裁判長「自己中心的で反社会的な『暴力団組織の論理』に酌量余地はない。

被告は並々ならぬ決意で殺害指令を実行に移しており、確定的殺意があったと優に認められる。

非情、冷徹、犯意の強固さには、人間の生命の尊さに対する畏敬の念などみじんも感じられない。法秩序に対する公然たる挑発行為。

たとえ被告人が首謀者でなく、多額の報酬等の約束があったわけでもないとの事情があるにしても、実行者としての厳しい非難は免れない。

地下鉄サリン事件などの解明を妨害する結果を招いた点も無視できない」


…等とオウム事件の捜査を撹乱させた影響や徐の反社会的人格について言及した。

村井秀夫の犯行についても触れ未曾有の重大犯罪に深く関与したと疑われた者だが、法の裁きによらず理不尽な所業で命を奪われていい道理ではない」と殺人鬼・徐裕行の凶行を批判した。





徐は足を開き、手を後ろに組み判決を聞いた。かっぷくのいい体がかすかに揺れていた。

安宏裁判長が控訴方法を説明した後、「まじめに務めれば仮釈放もあるからよく考えて」と話しかけると、徐は「はい」と何度も小声でうなずいた。

懲役12年。徐の犯した凶行は、村井の両親に傷跡を残しただけではなく、村井に殺された人たちやその家族まで余波を与えた。

裁判では明らかにならなかった部分があまりに多過ぎ、納得できない結末のまま判決が下った。
安広裁判長は、最後に異例の発言を付け足すのだった。


「犯行の背後関係はいまだ解明し尽くしておらず、不透明な点が残されていると言わざるを得ない」


判決後、徐は裁判所の地下で弁護人と接見し、「控訴するつもりはない」と話した。
弁護人によるといつも通り口数は少なく、「お世話になりました」と述べたという。


東京新聞95年11月13日夕刊1面 産經新聞95年11月13日夕刊1面 スポーツニッポン95年11月14日 夕刊フジ95年11月14日


江川紹子「珍しい判決です」



徐裕行の判決公判が開かれた13日、ジャーナリスト・江川紹子も傍聴人として法廷に入った。

傍聴後「懲役12年(求刑15年)」という判決に対し江川は
「軽い判決ではないと思う。人を殺したという結果の重大さが表れている」とコメント。

判決は妥当であると見解を示した。だが、村井事件の背後関係が未解明のままの判決だったことに対して江川は「珍しい裁判」と指摘。「事件の全体像が明らかにされていないのに、ただ、人を殺したということだけで裁かれてしまった」と疑問を投げかけた。
●民族派右翼の黒い影

上峯憲司が逮捕前、徐裕行の弁護人探しをしていたことは周知されていた。ところが逮捕されるや否や態度を翻し、「徐裕行とは面識が無い」「食事をしただけでオウムの話などはしていない」と虚偽を主張するようになった。

この時、警察の間では上峯を援護する右翼団体が注目されていた。
ここで、サンデー毎日95年8月13日号36項より引用してみよう。


「ある暴力団を破門され、現在は羽根組と親しいA氏という人物が、上峯被告から『もしおれが捕まったらB氏のところに連絡してくれ』と告げられていたというのです。この事実は捜査当局の資料にも記載されています」

捜査関係者が名を挙げたB氏とは、ある右翼団体の代表を務める人物である。学生時代から右翼活動に身を投じ、「思想家を持って任ずる民族派の大物(関係者)」といわれている。(略)

さらに捜査関係社によれば上峯被告の弁護人にもB氏から紹介された弁護士がついているというのである。(略)

では、上峯被告の弁護人はどういういきさつで選ばれたのだろうか。これまでマスコミへの登場を拒否してきた上峯被告の弁護人が、本誌の直接取材に初めて口を開いた。

「ぼくは山口組から頼まれたんだ。B氏から頼まれた弁護士も一緒に入っていますよ。でもその羽根組の親交者とやらがしゃべっていることは全部ウソですよ。警視庁だって相手にしていないんじゃないですか」

この弁護人はA氏の証言に真っ向から反論し、「ぼくらは公判で勝負するから今は言わないが、見ていてごらんなさい。(上峯の)公判はきっと荒れるよ」というのだ。あたかも、徐被告の「自供」で追い込まれた上峯被告を救う「秘策」があるといわんばかりの口ぶりである。



この記事でサンデー毎日は、上峯がかつて所属していた九州雷鳴社の名付け親は新右翼の理論家・野村秋介だと紹介している。野村は1993年10月に朝日新聞本社で拳銃自殺を遂げ、民族派の間ではカリスマ的存在であった。命日になると追悼集会「群青忌」が毎年行われる。


(野村秋介)

野村はある暴力団組長と懇意な間柄で知られているのだが、この暴力団はオウム真理教や某宗教団体との接点が噂されており、野村の門下生である新右翼活動家たちも親しい関係であった。

彼らは後年、徐裕行と只ならぬ関係を築いていく。



●対決!徐裕行VS上峯憲司

95年10月13日。東京地裁。
徐は体を左右にゆすりながら入廷した。証言台に立つと、凄まじい形相で上峯を睨みつけた。
上峯も鋭い視線を返した。睨み合いは10秒近く続き、法廷に緊張が走った。

検察官の質問
犯行3日前の4月20日、車の中で上峯が指を折り曲げながら教団幹部3人の名を挙げて殺害を指示したことや、人差し指を曲げながら短銃を撃つ動作をし、「これではなく包丁でやれ」と言われたことを具体的に証言。上峯の携帯電話番号もすらすらと答えた。

徐裕行「ヤクザとして生きていくには承諾せざるを得なかった」

尋問には丁寧な言葉で答える徐だったが、かつての”兄貴分”を呼び捨てた。
被告人席にいた上峯はふてぶてしく、時折呆れたような表情で徐をみつめるようになっていた。



徐は上峯から殺害の指示を口止めされていたが、20日夜に飲食店で会った親友を店の外に連れ出し、右手で包丁で刺す真似をしながら、「これからこれをやらなければならない」と話していたことも明らかにした。

徐裕行「少しでも延期したいと思う半面、心の重荷を早く降ろしたかった」と犯行の心境を改めて証言。

殺意を否認しなかったことについては
徐裕行「人の命を奪ったのだから(殺意を)否認することは自分にとって問題のような気がした」と述べた。

尋問が始まる頃は余裕に振る舞っていた上峯も、証言が具体的な指示内容に迫ってくると、落ち着かない様子を見せる。

ところが、徐裕行も声は時折小さくなり、その都度裁判長から「大きな声で」と窘められる事態が起きた。



最後に検察官から「上峯被告は冤罪だと言っているが…」と聞かれると

徐裕行「冤罪なんかではないです」

ときっぱり答え、数秒間、上峯被告と睨み合いながら退廷した。


産經新聞10月14日朝刊27面 朝日新聞10月14日朝刊30面 毎日新聞10月14日朝刊29面 サンデー毎日95年8月13日号
初公判の影響

麻原が逮捕されてから4ヵ月後。オウム事件の捜査が進むにつれ、地下鉄サリン事件にとどまらず、落田耕太郎さん殺害事件、松本サリン事件、銃器や覚醒剤などの密造といった、教団の犯罪に、村井秀夫が中心的な役割をしてきたことが明らかとなってきた。

それだけに、事件の鍵を握る村井のタイミングの良過ぎる死に、オウムと暴力団の共謀疑惑が浮上していた。

ところが、初公判の冒頭陳述では、徐が村井を狙った理由について、まったく詳しく触れられなかった。救急車の中で「ユダにやられた」という証言も、総本部の地下扉の鍵が閉められたことも冒陳では無視された。

検察関係者「当然調べるべき羽根組組長の調書も上がってきていない。警察は上峯の背後まで調べる気がないのではないか」(週刊朝日95年8月11日号より引用)

検察側は警察の捜査の杜撰さに頭をかしげるしかなかったという。

●徐裕行、村井秀夫に謝罪?

95年9月26日午前、徐裕行被告の公判が東京地裁で開かれた。
この時の徐は、深緑色のトレーナー姿で入廷した。

被告人質問がはじまると、徐は上峯に指示された犯行だったことをあらためて主張した。

徐裕行「事件のキーマンとなる人の命を私の手で絶ってしまった。(その結果)捜査に弊害を与えたこと、村井さんが今後、自己弁護できなくなってしまったことは残念です」

徐は淡々とした口調で、村井秀夫に謝罪する姿を見せた。
(徐が謝罪したのはこの時だけだった。)



清水弁護人「なぜ最初は上峯をかばったのか?」

徐裕行「ヤクザとして生きていく決意の表れだった。彼のことは話は出来ないという気持ちだった」

清水弁護人「真相を話した理由は?」

徐裕行「偽りの供述が続けられなくなった。私服を肥やすというか、(刺殺事件が)組とは関係ない上峯個人的な犯行ではないかという疑問が出てきた」

組が解散したことを警察に聞かされた時について質問されると
「驚き、組とは関係ない、上峯の個人的な犯行と思った。上峯個人の私腹を肥やすような犯行では」と疑問がわき、一転して真相を打ち明けたという。

安広裁判長「ヤクザとして(羽根組)に受け入れられたくて(犯行を)引き受けたわけですね」

裁判長から問いかけられると、徐は真面目な口調で反論した。

徐裕行「受け入れられる、られないの問題ではなくて、自分がヤクザとして生きていきたいということです」

「これからヤクザ者として生きていこうと決意したからには、やらざるを得ないと思った」

●殺害の経緯

徐裕行「初めは無感情だったが、時間がたつにつて、とんでもないことをしてしまったと思うようになった」

清水弁護人「ある人がお前に期待している」と言われた”ある人”が誰かについては?」

徐裕行「自分が考えただけで…」

ここで徐は一旦、回答を控え、しらを切ろうとしている。徐の不真面目な対応に弁護人は重ねて問いた。仕方なく徐は組長の名前を答えた。

徐裕行「羽根(恒夫)組長です」

上峯からの指示については「上祐・青山・村井の3人のうち、だれでもいいから包丁でやれ」という内容で、村井幹部だけを狙ったわけではなかった点を改めて強調。

徐裕行「なぜオウム真理教なのか、むしろ疑問だった」

徐「できれば殺したくない。手加減をして、けがで終わればいいと思っていた」

「アタッシェケースのロックを外し、右手をケースに入れ包丁を握ったが、刃物で人を刺すという行為が怖かった」

徐「(現場での行動が)挙動不審に映り、テレビに撮られている意識はあった。怪しまれている以上、今日を逃せられないと思った」

徐「マスコミでもないのに挙動不審だったことは自分でもわかっていた。私を映しているカメラもあった。怪しまれている以上、今日を外すことは出来ないと焦った」

徐「しくじって残念という気持ちと、やらなくて良かったという安ど感で複雑だった。体は震えていた」

人前で平然と殺人をやってのける男が、「体は震えていた」、「怖かった」と女々しく呟く。卑屈に自分語りを続ける徐の姿に、誰もが異様に思えた

法廷では上祐・青山が狙われた可能性について取り上げられた。

上祐を狙ったときについて徐は
「2、3歩踏み出しただけで中止にした」と法廷で説明した。

青山吉伸が姿を見せたときについては
「報道陣に囲まれて見えず、踏ん切りがつかなかった」と述べた。


●更生

殺害指示を否認している上峯への今の気持ちを問われると、徐は

「事実は一つだけなんで、事実を言ってほしい」と訴えた。

検察官「同じことを(上峯被告の法廷でも)証言する勇気がありますか」

徐裕行「はい」


徐裕行「村井幹部の父親の調書を拘置所で読み、謝罪文を書こうとしたが、どんな言葉を並べても悲しい想いがするだけだと思い断念した」

弁護人「今後、どう更生していくのか」

徐裕行「懲役が長くなるとおもうので、具体的な方法は考えていない」

弁護士の問いに答えた後、徐裕行は誓いの言葉を付け足した。

徐裕行「暴力団との付き合いは絶つ」


(読売新聞95年9月26日夕刊19面)、(東京新聞95年9月26日夕刊11面)(産經新聞9月26日夕刊3面)より出典