村井秀夫刺殺事件の真相を追って -11ページ目

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

石井紘基刺殺事件

 

2002年10月25日午前10時35分頃、民主党の衆議院議員・石井紘基が、世田谷区沢一の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺された。

石井は目黒区内の病院に運ばれたが死亡した。

 

犯行時の状況

目撃者の証言によると、石井は迎えの車に乗るため、自宅玄関を出た所を、公用車の後ろにいた男が無言で石井に近づき、襲いかかってきた。

石井は「何するんだよ」と逃げたが、うつぶせに転んだ。

男は馬乗りになり刃渡20センチ程の刃物を水平に構え、左胸の上部一か所を突き刺した。石井は大声で絶叫した。あごの骨も刃物の一撃で砕かれていたという

 

男はグレーのジャンバー姿で、頭にはバンダナのようなものをまいていた。

 

男は現場から逃走し、警視庁捜査一課と公安部は殺人事件として北沢署に捜査本部を設置。

 

翌10月26日朝、指定暴力団の山口組系右翼団体(“構成員即ち代表”の一人団体で、いわゆる「右翼標榜暴力団」)代表の伊藤白水が警視庁本部に出頭、逮捕される。

 

関係者の証言によると、伊藤は昨年秋ごろから、石井議員の世田谷区内の事務所や永田町の議員会館の部屋を頻繁に訪れ、秘書らに「(石井議員に)金を貸している。仕事を紹介しろ」などと執ように迫っていた。また、今年春ごろからは、「都庁幹部を紹介しろ」などと要求をエスカレートさせ、そのたびに石井議員側に断られていたという。

 

 

犯行動機

 

 

伊藤は「石井に多額の金銭を用立てたことがあるにもかかわらずその恩を仇で返された」「家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述した。

 

検察側も「被害者にたかり行為を繰り返していた被告人が2002年ごろ、引っ越し費用など無心したが断れたことから激情して本件犯行に及んだ」と主張。

 

2004年6月18日、東京地裁で被告に無期懲役判決が言い渡されたが、判決では被告が主張する「金銭トラブル」という動機を信用することができないとした。2005年11月15日、最高裁で無期懲役の判決が確定した。

 

 

石井紘基議員とは

 

”国会の爆弾発言男”と呼ばれた男、石井紘基。

 

石井は1940年11月6日東京市世田谷区出身。世田谷区立池之上小学校、成城学園中学校高等学校卒業、中央大学法学部に入学後、安保闘争に参加。

 

国会に突入するデモ隊の先頭にいた石井は、すべての国会議員が逃げ出す中、騒乱の最前線に出向き警官を抑えようとする日本社会党書記長の江田三郎を見、このことを契機として政治家を目指した。

 

早稲田大学院を卒業した石井は、1965年にソ連へ渡り、モスクワ大学院法学部に就学。6年間留学した。

 

石井はそこで、「ソ連における国家意思の形成」というテーマで研究に取り組み、社会主義の構造に触れたが、中央集権・官僚制・計画経済の問題点、閉鎖的な構造について知る。

 

1971年に帰国した石井は友人に「とにかくあの国(ソ連)は駄目になる。一部の特権階級がやっているということでこれは早晩崩壊する」

 

「国民に大切な情報を流さず、一部の政治家と経済をあやつる社会、日本。社会主義国ソ連と日本はよく似ている。なんとかしないと。」

 

石井はソ連と日本の官僚制度の類似性に注目、閉鎖的な官僚制度や特殊法人を”日本病”と呼び、暗部にメスを入れようとした。

 

「政・官・業」の癒着を暴くことを政治活動の中心に据え、99年には「政治と行政の不正を監視する民主党有志の会(通称・国会Gメン)」の室長に就任。2002年4月の衆院内閣委員会で、北海道別海町などの国道工事をめぐり受注企業の7~8割が鈴木宗男衆院議員に政治献金していた実態を暴いたり、防衛庁の会計検査院報告書偽造問題で、中谷元長官(当時)から「閣僚給与返上」の答弁を引き出すなど、党の論戦の柱でもあった。

 ライフワークである道路公団や特殊法人の無駄遣いについては一貫して政府与党の姿勢を厳しく追及し、「民間の不良債権ばかりが問題にされているが、特殊法人や公的金融機関が抱える不良債権は350兆円にものぼる。しかも、その特殊法人に毎年10兆円以上の税金が流れ込んでいる。これらの組織をすべて解体して、公権力による民業圧迫をなくせば、市場は必ずよみがえる」と持論を展開していた。

 

 

「日本の政治はいかにこの、利権の仕組みの中ではじめて存在しているか…まさしくその天下りのためと民間の仕事を奪うためのもので、詐欺集団ではないか」

 

 

1995年、オウム真理教事件が発生。当時週刊誌やスポーツ誌で注目されていたオウムと統一教会の関連性を取り上げ、さらにオウムと暴力団の覚醒剤取引について指摘していた。

 

 

■石井紘基とオウムと統一教会
『オウム事件は終わらない』 (石井議員 談)

僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。
未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。
錦織:「ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。」
石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。
石井:捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。

 

 

石井は地元である宗教団体の進出計画が浮上したことがあり、反対運動が巻き起こると、その先頭に立った。その際、「殺してやる」などと脅迫状が舞い込んだことがあった。オウム真理教もまた、波野村や上九一色村で進出に反対する住民にたいし、暴力的な行為をみせている。

 

また石井と対談している議員の一人、錦織淳議員は、1995年6月17日に行われた第132回国会予算委員会第33号の中で、「オウム真理教の印刷施設は山口組系暴力団後藤組から借りたもの」と指摘している。

 

警察や検事がオウムと暴力団の闇に迫る中、一部の国会議員も真相を解明しようと動いていたのだ。

 

 

なぜ石井は命を落としたのか

 

 

石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」という見方がある。

 

2002年10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言していた。だが、その直前に石井は刺殺された。

 

事件当日、石井の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていた。

 

ところが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、いまだに発見されていないのだ。

 

 

実行犯・伊藤白水とは何者なのか

世田谷区出身。東京都世田谷区奥沢のアパートで生活しており、50ccのスクーター1台を所有していた、落ちぶれた暴力団員だった。

 

1985年、右翼団体「守皇塾」を立ち上げ、塾長を名乗った。しかし構成員は石井一人だけだった。民族派右翼の間では「一匹狼的な武闘派」としてそこそこ知られていた。

 

1988年1月には、登山ナイフを持って日本共産党政府に押し入り、現行犯逮捕されている。

 

『刑務所を出たり入ったりしている』と前科を自慢したり、機嫌が悪いと早朝からスクーターをぶんぶん空ぶかしして、注意した男性を殴り合いになったり、ヌンチャクで階段とか看板など鉄の部分をカンカンたたいて歩いていたという。

 

 伊藤が暮らしていたアパートは2Kで、6畳と4畳にキッチンがあり、風呂はなかった。部屋にはテレビとマットレース1枚、本が少しあるだけで、がらんとしていた。窓には大きな日の丸が飾ってあった。

 

アパートの隣に住む男性は、伊藤についてこう語る。「エアコンはなくて、銭湯にも行かない。洗面器で体を拭いていたようだ。ダンベルを両手に歩いていたり、空手のまねをしていることもあった。金が入るとスーパーで買い物をして、台所でうれしそうに料理していたね」

 

伊藤の存在は、世田谷区議の間でも有名だった。自民党のある若手区議によると「当選して間もなく自宅に来て、『伊藤白水』という名前と住所だけ書かれた名刺を渡されました。『ちょっと話をしたい』と言われましたが、作務衣姿で見るからに怪しかった。その後も会議の控室に無断で入ってきて、女子事務員に怒鳴りつけたりするので出入り禁止にしたんですが、区役所のロビーで区議を”ちゃん”づけで呼んで本を売りつけてくるんです。もっとも自分で書いた本なんて一冊もなかったですけどね」

 

伊藤は、隣に住む男性に「おれは本を書いているんだが、なかなか売れない」とこぼしていた。

 

アパートでの生活では、最初の数ヶ月間は家賃を月6万円ほど払っていたが、その後3年間で200万円を滞納し、裁判所の強制執行で追い出された。退去後は新宿で寝泊まりしていたという。

 

 

事件の謎

 

石井の家族の証言によると、事件前から周囲で不審なトラブルが相ついでいたという。

 

・事件から6日前の10月19日、石井議員は「車に追われている」と言って知人のところへ駆け込んでいた。ちなみに伊藤は原付バイクのみ所有。

・また同月23日、石井議員が何者かにリンチに遭った様子で帰ってきた、と妻が話している。

・事件前日午前9時ごろ、石井宅に植木業者の営業マンが訪れた。娘のターニャさんが断っている。

・石井議員が病院へ運ばれる時、妻が救急車に乗せてもらえなかった。

・石井議員の手帳と、鞄の中身の資料が押収品目録から消えていること。手帳があったと遺族側から何度も警察に申し出ても、調査してもらえなかったという。

 

 

村井秀夫刺殺事件との類似性

 

 

犯人の伊藤白水と、村井刺殺事件の徐裕行は類似点が多い。

 

まず、以下の例があげられる。

 

1.犯人が右翼を自称

伊藤白水、徐裕行は右翼を自称している。

豊田商事会長刺殺事件の飯田篤郎、矢野正計も自称右翼と名乗った。

 

 

2.待ち伏せ

伊藤は石井を確実に仕留めるよう、はじめから自宅の側で待機していた。

徐は、南青山総本部前に午前11時から午後8時半まで現場で待機し、村井が玄関前に来るところを狙っていた。

 

3.「刺殺の手際の良さ」

伊藤は、石井を仕留める際、刃物を水平に構え、左胸を突き刺し、さらにあごの骨も砕いている。

 

徐は、村井に致命傷を与える前に2回急所を外しているが、最期に刃物を水平に構え、脇腹を突き刺し、抉るように回転させて殺害している。また、致命傷を与えたあと、村井をしとめた確信があったのかそれ以上追撃していない。


4.目立つ衣装

伊藤は普段からバンダナに作務衣で外出するのが常だったという。

一方で徐は、豹柄のセーター姿で、事件直前に美容院でパーマをかけていた。

彼らの姿は目立って周囲に印象を残しやすい。暗殺者にしては異様な姿である。


5.被害者が狙われた背景

石井紘基は官僚や特殊法人、政治家の汚職事件を追求していた。

村井秀夫はオウム真理教最高幹部であり、オウム事件の重要事項や覚醒剤密造の鍵を握っていた。

煙たがる者がいてもおかしくない状況である。

 

6.世田谷区で貧しい生活を過ごす

伊藤はスクーターを一台所持していたが、風呂も冷房も使えず、家賃200万円を滞納して世田谷のアパートを追い出されている。

徐裕行は上祖師谷3丁目の知人宅に居候しており、引っ越して来たときには殆ど所持品は持っていなかったという。


7.すぐに出頭、逮捕される

犯行後、伊藤はなぜか京王線で高尾山駅に向かった後、翌日警視庁に出頭している。

徐裕行は村井刺殺後、現場に留まり警察に確保。パトカーに乗せられる際「車の中へ入れろ」と発言。

 

豊田商事事件の飯田篤郎、矢野正計も犯行後、「警察を呼べや。俺が犯人や」と報道陣に語り、 そのまま逃亡せずに逮捕されている。


8.主張の変化、黒幕の示唆

伊藤白水は判決まで単独犯を主張。

無期懲役が確定した後、2008年6月にテレビ朝日「ドキュメンタリ宣言」との文通で「当方の事件は色々と政治の裏側で動く金や人脈が関係していたこともあり、当方一人に全部背負わせて刑務所で死んでくれれば一番良いという結論が出た結果だと思っています」と背後関係の存在を初めて明らかにした。

 

さらに刑務所で取材者と面会し、次のやり取りをしている。

 

「結局殺害の動機は何だったのですか?」

「複雑な事情があってね」

「殺害の理由は?」

「殺害を頼まれた」

「手紙にあった金とは?幾ら動いたのですか?」

最初に3000万円、次に1500万円

「殺害が目的ですか?それとも資料ですか?」

「資料という話がでたらめ、中身は空だった」

「かばんの中を調べたんですか?」

「調べていない」

「どうして空だったんですか?」

「とにかく資料なんて知らない」

「なぜ裁判で嘘の動機を主張し続けたのですか?」

「でたらめを言わざるを得なかった」

「どうしてですか?」

本当のことを言えば頼んだ人が誰かを言わなくてはいけなくなる

「殺害を頼んだ人って誰ですか?」

それを言えばその人の顔に泥を塗ることになる

「正解の裏側で動く金と人脈、金とは何ですか?」

頼んだ人も分かってしまうから言えない

 

 

伊藤受刑者は、裁判の主張が出鱈目だったこと、犯行が誰かに依頼したものと証言。

しかし、後日テレビ朝日側からの取材では面会時に、伊藤がドアの小窓から取材者を見つめた後刑務官に「私はこの人を知らない」と答え、面会拒否をした。

 

(2016年頃の徐)

 

徐裕行は当初単独犯を主張したが裁判では「若頭上峯憲司からの指示でやった」と証言。出所後は週刊誌のインタビュー記事で再び単独犯と主張。

そういった行動に至る経緯の詳細に関してはお話しできません」「すでに裁判が終わっていることと、僕の発言で迷惑をかける人がいるかもしれないということです」と伊藤と同じく背後の関係者を庇う

 

徐は懲役12年で自由の身となったが、伊藤は無期懲役であるため、仮釈放できたとしても30年以上服役し続けなくてはならず、一生獄中生活のまま終わる可能性もある。

 

7.成功報酬

徐裕行は事件直前に借金2300万円を抱えていたが、出所後、戸建て住宅、自家用車、ヨットクルーザーを購入している。殺人犯であれば社会復帰は非常に困難なものであるが、中産階級以上の贅沢な暮らし、今も続く暴力団との関係から何らかの支援があったというのが自然である。

 

伊藤白水も報酬の存在について示唆しているが、無期懲役であるため背後関係者からの支援を受けることが出来ず、自暴自棄になっていると思われる。それでも依頼者の名前を語らないのは仮釈放という僅かな望みに賭けているいるからではないだろうか。

 

 

余談だが2007年に伊藤一長長崎市長が山口組系水心会幹部の城尾哲弥に射殺されている。城尾は死刑判決を求刑された後、無期懲役が確定した。ヤクザ、似非右翼が白昼堂々殺人事件を起こすのは厳しくなりつつある。今後は餃子の王将事件のようにヒットマンが逃走する方法が主流になるだろう。

 

もしオウム事件の発生が遅く、村井刺殺事件も遅れていれば、徐も今頃刑務所で惨めに過ごしていたことだろう。本当に悪運の強い殺人犯である。

 



羽根組事務所がある三重県では、ホテルの経営権をめぐって、暴力団が絡むある事件が起きていた。
そしてこの騒動にオウム、羽根組、徐裕行が介入していたという不気味な噂が流れていたのである。


榊原グランドホテル


古来、日本第三名泉の一つとされていた三重県久居市の榊原温泉郷は、大阪市近鉄上本町から特急で1時間余り、榊原温泉口駅を降りて、山間の道を車で縫うように走って約10分のところにある。

「榊原グランドホテル」。客室180、収容力1,000人と地元では最大手のホテルとして地元で有名だった。1969年、大田ハル氏が現在地にあった観光ホテルを買収、創業した。

発足後、全面改装や新館整備等を行い、主に関西方面からの企業・団体などの研修客やゴルフ、湯治客を受け入れ、榊原温泉約10件のホテルの中でもトップの集客力を誇った。

大田ハル氏と5人の兄弟からなる大田一族で、年々事業を拡大。83年には一族経営の病院をホテル横に移転して、内科総合病院「医療法人・榊原みのり会病院」(丸岡巧理事長)を関連会社として経営した。老人保健施設「榊原ケアセンター」も併設し、ピーク時には300人以上の入院患者を受け入れた。

しかし、同族経営にありがちな経営権争いが絶えず、創設以来十数回も役員更生が変遷。内紛が生じてバブル期には事業そのものに破綻が生じてきた。

ホテル経営の実権を握っていたのは、三男で専務取締役の大田欣巧氏。
欣巧氏は87年頃からゴルフ場やレジャーランド、会員制スポーツクラブなどのプロジェクト計画を立て新事業に乗り出した。資金はイトマン事件の舞台となる「大阪府民信用組合」が出すことになった。総額250億円に融資計画といわれた。

プロジェクトのうちゴルフ場は、87年、「榊原みどりの森カントリークラブ」という会社を設立。総事業費約130億円で、ホテルに隣接した山林133ヘクタールに18ホールのゴルフ場を95年オープン予定ですすめられた。

ところが、用地買収に行き詰まっているところに91年イトマン事件が起こり、スポンサーだった「大阪府民信用組合」の融資は予定の250億のうち100億円でストップ。同信組との売却話が持ち上がり、91年6月、大阪の不動産業者「ゴールデン開発」(石丸節子社長)との間で16億5000万円の売却協定が成立。太田巧功専務にかわって、「ゴールデン開発」の石丸社長が「榊原みどりの森カントリークラブ」の代表取締役に就任し、開発事業を引き継いだ。

しかし、約束したカネが支払われないまま時間が経過。そうこうするうち翌92年5月、「ゴールデン開発」の石丸社長が、詐欺容疑で大阪府警に逮捕された。

調べによると、石丸社長は山口組臥竜会の組事務所が入居していた大阪市中央区の三階建てビルの所有者から、土地と建物の売却交渉を任された際、同ビルの空き部屋に風俗営業店など2店が入居しているように装った架空の明け渡し同意書を作成。売却先の不動産業者から組事務所分を含めて立ち退き料9億円をだましとったという。結局、石丸社長は処分保留で釈放となったが、事件で同社長が臥竜会幹部と内縁関係にあるなど、暴力団と一体の関係にあることが露顕した。このことで同社長は「榊原みどりの森カントリークラブ」代表取締役を退かざるをえなくなった。


韓国と榊原グランドホテル



ところで、「榊原グランドホテル」に隣接したゴルフ予定地は、造成の途中で放置され、草が伸び放題となった。その一角に、十字架を掲げたカマボコ兵舎のような小さいプレハブ小屋が建てられた。
この奇妙な建物こそ、ホテルの破産のきっかけとなった韓国の新興宗教団体、聖エメラルド教会の建物である。教会はホテルの役員に入っていた元韓国人ダンサーの兄が主宰し、巧功氏はその信者といわれた。

1987年4月ごろ、巧功専務は韓国の漢江を一望するソウル特別市江南区青潭の繁華街に元韓国人ダンサーを社長にした「エメラルド観光ホテル」の建設を計画。88年のソウルオリンピックでの外国人客の宿泊を見込んで、総工費28億円で敷地約2600平方メートルに地下5階、地上13階、客室124のホテルを完成させる予定だった。しかしオープンは大幅に遅れ92年2月にずれこんだ。当時従業員は240人、総支配人は日本人の舟橋猛氏(名古屋市西区出身、当時34)が担当した。

エメラルド観光ホテルの隣接地でも地下4階、地上8階の会員制高級スポーツクラブ建設に着工したものの、資金不足で工事は中断された。韓国でのプロジェクトは、太田専務、元韓国人ダンサー、同ダンサーの内縁の夫だった「榊原グランドホテル」支配人の3人でやっていたという。ここに出てくるもとダンサーは92年7月から「榊原グランドホテル」の取締役に就任。韓国から約30人のダンサーを招いて、ホテルのショーに出演させたり、接客させたりした。同ホテルではカラオケの歌唱指導教室「大園歌謡教室」のチャリティーパーティーが開かれ、十和田実氏が寄付を呼びかるイベントも行われた。

この間、韓国の事業に着手した87年4月から同5月にかけて太田専務が、3億円を無許可で韓国に持ち込んでいたことがわかり、88年8月、外為法違反で起訴される事件が起きた。韓国への送金はこれだけではなく、87年12月からホテルがオープンする92年4月までに約34億円が持ち出されていた。同ホテルと工事が中断した会員制高級クラブには、「大阪府民信用組合」から借りた100億円のうち40億円余りが流用されたと言われている。

榊原グタンドホテルの資金は韓国だけではなく、元ダンサーの実母と親戚がアメリカで共同でやっていたモーテル、スーパー、不動産などの経営のため91年から92年6月までの1年間に、不動産購入資金名目で約4億円が、三重商銀経由で第三銀行(三重県松坂市)から送金されていた。

本業のホテル以外のプロジェクトにカネをつぎ込み、暴力団関係者の乗っ取りに遭うなどした結果、「榊原グランドホテル」は急速に経営難に追い込まれていった。

それが一挙に表面化したのは93年に入ってからである。この年、太田専務の韓国人ダンサーの傾斜に母親の太田ハル社長が激怒。所有する大阪市西成区の土地を巧功氏が勝手に担保に入れたとして、三重県警に告訴した。結局は挫折したゴルフ場計画のあと地に新たに総合レジャー構想をすすめていた関連会社の一つ「榊原みどりの森観光開発」が6月、不渡りを出した。

ホテルの土地・建物を担保に融資していた「大阪府民信用組合」が「榊原グランドホテル」の競売を申し立てた。さらに同ホテルの3億3000万円にものぼる税金滞納も明らかとなった。


経営権めぐり三つ巴のドロ沼状態に



このため同年11月、経営責任を問われる形で代表取締役社長は巧功氏(当時)から南勲に交代した。ところが、社長交代があったその翌日、同ホテルの旧役員であるハル氏の五男、義治氏が、大阪地裁に同ホテルの破産を申し立てた。

これにたいして12月、南勲社長を中心に債権者集会が開かれ、「榊原グランドホテル」は債務処理だけを行う会社とし、ホテル業務を継続する新会社「榊原グレース観光」(三重県久居市榊原)の設立を宣言した。「榊原グレース観光」は、筆頭株である大阪市内の不動産会社「叶」(水野隆社長)が事実上管理しており、「榊原グランドホテル」の財産差し押さえ回避をはかるために設けられたものだった。事実、決算書では同ホテルの動産物件が、3000万円で「叶」に売却されていたことになっていた。

ホテルの経営権をめぐる内部抗争は現社長派と前社長派の債権・債務の清算をめぐる争いに創業者のハル元社長も加わって三つ巴の泥沼状態になっていった。そこへ起きたのが、山口組の事始め式キャンセル問題であり、南社長の軟禁恐喝事件だった。

年が明けて94年、ホテルは経営者不在といってもおかしくないほど、混乱の度を増していた。
まず、ホテルに隣接してある関連の「みのり会病院」(丸岡功理事長)の職員200人の前年12月分の給与とボーナスが支給が遅れていることが明るみに出た。

1月13日、病院の医師や職員らで労働組合が結成され、遅配分のボーナスの支給や病院の再建計画の提示などを経営者側に求めた。このとき、病院の負債は約50億円を超え、病院の土地と建物には、すでに住友銀行、住銀リース、大阪府民信用組合などが融資の担保として多額の根底当権を設定していた。

ここで名前が出てくる大阪府民信用組合は、同信組の理事長(当時)をしていた南野洋氏が、「みのり会病院」オーナーの太田ハル氏に次ぐ二番目の大口出資者であり、病院社員名簿に名前を連ねるほど深い関係にあった。

追い打ちをかけるように信用不安が表面化した。同ホテルの現職監査役が20日と25日の2回、約束手形を取り立てに回したことから手形が不渡り処分になっていたのである。このためポン券を差し押さえられた。年末の暴力団事始め予約問題や南社長のホテル監禁事件もマスコミに報道され、大手旅券代理店からの予約キャンセル、代理店契約の解約が相次いだ。


暴力団幹部らがホテルを占拠

2月に入ると、ホテルに前代表取締役の太田欣巧氏や「ゴールデン開発」の石丸節子社長、山口組系暴力団幹部らが乗り込んで来て、事実上占拠。ホテルで債権者集会を開くなど、裁判所の決定でホテルの破産が確定するのを阻止するため、正当性を誇示した。ホテルから追放された南社長からは「もはやこれまで」と旧役員から出されていた破産宣告について、裁判所の決定に従うとの声明を発表した。こうしてホテルは2月23日、大阪地裁によって破産が宣告された。

しかし、これまで事態が収集されたわけではなかった。こんどは太田前社長らが破産決定を不服として同25日、大阪高裁に破産の取り消しを申し立てた。抗告に際し、太田前社長側は記者会見。抗告の理由として、(一)前年11月のハル氏の五男・義治氏の自己破産の申し立ては、当時同氏は役員ではなく死角が無かった(二)2月23日の大阪地裁の破産宣告当時の「榊原グランドホテル」の代表取締役は、太田欣巧氏であり、南勲氏はそれ以前の2月26日付けで代表取締役役員を辞任、ホテルを代表する死角を持った人物ではなかったと主張した。

記者会見で太田前社長側は、一部マスコミで報道された。山口組関係者によるゴルフ場用地売り上げ資金名目でのホテル手形約11億円乱発問題について、「南前社長がやったもの。いったんホテルwpつぶして、安く営業譲渡するつもりだったのではないか。乗っ取り策動が裏にあり、『グレース観光』は乗っ取り会社。南前社長の告発も考えている」と、南前社長を激しく非難した。

その一方で、暴力団との関係が指摘されている「ゴールデン開発」の石丸節子社長については「債券に協力してもらっている」と認めた。
「榊原グランドホテル」は、2月23日の大阪地裁の破産者宣告にもとづき、翌3月4日、所有動産の差し押さえが執行された。翌5月には、約400件あった予約もキャンセルし、一切の営業を停止。老舗ホテルは閉鎖された。


ホテルは閉鎖されたが事件は続く



ホテルは閉鎖されたが、事件はまだ続いていた。3月10日午前、大阪府警と地元の三重県警の合同捜査本部が「榊原グランドホテル」の株主総会議事録が偽造され、南勲代表取締役社長ら役員が辞任したという虚偽の法人登記をしたとして、「ゴールデン開発」の丸石節子社長の大阪府豊中市の自宅や大阪市内の山口組系臥竜会事務所、地裁の財産差し押さえが執行されるまで丸石社長ら暴力団事務所に占拠されていた「榊原グランドホテル」など8カ所を有印私文書偽造、同行使、公正証原本不実記載などの容疑で家宅捜査した。太田前社長側が破産宣告無効の抗告申立の理由にあげた南勲社長の2月16日付け辞任は、株主総会議事録偽造だったというのである。

一方、ホテルの倒産、閉鎖は隣接してある「みのり会病院」の経営も直撃した。医師、看護婦など職員への給与未払い問題が表面化した年明けの1月11日、三重県医務課は不明朗な病院の経理状況について病院側から聞き取り調査。その結果、病院の土地建物を担保に、「大阪府民信用組合」から借りた12億円のうち医療機器購入など病院の運営費用に5億円をあてたが、残り7億円が使途不明金になっていた。

この問題で、丸岡理事は同日、「経営危機の責任は、ホテル経営などから資金を持ち出した南勲事務所にある」と、「みのり会病院」事務長を兼任していた「榊原グランドホテル」の南勲社長の病院事務長職の解雇を表明した。南事務長は前年11月、診療報酬を担保にしてカネを借りるなど病院経営悪化の責任があるとして丸岡理事から責任容疑で三重県の津地検に告訴されていた。


みのり会病院も80億円の負債で倒産

ホテルに続いて泥沼状態に陥った「みのり会病院」には、全国約100の病院に関与するといわれている病院乗っ取りのいわゆる新田修士被告(93年1月、新潟市の病院をめぐる手形乱発事件で逮捕・起訴)グループが接近、融資話を持ち込んだり、手形を回したりしていた。もともと丸岡理事長自身、同グループリーダー・新田被告の紹介で93年3月、「みのり会病院」の理事長になったといわれていた。

しかし、病院もまた、3月25日の決済で第一回目の不渡りを出した。この時期、新田グループと繋がっていた東京の金融ブローカーで自称華僑の葉剣英(本名:畑隆)が主宰するOCFグループの名前が病院の新しい出資者としてあがったが、病院内で反対の声が強く、話はまとまらなかった。結局、3月31日んp決済で2回目の不渡りを出し、事実上倒産した。負債額は約80億円といわれ、その大半は「榊原グランドホテル」が進めたゴルフ場開発などの投資に消えていた。

そして半年後の10月1日、93年の暮れに「榊原グランドホテル」を襲った二つの暴力団がらみの事件の一つである山口組の事始め式キャンセル問題で、ホテルマネージャーを脅し、料金を支払わなかったとして、大阪府警四課は山口組系黒誠会系赤心会会長の高木康清容疑者を暴力行為で逮捕した。さらに、翌95年9月8日には、もう一つの、「榊原グランドホテル」の南社長(当時)が泊まっていたホテルに押し掛け、同社長に「殺すぞ」などと言って500万円を脅し取ったとして、山口組系臥竜会内膺竜会・会長の高聖功を恐喝容疑で逮捕した。


この騒動と同じ時期にオウム真理教事件は起た。麻原が「榊原みのり会病院」に入院していた過去があるとか、同教団による買い取り話があった、という噂が流れたのである。




オウムと榊原グランドホテルと徐裕行

サンデー毎日6月3日号によると、オウム真理教と徐裕行にはある接点があるという。

三重県にある、「榊原みのり会病院」の買収話である。

この病院は1969年に設立され、ベッド数は342床。リューマチ治療で有名な総合病院だった。
同一企業グループに「榊原グランドホテル」があったが、バブル崩壊によってホテルは200億円内外、病院も60億の負債を抱え、94年に相次いで倒産した。

この一連の当惨劇に至る過程で、93年から94年にかけて、山口組系暴力団による経営幹部の換金や登記虚像、手形乱発事件、また山口組系フロント企業による不法占拠事件が起きた。その際に、債権取り立てなどで羽根組も関与していたという情報が流れた。

そして、榊原みのり会病院の経営不振が表面化した94年1、2月ごろには”オウム真理教が病院買収に介在していた”という噂が流れた。捜査関係者によれば「滋賀県内で逮捕されたオウム信者から押収したフロッピーの中に、みのり会病院の名前があったといいます」と言う。

サンデー毎日は病院関係者から「当時、早川、中田被告と見られる人物がいた」と証言を聞き出し、「オウムはこの病院の乗っ取りに触手を伸ばしていた形跡があった」と紙面で報じた。

この病院買収は後に大阪府内の歯科医師が代表を務める医療法人が競売で落札したが、ある制約関係者はこう語る。

「オウムが薬の搬入を自由自在にするため、病院を買収したがっていたのは有名な話だ。福島県内の病院倒産のときも教団が買収するという話があり、その実行グループは『白虎隊』と呼ばれていた」

みのり会病院の買収にオウムがかかわっていたことについては、現在、病院側は否定している。しかし、地元民によれば、今年一月ごろにもオウムのシールの張ったワゴン車が病院の前に止まっていたという目撃証言もあり、捜査当局は聞き込み捜査などで調査したという。


また、一橋文哉氏の著書「オウム帝国の正体」によれば
徐裕行も三重県の総合病院の乗っ取りに関わっていたという。

「この病院を狙っている連中は大勢いて、誰もが執拗に食いついてきましたが、実際は裏で繋がっていたようです。特に94年初めごろから押し寄せた連中に、オウムの幹部がいました。早川と中田、それに”白虎隊”と呼ばれるメンバーです。そして嫌がらせなどを行う暴力団員の一人が、あの徐だったんです」

そう話すのは、病院関係者の一人。
別の病院関係者も、こう明かす。

「実は、その連中とは別に、ある宗教団体絡みのグループも病院買収に乗り出してきました。三者ともお互い、よく知っているような口ぶりで『グルだな』って感じたことを覚えています」
その新しいグループのバックにいたのが早川と彼のグループが関わっていたとされる宗教団体で、この病院関係者の目には、新グループが主導権を握っているように映ったという。

病院は一時、暴力団員風の男がウロウロし、病室はオウム信者らしい男女が占拠、玄関前には別の宗教団体の信者らしい人々がたむろするといった”奇妙な光景”と化した。


…と、一橋氏は記している。一橋氏は病院名を伏せているが、情報をみるかぎり明らかに「榊原みのり会病院」を指摘していると思われる。ただし、徐裕行と榊原みのり会病院の関係を報じた媒体は少なく、これまでのオウム裁判や徐裕行裁判でも榊原みのり会病院の話が一切登場しなかったため、信憑性は不明である。


榊原みのり会病院の経営者について



「榊原みのり会病院」と同列系の企業、「榊原グランドホテル」は1969年、大田はる代表によって設立された。

創始者、大田はる代表はアパート管理会社「エイチ・オー」(大阪市西成区萩之茶屋3丁目)の経営者であり、演劇「がめつい奴」のモデルにもなった事業家でもある。

「がめつい奴」は劇作家、菊田一夫の代表作であり1959年に発表さた。
戦後間もない西成区のあいりん地区を舞台に、カネしか信じず、がめつく生きる感移宿泊所の女主人と、周辺の庶民の生きざまがユーモラスに描かれ、映画やドラマ作品も制作された。(戦後の演劇史においては初めてとなるロングラン公演となり、その記録は後に劇団四季が『キャッツ』を公演するまで破られることはなかった。)

2004年秋、大田代表は自分のアパートの複数の部屋を、1日4万5,000円で山口組系暴力団員(当時51)に貸し、翌年春まで使わせた。この暴力団員は後日「勝舟投票券」をノミ行為で販売し、モーターボート競争法違反などの罪で起訴された。

2005年4月23日、「エイチ・オー」(大阪市)が、大阪国税局の税務調査を受け、2004年1月期までの7年間で約3億1000万円の所得隠しを指摘されていたことが分かった。 追徴税額は重加算税を含め約7500万円とみられ、同社は修正申告している。

8月8日、大田代表(当時90)は組織犯罪処罰法違反(犯罪収益の収受)などの疑いで書類送検された。

あいりん地区は日本屈指の治安の悪さを誇るスラム街として知られている。
付近には飛田遊郭のほか、暴力団事務所が多数存在し、2008年にはあいりん地区に暮らすホームレスたちが暴動を起こしている。


榊原グランドホテルの奇抜な経営戦略

榊原グランドホテルは倒産したものの、再び経営をやり直したという。
しかしその経営方針は通常のホテルから掛け離れた、奇抜な経営戦略が展開されていた

その噂はネットでも散見されている。

「ヒーリングゴッド」…「テラヘルツ波」…「生命エネルギー」…
スピリチュアル体験による治療が売り文句



http://ameblo.jp/healing-god/theme-10024016748.html

「大田先生」という人物が経営…大田はる代表の親族なのか





「末期ガンや重病を治せる」
具体的な治療法は『魔』を取り除く!?
神の声???

カルト教団では治療を謳って信者を騙す手口が多い
オウム真理教はもちろん、法の華三法行やライフスペースがその好例▼

某真理教:尊師のイニシエーションで病気が治ると宣伝→洗脳の口実

法の華三法行:福永法源の足裏診断「足の裏を見ればその人の健康状態から仕事の悩み・家庭の悩みなど全てが判る」「最高ですか?最高です」→詐欺罪で逮捕(福永は出所後再び活動を再開した模様)

ライフスペース:グル高橋弘二のシャクティパット「相手の頭部を手で軽けば病気を治せる」「定説です」→成田ミイラ化遺体事件


スピリチュアルを活かした精神療法、疲労改善はあるものの、「末期ガンを治す」「神の声」というのは非科学的な話である。なぜこれほど神妙な売り文句が出てくるのだろうか?


恐ろしい噂



筆者が榊原グランドホテルについて調べていたところ、怪しげな書き込みを発見した。

tamae68292005さん2013/6/623:16:29
私の母は高陽社で特約店というポジションで仕事をしていたのですが、今から5年程前に乳がんになり、手術をしなくても治すと言われ、結局治らず去年12月に西洋医学の力を借りて、がんを取りました。当時1cmでした。
しかし、皮膚からがんが飛び出し、抗がん剤で小さくしてから、手術をするという大変な結果にになり、その間に怪しい宗教にも誘われ、(高陽社で知り合った人間)現在音信不通の状態になり、聖霊とかなんとかを体に入れているから、下界の人間に会うと悪霊が入ってしまうので合わせられないし、今帰ると死ぬと言われ、ひどいマインドコントロールに陥っていて、連絡が取れない状態になっています。高陽社の関係者の方々、これを読んだらどう思われますか?私は、あまりにも無責任さを感じます。
家族は大変心配しています。母を何とかしてください。まるでオウム真理教のようです。
榊原温泉のグランドホテルの跡地で集団生活を送っているようです。一度会いに行きましたが、追い払われました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11108408516


オーナーが韓国人?


韓国人とは先述した元ダンサーのことなのだろうか
(キリスト系と思われる聖エメラルド教会とは雰囲気が異なるが)

ネットでは奇妙な情報が流れているものの、霊感商法による正式な被害報告は確認できない。ただ、「榊原グランドホテル」の経営者らが、過去に暴力団と関係していたことは留意しておくべきだろう。

(参考文献:「ナニワ金融界の懲りない面々」「オウム帝国の正体」)

徐と北朝鮮を深追いすると声明の保証はできない

 

田村建雄氏

 

オウム真理教科学技術省長官だった村井秀夫氏が刺殺されて以来、オウム真理教は様々な噂に取り囲まれた。オウムになぜ、それだけの噂が出るのかを考える上でも、敢えて、”タレ流”された情報と取材の過程をジャーナリスト・田村建雄氏にレポートしてもらった。

 

 

連日のように出てくる一連のオウム報道のベースは警視庁からの公安情報であり、一体どこまで事実なのか検証しきれない。

 

その一方では貝のように閉ざされてしまった公安情報がある。最初の一報で続報がピタリと途絶えた情報だ。それは主にオウムの「闇側」と囁かれてきた人脈、関連事項に圧倒的に多い。例えば巷間囁かれた暴力団関係筋、他宗教との関わり、そしてオウムと諸外国との接点などなどだ。深い闇の中に吸い込まれていくように消えてしまった公安情報。その背景にはいったい何があるのか。

 

その典型的な例にオウムと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の関係がある。

例えばオウム科学技術省長官の村井秀夫氏刺殺犯、徐裕行容疑者である。徐容疑者は当初オウムの行動に義憤を感じ村井氏を刺殺したと供述。しかし、その後、指定暴力団山口組系羽根組(解散)幹部が徐容疑者の共犯として逮捕されるや同容疑者の供述は額面どおりには受け止め難くなっている。村井氏刺殺のみを企画した誰かが差し向けたヒットマンという見方が強まっている。一部オウム説も流れた。が情報もここまで。同容疑者に関しては、事件当初の情報を除けば、なぜか、続報はプツリと途絶えたままだ。

 

徐容疑者とは一体何者なのか。この疑問にもとづき同容疑者を丹念にたどっていくと、そこには「北朝鮮」というキーワードで結ばれる不思議な符合に気付かされる。

 

(徐が生まれたとされる群馬県桐生市)

 

徐容疑者は韓国籍である。同容疑者は65年群馬県桐生市に生まれている。68年、親が朝鮮籍から韓国籍に変更した。

 

さらに徐容疑者が事件当時、寝泊まりしたとされる貸し手に繋がる人物のひとりは、かつて日本を部隊にした北朝鮮の大物スパイ辛光洙と何年か生活を共にした女性、朴春仙氏の一族でもあった。

 

もちろんオウム事件にもスパイ事件にも、前記の断片的事柄がストレートに繋がっていると断定できない。ただ、このようにオウム事件の点を追っていくだけで必ずといってよいほど「北朝鮮」の人脈に交差する。これをどう受け止めればいいのだろうか。

 

いくつかこの他の例を挙げてみよう。

 

私は数字が羅列され英文字の頭文字、人名が詳細に記された奇妙なB5判サイズの数枚のペーパーを入手した。そこには一連のオウム報道で見慣れた氏名が続々と登場する。

 

例えば次のようだ。

 

93.11.21 SU576。F松本智津夫…松本知子、村井秀夫etc。(成田ーモスクワ)

 

「松本智津夫」は麻原彰晃容疑者の本名である。このペーパーは明らかにここ3〜4年のオウム真理教信者の海外渡航記録の一部であることは間違いない。

 

注目すべきは一覧表からも読み取れる早川容疑者の海外渡航歴のすさまじさである。92年から今年3月(筆者注:1995年)までの海外渡航歴は29回、出発は93年9月2日に大阪からシンガポールに一度飛んだ以外は全て成田発。トータル257日。中でもロシアへの渡航歴は21回を数える。

 

「調査したところ、この21回のうち実は13回、ウクライナ経由で北朝鮮に入っている」とある公安関係者は証言した。

 

そしてウクライナ。同国は今、武器マフィアの間では密かに「ウクライナに行けば政府管理の行き届かない旧ソ連時代の残滓ともいえる数万発の中距離核弾頭、核燃料となるウラン鉱、そしてロシアから流れたAK74型自動小銃などあらゆる武器が金次第で調達できる」といわれている。早川容疑者がこのウクライナを経由し北朝鮮に入国していたのだ。まさに刮目すべき情報だ。いわゆる早川ノートにも次のような記述が見える。”政府高官tp接触 武器ひとつに40万ルーブル”。当時のウクライナの通貨はルーブルだ。さらに早川容疑者のロシア行きの行動を再チェックしてみると奇妙なずれに気付く。

 

94年3月15日SU(アエロフロート)576便のビジネスクラスでモスクワ発で帰国予定だった。が実際帰国したのはそれから一週間後の3月26日。この1週間の帰国延期は何を意味するのか。

 

このように早川容疑者の渡航には当初の予定と実際の帰国が突然1週間ぐらい大幅にずれることがしばしばである。

 

私は前出の公安関係者に、モスクワに入った早川容疑者が突然帰国延期する時期が北朝鮮への入国時期か、と問うた。しかし、彼は一切答えなかった。

 

 

オウムは北東アジアの武器商人になろうとしていたのか

(オウム真理教と中国共産党)

 

(当時の上海。開発が始まって間もない頃)

 

94年2月22日のことである。肌をつきさすような寒風。中国の上海港。そこに成田発の便から奇妙な服装をした一行がゾロゾロと降り立った。オウム服に身を包んだ麻原彰晃容疑者一行だった。

 

95年6月某日。ある日本の中国関係者A氏が次のような驚くべき証言をした。

 

「私がある中国の政府関係者と電話でやりとりしていた。そうすると……」

以下、その会話である。

 

ー「日本にはオウム騒ぎで大変。彼らがロシアに行ったことであそこも大変だ。」

 

「フフフ……」

 

ー「何を笑っているのですか。」

 

「彼らは中国にも入ってる」

 

ーエーッ。いつ、誰が!

 

「麻原彰晃たちだ」

 

ーどこが招聘したのか。

 

「表向きは観光だが実際は招聘先があったようだ。あそこですよ、あそこ。中国側では布教活動は市内という一札を取って入国させたようだ」

 

ー中国国際友好連絡会?

 

「フフフ……献金もしたようですよ。3000万円と聞いていますがね」

 

ー彼らの目的は。

 

「鄧小平の三女に会い鄧小平に会いたいと申し出たそうだ。がそれは断られた」

 

ー三女は確か友好連絡会の副会長?

 

「これくらいで勘弁してくださいよ」

 

A氏の会話は概ね以上だ。

その後の調べで、この時の上海ツアーは表向きは明の初代皇帝、朱元璋の足跡をたどるツアーだった。参加者は麻原容疑者に早川、井上嘉浩、林郁夫の各容疑者とサリンを持って逃亡中とされる林泰男容疑者だった。彼らは鄧小平に会えないと分かると上海市内をブラブラ、予定を早めて同月26日帰国。

 

 

A氏は彼らの動きをこう分析する。「友好連絡会は中国政府対外連絡機関。バックには中国解放軍など軍関係者が多い。鄧小平の二女の夫はやはり軍関係のビジネス機関、新興公司の総経理、つまり社長をしている。どう考えても麻原たちは何らかの形で中国の軍関係者と接触を図ろうとしていたのは否定できない」

 

このA氏との話の直後、某防衛庁関係者と接触する機会を得た。仮にT氏とする。T氏は独自のルートで得た情報をもとに早川容疑者の狙いを喝破、次のように断言した。

 

「早川の狙いはズバリ、北東アジア、ウクライナなどを中心に第三国への武器輸出など武器商社のようなものを作ることだった。ウクライナをベースに北朝鮮には核関係のウランなどを持ち込み、物々交換で北の武器また他国に流して利鞘を稼ぐ。中国はすでに、ある大物の親族関係の商社と武器を介在して深い関わりを持ちつつあった。そしてロシアはロシアで、その武器をテコにある勢力がオウムを利用して日本の中に一定の政治勢力を築こうとしていた。それが早川の度重なる海外渡航、北朝鮮入国の基本的動きと見て間違いない」

 

(北京五輪・長野聖火リレーに現れた中国人。手元には麻原とダライラマの写真。)

 

一連の取材後、ある公安関係者に、なぜオウムと北朝鮮との関係が閉ざされてしまったのかと質した。しばしの沈黙の後、やっと彼は重い口を開いた。

 

「……もう、それは当局としてはやる気はないという感じだ。国の問題もあるし。・……それに、すこしスパイもどきの荒唐無稽の話が多すぎる……」

 

ーそれじゃ、早川容疑者は何のために北朝鮮へ入ったのか、それとも本当は入ってないのか。

 

「……」

 

ロシア、中国にみられるように、90年代に入って旧社会主義圏は国家がらみの犯罪が横行している。その理由として、国家財政の破綻によって各組織が独立採算になり、どんなことでもするようになったからである。数年前より国民はおろか軍隊の食料も賄えなくなった北朝鮮においては推して知るべしである。

 

だが、点と点を結ぶために取材を続ける私に公安関係者はささやく。

 

「徐と北朝鮮を深追いすると生命の保証はできない」

 

こうして浮かび上がった点もまた闇の中に消えて行くのかー。

 

(参考文献:SAPIO 1995.7.26号)