徐裕行の嘘 | 村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。特別企画実施中。)

週刊誌で紐解く・徐裕行の嘘

徐裕行は法廷で共犯者・上峯憲司の存在をほのめかしたために、長く黒幕の存在が指摘されてきた。
また、上峯憲司の人脈をたどると民族派(新右翼)、野村秋介と続き、そのラインは鈴木邦男まで繋がっていた。

その鈴木が村井事件直後から徐を庇う発言を繰り返していた事実は当ブログで既に紹介している。
出獄した徐は暴力団との繋がりで野村秋介の墓前祭に参加、そこで鈴木邦男に合流している。

そして2011年、鈴木の紹介で週刊誌に登場した徐は、事件に終止符を打つべく虚偽の証言を始めた。

週刊金曜日2011.09.16号
スクープ謎に包まれたオウム真理教村井秀夫氏刺殺事件から16年 実行犯が初めて語った真相


前書き
村井秀夫氏刺殺で逮捕された徐裕行氏の動機は、当時さまざまな憶測を呼んだ。徐氏自身は犯行時に右翼団体の名前を語っていたが謎は多い。刺殺事件について、徐氏が「鈴木邦男さんになら」と、初めてメディアに対して重い口を開いた。人の生命を奪うことに正当性はない。彼の口から贖罪の言葉は聞けるのだろうか……。





徐「私個人の怒りとは別に、そういった行動に至る経緯の詳細に関してはお話しできません
鈴木「そうですか」
徐「だからといって、僕自身の義憤だとか怒りが嘘だということにはならないと思うんですよ」
鈴木「僕も徐さんの個人的な怒りや興奮が基になって事件を起こしたんだろうと思います

徐「今、何かものを書いたり言ったりすることで、当時私の周囲にいた人が「そんなことを今さら言われても」となるかもしれません。また、そういった方々が商売をしていて、私と関係していたこと自体を言われたらご迷惑になるかもしれません。あくまで”たとえば”の話ですよ。すでに裁判が終わっていることと、僕の発言で迷惑をかける人がいるかもしれないということです」


取材側「はぁ!?」

週刊金曜日側の僅かな期待に反し、徐の口から贖罪の言葉は出てこない。それどころか、刺殺の動機正当化するような発言、事件を過去の出来事として封じたがるような発言まで飛び出した。オウム事件を撹乱した当事者でありながら随分と挑発的である。
聞き手の鈴木邦男も異常である。上峯の存在、裁判の記録を無視し、徐の意見を強引までに肯定し続けた。オウム被害者、村井家の両親の傷口を抉る行為が公然と行われはじめた。
徐の暴走はこれだけでは終わらなかった。


週刊新潮
夢の島ヨットハーバーに通うオウム村井刺殺の徐裕行



徐裕行「最大の動機は、怒りでした。いとも簡単に人命を奪い、多くの無関係の人々を傷つけたオウムは非常に凶悪で、自分の身をもって他人の痛みを知るべきだと思ったんです。同時に、オウムという存在を決して社会的に許してはいけないということを社会に対して訴えたい、とも思いました。何か一石でも投じたいと……」



新潮側は徐が嘘をついているのを察した。
そこで上峯憲司の存在についてツッコミをいれると、徐は閉口してしまった。


(新潮の記事内容にケチをつける徐。拉致署名活動を強調してほしかったというが…)




週刊朝日について
2012-07-04 04:42:19
テーマ:ブログ
昨日発行の週刊朝日に記事が載っていないという問い合わせが多かったのですが、記事は、7/5の特別号に掲載される模様です。

また、7/6の週刊金曜日に一水会の鈴木邦男さん、元オウム真理教の野田成人さん、作家・映画監督の森達也さんとの対談記事が載ります。

興味深い対談でした。合わせて読んでみてください。



公判で散々言いながら今更嘘は通用しない。しかし徐はまだ嘘を吐き続けた。


週刊朝日 
17年たった今も真相は闇の中
僕が村井を刺した本当の理由












週刊朝日「共犯として暴力団幹部が後に逮捕され、裁判では無罪になった。だが、謎がたくさん残っている」

徐「この事件はもう判決が出て終わっている。今もお話しできないこともある。だが、なぜ、僕が事件を起こしたか。それは、最終的には『個人の憤り』です。あの当時、社会全体がオウムに対し、異憤りがあったし、僕も『とんでもない連中だ』と強い義憤を感じていた。いろんな要因はあったにせよ、殺害しようと決断したのは僕です。一番の動機をあえていえば、地下鉄サリン事件の映像を見た衝撃で義憤にかられたことです」

上峯の話を出され警戒する徐。その表情は固く、強情な態度も垣間見える。


週刊金曜日
未だに残るオウム真理教の謎





森達也「何故村井(秀夫)さんを殺害したのですか。」
徐「当時のマスコミは、圧倒的な情報量でオウムが絶対悪だと報じてました。友だちとの会話でも「オウム許せないよな」というのがあったりして、いろんな要因があって、これが絶対的な要因だというのは難しい。もしどれか一つにしてくださいというのであれば、義憤です。」
森「組織的な背景は?」
徐「組織的なことはないですよ。


………。

今週号には、徐裕行氏のインタビューを掲載している。
編集長後記
 今週号には、徐裕行氏のインタビューを掲載している。彼はかつての村井秀夫・オウム真理教(当時)幹部を東京・青山の総本部前で刺殺した人物だ。この刺殺事件は動機と背景をめぐってさまざまな憶測を呼んだ。そもそもオウムには謎が多い。村井氏の死により結果としてオウム関連事件の被害者遺族が望んでいる教団の真相解明にブラックボックスができてしまった。その徐氏は意外にも出所して以来、メディアに口を開くのは初めてだった。本人はどう思われようが構わないという様子。だが投げやりではなく紳士的であり、言葉も丁寧に選んで喋る。ただ刺殺に対する悔恨のそぶりもない。そのことに驚いた。テロリスト――という言葉が頭に浮かぶ。当時のオウムに対する世間の怒りや憎しみ。それを背中に受けた義憤だけで牛刀を握れるのか。彼が墓場まで持っていこうとしているものは間違いなく存在する。だがそれは墓場まで行くだろう。徐氏はロバート・B・パーカーの探偵スペンサーシリーズがもっとも好きな本だという。(平井康嗣)週刊金曜日2011.9.16


JAPANISM06号 2012.2発刊
オウム真理教村井幹部刺殺犯の「在日、そしてわが祖国」
在日韓国人3世 徐裕行 聞き手・編集部








今度は保守系向け雑誌に登場した徐。
在日社会はごまかしだらけというが、一番ごまかしてきた在日は徐裕行といっても過言ではない。


徐裕行は在日2世?3世?出生の謎



まず、プロフィールには東京生まれの在日3世と記載されているが、他誌の報道では群馬県出身の在日2世と報じられている。





さらに、外国人の身柄で右翼を装ったり、「朝鮮人ならば朝鮮の姓を名乗るべきだ」「君は本名を名乗るべきだ」なんて主張しながら本人は通名を名乗って過ごしてきた事実もある。イベントダイヤル時代の徐は黄色い名刺に田中と記載させていた。



何より卑怯なのは、インタビューで指紋押捺拒否運動をしていたことを隠していたことである。JAPANISM側の責任も大きい。編集部の下調べが杜撰であったため、徐の巧みな虚言にまんまと踊らされてたあげく、デマを流布させてしまったからだ。村井事件を調べれば羽根組の擬装工作やオウム関与説など着眼点はまだある筈であり、在日暴力団の身分であったのだから警戒も必要だった。
JAPANISMの罪は未来永劫残り続けるだろう。
徐は日本国籍へ帰化するとしているが、法務省がこれほど怪しい外国人に許可を与えては、日本もおしまいである。


ブラック・ザ・タブー
元受刑者 徐 裕行 インタビュー


聞き手・吉田 悠軌(とうもろこしの会)
写真・廣瀬 健







日本のタブーThe Max
オウムを殺した男  カメラの眼前で起きた”刺殺事件”の真相
徐裕行が語る”過去”と未来”

(内容は「ブラック・ザ・タブー」と同じ。写真は一部異なるものが使われている。)











なぜオウム真理教・村井秀夫を刺殺したのか

徐裕行「色々な経緯がありますが、根本的なところでは「許せない」という怒りです。その時代の社会の憤りと同等の感情が自分の中にあって「なんとかしたい」という思いがありました。当時の感情を、今になって言葉に表せというのは非常に難しいですよ。
 今までのインタビューなどでも、事件当時の行動原理をを説明しようとしているけど、なかなか難しいです。「義憤だ」と行ってもなかなか納得してもらえないようです。怒りの感情と行動を結びつける論理をみんなに理解できるように説明しろと言われても、僕の力では皆さんに分かるようには説明できないし、皆さんにも分からないかと。

 僕は家族愛というか、両親や兄弟親族への愛情が強い方なんです。家族関係のように愛情で結ばれている人たちが、第三者の犯罪行為によって強制的に離間させられることに対して強い憤りがあるんです。拉致事件でも同じことが言えますが、家族を無理やり引き離すようなことが許せない。そういうことに対する怒りは、サリン事件の時は非常に強かったですね。
 
(12年の刑期を終えた後で)根本的なことに関しては、事件当時と考え方と大きな違いはないですね。仮に今、サリン事件と同じような無差別大量殺人があったとしたら、果たしてどうだろうかという思いがあります。それに対して何をするとか、しないとかではありませんが、強い憤りを感じるのは間違いないでしょうし、やっぱり「許せない」という気持ちは強いでしょうね。そういう意味においては、やはり事件当時と性格や考え方の違いはないと思います。」


実話時報・明日への提言






聞き手は新右翼活動家・蜷川正大である。対談は横浜中華街「香港路 龍城飯店」で行われたと思われる。会話では村井秀夫の名前は伏せられている他、殺人行為を「正義の鉄槌」と担ぎ上げるなど完全に徐の都合にあわせた内容となっている。

蜷川「いまの徐さんの肩書きって何になるのかな?」
徐「うーん、現在は浪人中みたいなものですからね。なんとか食いつないではいますけど(笑)。もしかすると浪人というのもおこがましいかもしれません。浪人見習いとしてください」




全く下手な冗談である。

ここで徐は朝鮮総連足立区支部で活動していたことを少しだけ触れている。


また、東日本大震災の復興支援についても言及しているが、徐はこの時、頭痛やけいれん、体のしびれをに悩まされたといい、放射能汚染が原因かと考えたと蜷川との対談で語っている。

しかしTwitterでは原発事故について、全く正反対のコメントを残している。




「韓国は福島原発の放射能汚染された水が流出したことを受けて、福島産はおろか千葉県の水産物も輸入しないと高らかに宣言したが、ぼくらは千葉で釣った魚はその場で刺身にしたり、家に持ち帰って塩焼きにしたりして食ってます。マジで旨い。」


酷いダブルスタンダードである。被曝が嫌なら、朝鮮半島へ移住するべきではないだろうか。


木村晋介著:サリンそれぞれの証






徐が最後に寄稿した記事。以降徐は雑誌・書籍での活動をしていない。