
1995年6月。函館空港で「全日空857便ハイジャック事件」が発生した。
犯人は当初オウム信者を称し、液体の入った袋とプラスチック爆弾らしき物を持ち込み、尊師の釈放と羽田空港への離陸を要求した。上祐はハイジャック犯と教団の関係を否定。警察側はSATを投入し犯人を逮捕。乗客は解放された。プラスチック爆弾は偽物で、袋の液体もサリンではなく、ただの水道水だった。犯行動機は愛人関係による自暴自棄、週刊誌の「オウム信者によるハイジャック計画」記事を見て影響受け、麻原と無理心中を計画していたという。97年に懲役8年の判決よ53000万円の損害賠償を受けた。この事件で上祐はハイジャック犯がオウム信者であれば即刻除名するとインタビューに答えた。
●上祐狙撃事件
1995年10月6日午後11時。
村井が刺殺された南青山総本部に、短銃5発が撃ち込まれた。
総本部前には100人以上の警官と報道陣が集まっていた。銃声が響いた時、報道陣は何が起きたのか瞬時には分からなかったが、護送車に警察官が集まったのを見てなだれを打ったように駆けつけた。現場で連行されたのは、白いトレーナーに迷彩色ズボンの坊主頭の男性。
銃刀法違反などの容疑で逮捕されたのは、埼玉県川口市栄町二丁目、右翼団体「国憂会」構成員佐久間昭二(当時27)。
警視庁公安部の調べで佐久間は「銃は新宿で買った」と自供。「9月下旬ごろ、新宿あたりをぶらついている時、知らない男から買った」と話した。使われた拳銃は米国製の38口径だと判明。
犯行の動機は「オウム真理教が皇室を攻撃するという雑誌の記事などを読んで、いつかやってやろうと思っていた」と供述している。
事件当時、上祐史浩は4階の自室にこもっていた。
佐久間は「人に危害を加えるつもりはなかった。(発砲は)誰にも相談していない。一人でやった」と単独犯を強調。しかし供述にあいまいな部分があり、右翼団体幹部などから犯行の指示を受けていた疑いもあるとみて捜査を行った。佐久間が所属していた国憂会は、1990年に中曽根康弘の選挙事務所で短銃を発砲する事件を起こしていた。
警視庁は午前9時すぎから発砲事件の現場検証を開始、大型の特殊はしご車を使い、同本部4、5階の壁面を中心に弾痕がないかなどを調べ、弾痕一つを確認した。
厳戒態勢の中での大胆な犯罪。
捜査関係者は「村井刺殺事件の二の舞にならなくてよかった」と話した。

●上祐史浩のその後

1995年10月7日、上祐史浩は偽証と有印私文書偽造・同行使の罪で逮捕された。
この日も上祐はヘルメットに防弾チョッキを着用し、不敵な笑みを浮かべながら護送車に乗り込んだ。懲役3年の実刑判決を受けて服役した上祐は、2002年1月29日にオウム後継団体「アーレフ」の代表に就任した。

出所後、上祐は心境の変化を”告白”し、痛烈な麻原批判を展開。かつて舌戦を繰り広げた有田ヨシフや田原総一郎、森達也、河野義行らと交流を結び、オウム事件を総括した著書を数冊出版した。またロシアの信者暴走を防ぐため、シガチョフ事件の阻止にもあたったという。ただし公安調査庁によると、上祐のアレフの設立は観察処分を免れるためだとされ、徹底した”麻原隠し”をしながらオウムの継承をしているという。
上祐は村井秀夫刺殺事件について、事件当時、釈放直後、徐裕行との対面後と、証言を二転三転させている。ここで、上祐の主張の変化を時期ごとに分けて紹介する。
●週刊プレイボーイ2000年2月15日号
上祐史浩「彼(村井)は刺殺される直前に、オウム真理教の事件その他はユダヤの陰謀であると言おうとしていた、そんな気配がある」
「ユダヤ叩きというのは、僕にはどういう意味なんかよくわからない」
「彼はあの直前に、テレビに出演してユダヤ叩きをやろうという計画を立てていた」
「刺殺される数時間前に彼から私の方に「ユダヤ叩きをやりますよ。今から戻ります」という電話があった」「彼はその直後に刺殺された」
●「FRIDAY」2010年12月3日号

上祐「どの説も確たる証拠があるわけではないが、私はオウム真理教による自作自演説の可能性があると感じている。教祖だった麻原はサリン事件の3日後、このような予言をしています。『神々が、この教団の弾圧は1ヶ月後に終わる(と言っている)』。この予言の1ヶ月後に刺殺事件が起きている。麻原の求心力は予言の的中などで支えられていました。
予言を実現させるために事件が起きた可能性もあると思います。事実、この事件の直後、教団に同情する声も起き、弾圧もやわらぎましたから」
自作自演だとしたら、麻原はこの予言の時点ですでに村井氏をターゲットとしていたのか。それについては上祐は次のように答えた。
「実はこの予言後、4月に入って早川(紀代秀死刑囚)が、『村井が施設に残したビニール袋が強制捜査で発見され、サリン製造の証拠となった』と麻原に告げています。このことによって村井さんが狙われた可能性も考えられます」
●ひかりの輪公式サイトでの声明文
上祐史浩は、アレフから身を離れ、分離団体「ひかりの輪」を設立した。同サイトで、上祐はオウム事件の総括を書き込んだ。
・早川・村井の言動と、麻原のサリン事件関与の告白
上祐「なお、教団のサリン事件の関与が推察される体験としては、早川が、警察情報として、サリン事件に使われたビニールと同じものが、警察の強制捜査で教団施設内で押収された、という情報を入手し、私と村井のところに来た際の体験がある。
その時の早川は、非常に怒っており、自分よりも教団内のステージが上である村井に対して何の遠慮も無く、絶対に嘘をつくなよという主旨のことを言った上で、村井がビニールを片付けていなかったのではないかと激しく問い詰めた。それに対して、村井が、片付けたはずだ(ないしは、片付けるように指示した)などと答えていた。
その後、麻原自身が、私に教団のサリン事件への関与を告白した。それは、村井が4月23日に、暴力団組員に刺殺された後に、麻原に会いに行った時のことだ。その時、麻原は、「サリン事件は、教団が悪いことをやった。今回(の村井氏の刺殺)は社会が悪いことをやった」と語ったのである。
今から思うと、これが、麻原が教団のサリン事件の関与を明言した最初と最後の機会であったが、その時までに、私は、教団の関与を推察する多くの事実を見聞きしていたので、この言葉を衝撃なく受け止めた」
・村井刺殺事件に関して
上祐「なお、よく言われることとして、村井刺殺事件は教団によるものではないか、という疑惑については、私には全く分からない。しかし、私に麻原は、教団では無く、「社会がやった」と否定した。
さらに、村井の刺殺に社会が同情し、教団への批判が多少和らぐのではないかという期待をしつつ、「これで(村井を失ったことで)教団の科学部門は遅れるね」と加え、村井が担当していた科学技術部門が必用不可欠であったヴァジラヤーナ活動に対する村井の死の影響を大きさをにじませてもいた。
とはいえ、私は、警察当局が、教団が関与した構図をもっていることも、同時に承知している。知り合いの警察官によると、村井刺殺の犯人が所属していた暴力団が、教団が富士宮や上九一色村の本部施設を取得する際に関係を持った不動産関係者と繋がっている暴力団と関係があるというのだ。
そして、先ほど述べた村井のサリン事件の後処理のミス(サリン事件に用いたとされるビニールの片付けを怠ったこと)に怒った早川は、その後に、私と共に、麻原に会って、それを報告したが、その際、麻原も村井を「ちゃんと始末しておけといったんだけどな」と批判していたことを知っている。
これ以外は、自分が知っていることはないが、私が、本件の捜査官の一人から聞いたこととしては、その前後に、最高幹部の一人が、自分の側近の部下に対して、「教団の粛正が必要だ」などと主張していたという情報があるそうだ(ただし、その幹部自身の供述ではなく、その側近の部下からという間接情報に過ぎない)」
・村井事件の暴力団説
上祐「また、この事件では、教団がイニシエーションに利用していた覚醒剤が、暴力団にも渡って、密売されていたために、教団との連携の事実が発覚することを恐れた暴力団、教団とは無関係に、自らの生き残りのため、密売の教団側の担当者であった村井を殺害したという説もある。
いわゆる、オウムシャブと言われ、純度が低いが、その分安いものだったらしい。私自身は、教団が、自分のイニシエーションに限らず、外部に覚醒剤を密売していた話しは聞いたことがなく、確信がなく、これは、知り合いの警視庁の警察官から聞いた話である。 なお、この点に関連して、教団の覚醒剤の事件については、一連のオウム事件の裁判の進行が遅れる中で、より重要な事件の解決を優先し、検察が起訴を途中で取り下げたために、真相が裁判で解明されなかったことは残念である。
また、仮に教団が製造した覚醒剤の密売があったとしたら、その暴力団は、オウムに協力した組織として、オウムと共に潰されることは必死な情勢だったろうから、村井を刺殺する動機は十分だろうと思う。しかし、覚醒剤の密売の教団側の担当者が村井であったという構図には疑問がある。村井は、科学技術部門の総括ではあるが、私が知る限りは、裏社会との対応をしたことがないと思う」
・単独犯説
上祐「それから、村井を刺殺した犯人の男性は、自分は単独犯であると主張している。私が少し前にトークショーで対談させていただいた鈴木邦男氏が、彼を直接インタビューした時の感触では、単独犯という主張に関して、嘘は言っていないと感じたという。
最近になって、第三者の方に、彼と会う提案を戴いたが、彼が犯行を反省していることが確認できないために、お断りした。如何なる理由があろうとも、彼は、私の親友を殺した罪を犯した人物に他ならない。彼が主張するとおり、単独犯であるならば、なおさらそうである。
それより前に、まず村井の遺族に謝罪して、賠償するべきだろう。私は、自分自身が罪を犯した人間だから、筋が通る限りは、本件の真相の解明を優先し、なるべく自分自身でも調べたいと思っているので、現状が改善されることを願っている。
なお、参考までに、当時の教団が村井刺殺事件をどう考えたかというと、村井が中心となって更なるテロ事件を教団を起こすことを防ぐために、国家権力が村井を殺害したというものである。捜査が明らかにした教団のヴァジラヤーナ活動の実態を見れば、村井だけを殺しても、完全にテロを防ぐことが出来るかは非常に疑わしいが、教団にとって、以下に村井のヴァジラヤーナ活動での役割の大きかったかを反映したものではあるだろう」
●たかじんのそこまで言って委員会 2012/06/17 放送
出所後、再びメディアと接点を気付いた上祐は、事件の証言者として幾度もテレビに出演した。2012年6月、日本のテロ事件を題材に、「たかじんのそこまで言って委員会」が放送された。
ここで上祐は、出演者たちから犯罪者とののしられ、終始避難を浴び続ける目に遭った。
この時、出演者の一人であった勝谷誠彦が、村井秀夫刺殺事件を話題に持ち上げ、刺殺犯の名前が再びテレビに流れる事態が起きた。

勝谷「あの村井が殺されましたよね?徐という…あの在日韓国人朝鮮人に殺されました。あれも何か凄い深い闇の入り口だと思うんですけど、あの後、非常に怯えて、ヘルメットみたいな物被ってですね、されましたよね、あれは、あれは何に対して怯えていたんですか?」

上祐「いや、ぁー、単に殺害されるのではないか、私も」
勝谷「何故ですか?口封じですか?何故村井さんは殺されたと思ったんですか?そういうことが分からないと何に対して守っていいか分からないでしょ?」
上祐「いや、特にあの、理由までは考えにくい」
勝谷「いや、そこまでは喋ってないな、上祐さんは」
上祐「あの、当時は、私は、これは、一般的に、そのー、徐という人間とその上の暴力団」
勝谷「ハイ」上祐「やったと思っていました」宮嶋茂樹「うん」
上祐「今は、様々な、あの、可能性を感じてました」
勝谷「ん?今は様々な…」

辛坊治朗「そうですよね、私はあの直前に青山総本部で、村井さんと、貴方と、えー、もう一人いましたけど4人で合って話をして、んー、そのッ直後に刺されて殺された。今、今の、今、今だから思うことっておっしゃいますか」
上祐「あのーただ、すべて推測になると思うんですけど」
辛坊「わかりました、推測で結構です!」

上祐「あのときあのー村井秀夫が、まぁ第7サティアンで、そのサリンー事件をですね、あのーぉー…証拠なる可能性のあるその物を残しておいたというそういった問題があって、それが教団の中で問題になって、で、そういったことをですね、あのー、早川とかが、かなりえー、厳しく叱責してたと、いうのがあるので、まぁその延長上で、あのー、教祖の方で、えー村井をという感じに、なった可能性もあるかなぁと思いますが、すべて推測の範疇です」

宮嶋茂樹「もっと複雑でしょうね…」
勝谷「複雑よね…」
辛坊「どういってあのー、宮嶋さんの…考え…」
宮嶋「………とてもここでは言えないくらい複雑…」上祐「まぁ、捜査」宮嶋「私も怖い」
上祐「当局の方からは、まぁこういった構図があるというのは聞いてます。ただまぁ、それも構図なので証拠はないので、ちょっとお話するのは難しいかなぁと思います」

勝谷「でも皆さん日本の司法ってこんなものなんですよ?結局単独犯で終わってるでしょ?怖いですよね。背後にいるものが全然出て来ないというのは…。宮嶋も怖くて喋れない、この人は東京拘置所の麻原彰晃という世界的なスクープを撮った男ですが、最後に麻原を撮ったんだよな」
宮嶋「そうですね」
辛坊「宮嶋さん!そこまで言って怖いから喋らないはないと思いますよこの番組で!」
(ここでどっと笑い声が出る。仏頂面の上祐。)

宮嶋「…あのー、私もあの徐…さんも満期で出所して」辛坊「そうなんですよ」
宮嶋「お会いしましたけど………頑な…でしたね…」
勝谷「お前会ったん徐と!?」宮嶋「会いましたよ…」

勝谷が苦笑。宮嶋「…頑なです」
辛坊「『徐』というのは、あー村井、当時のオウムの科学技術庁長官刺殺事件の実行犯、いきなりあそこの路上で刺して、殺した男で暴力団組員、であると。でー、今のところわかっているのはそれだけ、の話です」
宮嶋「ウン……はい……あのーそこまでだと半島絡み…」辛坊「そうですね。半島絡みだよね」
宮嶋「………ロシアじゃない」」辛坊「分からない!」
松嶋初音「んふふふふふふふ…(笑)」(聴衆から笑いが出る。戸惑う宮嶋。)
宮嶋「朝鮮半島です」
辛坊「朝鮮半島ですね………が?」

松嶋「ンフ、フフフ(笑)」(再び聴衆から笑いが出る。苦笑する宮嶋。)

辛坊「断片的に話さずにもう!!だから!!とにかく!!」
(会場大爆笑。つまらなぬ表情を浮かべる上祐。)
宮嶋「でも武器だけじゃないですから……。オウムがやっていたこと、シャブ、LSD!」
(そこへ割り込むような形で上祐がコメント。)

上祐「まぁ失礼ながら私が警察、関係者の方からお聞きしている構図というのは、富士山総本部道場の方で関係のあった、教団が、あった暴力団と、それから、あのその、徐の上の暴力団には繋がりがあって、そういった教団のルートで教団の犯行ではないか というお話で、海外の勢力とはというのは関係ないと」

辛坊「関係ない?今の話でいうと関係ありそうなのはやっぱり、あの薬物の流通に関しては暴力団と繋がりがあったようで聞こえますが?」


上祐「ええ、またその第2の説ていうのがあって、その暴力団が村井と謀って、あの秘密裏に薬物を流していた、そういった暴力団、それが発覚すれば自分たちの、まぁ団体も完全にお取り潰しとなるのでそれを恐れたという二つ目の説としてある」
2012年11月25日、上祐は再び「たかじんのそこまで言って委員会」に出演。このとき勝谷氏や辛坊氏から更に痛烈な避難を浴びせられ、収録中一人寂しく退場していく様子が映し出されている。
●「オウム事件17年目の告白」

2012年12月17日、上祐は著書「オウム事件17年目の告白」を出版。村井秀夫刺殺事件については、村井と暴力団の接点について否定的な見解を示した。
上祐「私は、そもそも教団が覚醒剤を密売していた話を教団内部では聞いたことがないので、この説についてはまったくわからない。しかも、村井が覚醒剤の密売を担当していたという話には疑問が残る。彼は裏社会と対応したことがなく、その時期はサリンの製造などで、極限的に多忙だったと聞いているからだ。
最後に、村井を刺殺した犯人の男性は、自分は単独犯だと主張している。彼によると、村井でも上祐でもよかったという。
最近、私が対談した鈴木邦男氏は彼と何度も話したが、その様子からして嘘を言っているとは思えないと語っていた。私も、直接話してみれば、感じることが何かあるかもしれない。」
それから半年後の2013年5月29日。
上祐史浩は村井刺殺犯人、徐裕行と対談を行い、共同で「終わらないオウム」を出版する。その2年後、上祐はTwitter上に次のコメントを書き込んだ。
●2015年3月27日、Twitterでの発言
あれは単独犯ですね。オウムをやっつけるという義憤によるものです。 背景にオウムも暴力団も関係していない。犯行者の徐裕行氏と会って話しましたが、 警察も徐氏が事後にお金をもらっていないことなどを確認しているそうです。

ここで一度、上祐の発言の変遷を振り返ってみよう。
①闇の勢力説(1995年・刺殺事件直後の会見)
「村井刺殺は麻原の予言に沿って起きた事件であり、事件の背後に闇の勢力がある節がある」
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②オウム内部犯行説(2010年・フライデー)
「予言を実現させるためにオウム真理教が行った自作自演の可能性があると感じている」
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③麻原・早川共謀説(2012年)
「警察関係者から『教団と暴力団が共謀して覚醒剤を流しており、隠蔽のため共犯者の村井を消した』という説を聞いているが、教団と裏社会の接点はないと思う。事件直前に早川紀代秀が村井を叱責しており、麻原と共謀して村井を消したのではないか」
(ただし、早川紀代秀は「村井事件を切っ掛けに、麻原の超能力を疑い始めた」と著書「私にとってオウムとは何だったのか」で語っている。)
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④徐裕行単独説(2013年5月29日・Twitter)
「事件は単独犯。オウムをやっつけるという義憤によるもの。 背景にオウムも暴力団も関係していない」
ここで上祐は突然、それまで曖昧だった証言を一変させ、徐の主張を全面肯定しだした。
ところが、徐の主張自体が矛盾だらけのものだった。
徐は逮捕直後、裁判中、出所後と、時期ごとに証言を変えており、資料を比較してもまったく整合性がないのだ。
何故、上祐史浩は、徐の支離滅裂な主張を肯定するようになったのか。
そして、整合性の無い主張を「真相」と放言した男、鈴木邦男。
筆者は、この部分に村井秀夫刺殺事件の闇があると感じている。
次回は事件の最大の闇、徐裕行の不気味な実像に迫る。