4月24日午前7時30分。
村井秀夫刺殺事件から夜が明け、広尾病院から南青山総本部へ戻った上祐外報部長と青山弁護士は会見を開いた。この日の会見でオウム側はカメラやマイクまで一つ一つチェックする「超厳戒態勢」ぶりであった。

上祐は淡々とした表情で、「犯行者個人も犯行の背景にあるかもしれないものにも、何ら憎しみを抱いていない」と話した。前夜の興奮状態からは一転し、悟りを開いたかのような会見だった。ただ、徹夜していたためか2人の目は赤くなり、表情も青白くなっていた。
当時行方をくらましていた麻原について質問されると、上祐は
「麻原尊師は今、弔いの瞑想に集中されている」などと話した。
「村井の最期の言葉は何か」との問いには「救急車の中で、”生命力”を強めるようにしよう”と話しかけたら、コックリとうなずいたのが最期だった」と話した。さらに「心臓マッサージを受けているのを見て、実質的には死んでいたと思う」と答えた。
事件については「個人的な感情の中では、だれかに指示されてやったのではないかと思う」と話したが、具体的には何か申し上げる時期ではないとも話した。
最後には「今回の件は教団にとっても汚点だが、警察にとってもメディアにとっても日本にとっても大きな汚点だ」と強調し、いつもの能弁な会見とはうって変わり短時間で終わりにした。

午後1時、南青山から出てきた上祐はドアから車までの約2mの距離を、10人ほどの信者に周りをグルリと囲まれながら歩いた。午後10時前に出先から戻った時も、信者のガードで上祐の姿が見えないほどだった。これまでは2、3人の信者が幹部の横を追いかける報道陣ややじ馬を遮る形だった。

同日深夜、上祐は南青山総本部でテレビ朝日「ニュースステーション」のインタビューに答え、「彼(徐裕行)がある組織から(現金の)支払いを受けていたとの情報がある。大きな力によって買われた襲撃者が襲った思う」と発言した。さらにその後、TBS「ニュース23」で築地哲也のインタビューに答え再び”謀略説”を主張。「ある大きな力が働き、その力にやられた」と”大きな組織”による”計画的殺人”と語った。「刺される10時間前、電話で村井とある大きな力に関して話した。その力が(サリン事件などの)矛盾を解くカギで、それを順を追って紹介しようとした村井がやられた。電話が盗聴された可能性もある」と主張。
「その力とは何か」という質問には「今は申し上げられない」と答えた。そして「大きな力は、わたしも、麻原尊師も確認しており、その力による謀略を発表することは可能です」と答えた。
「今、尊師が姿を現せば、殺される。例えば、我々の東京総本部には大勢のマスコミがいます。そういう状況の中、誰かが大きなバックを持って入ってきたとしても完全にノーマークだ。その大きな力は、意図的にそういう状況も作り出している。なぜそういうとその力にとって都合がいいからです」と主張した。
●4月25日の会見

4月25日。
上祐は南青山総本部で村井事件に関する会見を開き、麻原が2年前から事件を「予言していた」と強調した。
「麻原教祖はこれまで、さまざまな予言をしたそうだが、村井長官の死は予想できなかったのか」との質問に、上祐は「実は2年ほど前、尊師が私に対しノストラダムスの予言の解釈として『兄弟である2人の高弟のうち、兄の方が死ぬ』とおっしゃったことがあるのです」と話した。
兄弟である2人の高弟とは『マイトレーヤ正大師』こと上祐と『マンジュシュリー正大師』こと村井のことだと、当時、上祐は解釈したという。
麻原自身は「兄」が2人のうちどちらかは言及しなかったたというが、「私がロシアへ行くことになって、尊師は『これでお前が殺されることはないだろう』とおっしゃった。そういうこと(暗殺)があるとすれば日本だろうと。そして私がロシアから戻り、年齢的には上の村井が殺される結果になったのです」と語った。

ー教祖の容態はどうか。
上祐「ビデオやメッセージを出した時より、やや悪化して横ばいになっている。ベッドに横たわって話すことしかできない」
ー本当に(麻原は)生きているのか。
上祐「はい」(強い口調で答える)
ー上九一色村などオウム真理教対策連絡会議が、東京都にオウム真理教の解散請求を求める決議をしたが?
上祐「根拠が分からないから対応は決まっていない」
ー村井長官の死で今後科学的な疑問について科学班のTさん(土谷正実)が対応する可能性は?
上祐「私が知るかぎり、彼が全般的なことに言えることは不可能。村井に代わる人間はいないと申し上げるしかない」
ー村井長官が刺されたとき。いつもは開いている教団本部のドアが閉まっていたようだが?

「あのドアはいつも閉まっている。開いていてはだれかが入ってきてしまう」
ー犯行時のVTRを見ると、村井長官のガードの信者が別の信者を羽交い締めされているように見えたが?」



上祐「分からない。それでそういう結論を導きたいのか」
ー村井長官は救急車内で酸素マスクをつけていたのに「私は潔白だ」などと言えたのか?
上祐「同乗した救急隊員に取材して確認してくれれば分かることだ」
ーあなたの元恋人とされる都沢和子「西信徒庁」長官に拉致(らち)監禁疑惑がもたれているようだが?
上祐「人柄からしてありえない。男性だけでなく同性にも思いやりのある人。信者の間での信頼も厚い」
そして上祐は「村井が死んで、教団全般について話ができる人間がいなくなった。今後はマスメディアを通じての討論は行わない」と組織面のパワーダウンを誇示し、村井を失った”損失”の大きさを繰り返した。
村井を殺害した徐裕行については、
「(犯行動機には)2つのケースがあると思う。個人的な感情でやったか、誰かに指示されてやったかだ」としながらも
「右翼で韓国籍の人というのは理解できない状態です。背景になにか大きな力を感じる。今は具体的に何か申し上げる時期ではないが…」と背後関係を強く示唆。
しかし上祐は村井の死を悼む様子を見せず「村井はもう死んでしまったわけだし、彼(徐裕行)には愛情を持っている」と、淡々と語った。

●襲撃を予言?謎の怪文書出回る

94年9月上旬、どこからかオウムが松本サリン事件の犯人である、と名指しした文書「松本サリン事件に関する一考察」が警察、マスコミ間で出回り始めた。そして95年4月、警察庁長官狙撃事件と村井刺殺を事前に予測していたかのような怪文書が現れた。
文書によると「『オウムこそが被害者』を証明するために、(自分たちが狙われたという)既成事実を作り出すことを行っています」などと記されていたという。その上で(犯行は)オウムの人間の(マスコミへの)出演中、もしくは入り出の前後に発生する確率が非常に高い」「そして間違いなく(教団側は)『いま、我々が狙われました』と主張する」「それこそが彼らの得意とする『逆説的主張の展開』」などと述べている。
文章はワープロ打ちで計7ページだった。
●否定できない警備の甘さ
マスコミのテレビカメラをはじめ警察や市民の目の前で起こったオウム真理教最高幹部の村井秀夫の刺殺事件。今後の捜査の影響懸念に加え、現場に大勢の警察官がいながら、「なぜ事件を防げなかったのか」との疑問の声も聞かれた。
警察はオウム真理教の幹部や関係施設に、24時間態勢で要員を張り付けていた。事件が起きた東京総本部前では常に4台の車に警官が乗り、さらに6人の私服警官が警備していたという。しかし、その理由は「あくまで彼らの行動を把握するため」(警視庁警備局)としている。幹部が暴漢に警備の甘さを指摘する一部の批判に対しては「幹部が狙われるという具体的な情報はなかったし、オウム側からの警戒要請もなかった」とかわす一方、「あのようなごった返した状況では、現場に警察官がいても、被害者の間近に寄っていない限り事件を防ぐのは無理」と説明する。しかし、3月30日に起きた国松長官狙撃事件以後、個人警護はしていない幹部要員にSPを付けるなど異例の警戒態勢を敷いている。
オウム幹部に対するテロ再発防止については、とりあえず東京総本部周辺に警察官とパトカーを増やし、警備を強化する方針を決めたが、24日に開かれた政府・与党首脳会議では「重要参考人の身辺警護をすることも必要では」との意見もでた。
●南青山総本部前に不審者、街宣右翼
村井秀夫刺殺事件の翌日、それまで自由に出入りできた南青山総本部前にロープがア張られ、多数の警官が配備された。向かい側の歩道には約80人の見物人がいたが、署員らが「立ち止まらないでください」とマイクで連呼した。
今度は上祐、青山が狙われるのでは?彼らは不振な動きを見せた人物は即職質、連行するよう心がけた。

同日午前10時過ぎ、「松魂塾」と書かれた街宣車7台が現れた。
街宣車「麻原彰晃、すぐ国民の前へ出て謝罪しろ!」「出てこないなら、こっちから行くぞ!」
「上祐、青山、明日は我が身だと思え!」
同日午後1時40分、上祐が20人余の信者に囲まれ、車で総本部を出る際に、2人の男女が道路から飛び出し、近づこうとした。
男は30代中肉中背、女は20代後半。男はポケットから白いラジオのようなものを、女もポケットを探る動作をした。
警官「危ない!」「何ですか!?」
男「僕は関係ないです。通して下さい」
男は持ち物を隠すような素振りをみせた後、突然青山通りの方へ逃走した。女性も一緒に逃げ出した。2人は2、30mほど走ったがすぐに取り押さえられた。
男「私、子供が歩けないんです」
女「違うんです(泣)」

警察車両に乗せられ連行された。
2人は現場近くで照会を受けた後、すぐに解放されたという。



午後5時前、茶色のジャケットを着た40代前半の男が警戒網を破り、玄関に突入する騒ぎが起きた。
男は声明文らしきものが入った手紙二通の封筒を手に「フジテレビはいるか」などと叫んだ。
警官が取り囲むと報道陣とやじうまが殺到し、周辺はパニック状態に。
男は近くにあった自分の車に移動させられ、免許証の提示を求められた。
男「免許がなきゃいけないのか!」
警官がトランクなどを調べたが不審なものがなかったため、午後5時15分に男は放免された。
●第2の徐裕行出現!

4月27日午後8時、南青山総本部前に不審な男2人組が現れた。
片方は肌が浅黒い細身の男性。赤いトレーナーに汚いジーパン、野球帽を被っていた。
もう一人は、40代前後、蛍光色のジャンパーにジーパン姿。2人は付近の花屋で話し合った。
周辺の見物人に「今日、上祐はいるのか?」と質問した。
別の見物人には「大阪からきたんだけど上祐は中にいるのか?」としつこく質問。
「知らない」と言われると、その場を去った。見物人によると、男は関西弁みたいな話し方をしていなかったという。
午後9時、ジャンパーの男がセカンドバックから、白いテープが巻かれた刃渡り14㎝のナイフを取り出した。細身の男と顔を合わせて握手すると、「ワァー」と叫び南青山総本部に侵入した。
マスコミ「暴漢だ!」
周辺は騒然となった。
猛ダッシュでロープを飛び越えたが、ドアが施錠されていたため建物内に入れず、玄関前で取り押さえられた。目撃者によると、2人は目を赤くして酒を飲んでいたという。ジャンパー男は逮捕されたが、細身の男は行方をくらませた。

(東京スポーツ4月29日号)より出典
●村井刺殺直後の林郁男
1995年4月8日。
地下鉄サリン事件の実行犯、林郁男は石川県に逃走していたところを、警察に発見され、「ピアニスト監禁事件」等の容疑で逮捕された。

4月23日。
林は取り調べで現れた検事から「オウムの大事な人が死んだ」と告げられた。林が「麻原が死んだのか」と聞き返すと「麻原が大事な人なのか?!」と検事から怒鳴られた。村井の死を知ったのは、その翌日になってからだった。このとき林は「村井を殺したのは麻原に違いない」と感じた。
林郁男(村井は麻原のいうことならどんなことでも従う。「死ね」といわれれば、死ぬ。「オウムのためだ、死ね」といわれたのかもしれない…)
村井の死に想いを巡らせているうちに、林の頭に、ある疑念がよぎった。麻原は、捕まったものたちを修行の餌にして、操ろうとしているのではないか?麻原は私たちを使い捨てにしようとしているのではな?
そして林の脳裏にある一節が浮かんだのである。
麻原「オウムのすべてを知っているのは、私と村井だけだからな」
更に林は、村井がオウムのことを喋りすぎるという評価を受けていて、上祐らが批判しているというテレビ報道を見た時のことを思い浮かべた。
94年9月末、林はつぎのやり取りを目撃していた。
ロシア旅行の直前に、麻原が「自分は暗殺されるかもしれない」と言い出した時、その場にいたサマナのなかから「いっしょに転生して修行をつづけたいから、自殺します」という声があった。すると麻原は、「そんなことはするな」といって、村井に向かっては「あばれまくれ」といって目配せした。
思い出すうちに、林は徐々に麻原の人格を疑いはじめ、徐々に嫌悪感が強まった。
「…麻原に使い捨てにされる」
5月6日。
林郁男「私がサリンを撒きました」
警官「先生、嘘だろう!?」「誰かをかばっているの!?」
「…いいえ…私がサリンを撒きました…」
林は地下鉄サリン事件の全面自供を始めた。それまでゆっくりと崩れかけていたオウム帝国が、林の一言で急速に崩れ出した。
●村井刺殺直後の早川紀代秀
逮捕され取り調べを受けていく中で、早川紀代秀も麻原に疑念を抱え始めていた。教団にいたときには思いもよらなかったことを知らされたり、ただ一人で考えざるを得ない状況に追いやられたからだと、早川は著書「私にとってオウムとは何なのか」で証言している。村井秀夫刺殺事件が起きたとき、早川は次の証言をしている。
早川紀代秀「村井秀夫が殺されたためグル麻原の未来ビジョンのひとつが実現不可能になってしまったことから、グル麻原の現状認識や未来を見通す力に疑いを抱き始めました。
村井に関連したグル麻原の未来ヴィジョンというのは、以前、グル麻原が『今日ヴィジョンを見たが、わしと一緒にマンジュシュリー(村井)とケイマ(石井久子)がそばにいたんだが、2人ともケロイドを負っているんだよ。やっぱり核は落ちるな。2人は放射能障害を起こしていたんだよ』と言ったことを言うのですが、村井が死んでしまっては、このヴィジョンは実現するはずがありません。
日常の些細な判断ならいざ知らず、瞑想によって得られたとされるグルのヴィジョンには絶対の信頼を置いていただけに、この村井の一件は、村井が死んでしまったというショックとともに、どう説明したらいいものなのか、私には深刻な悩みをもたらしました」
●土谷正実と「村井暗殺会議」
「アサヒ芸能」(6月特大号)によれば、教団の「村井暗殺」会議をはじめて明かしたのは土谷正実だという。当局が土谷を追求したところ、早川紀代秀が逮捕される4月20日の数日前に早川本人から「村井ポア計画」を知らされたうえで、「もう段取りはついているから」といわれたという。
中2階の畳敷きの部屋だという。集った幹部は麻原を囲むようにして「蓮華座」を崩した格好で、小声でこんな会話を交えたとされる。
「ミトラ大師にとっては、致命的だ。ポアしても、それは彼にとって生まれ変わることだから…」
「教団に取っては致命的だ。ポアしても、それは彼にとって生まれ変わることだから…」
この提案を受けて麻原はしばし考えたのち、重々しく決断したという。
麻原「ポアもやむなし」
しかし、このやりとりが裁判で注目されることはなかった。
●山路徹氏の証言
村井秀夫刺殺事件後、幹部が次々と逮捕される中も山路はオウムと直接関わりながら取材を続けた。
山路氏は、幹部と接触するときは必ずアシスタントカメラマンを連れて会うよう心がけ、さらにやりとりを音声や映像にして記録に残そうと心がけた。取材を続けていくうちにオウムの担当者、相川克巳(仮名)の本性が明らかとなった。
相川「今回林(郁男)がべらべらしゃべったみたいだけどまぁインテリだから弱いっていえば弱い」
相川「ミラレパ正悟師もみんなあいつらははっきり言って使えない、正直な、あいつらいない方がやりやすい、逮捕された理由ってのが全部その…切られた、要するに最小の努力で最大の結果を出さなきゃいけないのを、最大の努力で最小の結果しか出ていないから」
相川「上祐なんかに(タントラ・ヴァジラヤーナが)分かるわけないよ、ウン…尊師、私、井上がわかると。このスタンスで一般に受け入れられるのは難しいんだよ。物凄く。」
相川「私なんかは戒律守らないし肉は食うし酒は飲む。でもタントラ・ヴァジラヤーナは戒律違反あり結果のためなら何してもいいということ。極端な話セックスしようがその女引き上げる(入信させる)ためだったらいいと。こうなるわけよ、ここを分かっていないのよあいつらは…」
「目的のためなら何でも許される」というオウムの教義。山路はオウムの本質を記録に残した。

その後も山路は相川と喫茶店で打ち合わせを続けた。席を立とうとすると、突然公安警察に囲まれた。公安警察は相川をマークしていたのだ。
Mr.サンデーの取材によれば、「山路に取材されることを相川と井上(嘉浩)が計画し、麻原の指示で動いていた。山路を取り込めばオウム真理教の広告塔として有利な報道が出来る」と公安警察は証言している。
後年オウム元幹部の野田成人氏は「APFの山路ってやつがいて、そいるの取材に付き合っている広報のサマナがタントラヴァジラヤーナの話をしゃべっちゃったらしい」
「この殺人教義隠し撮り映像が流れたのは、オウム信者にとってはショックでした」とブロブでコメントしている。

相川は警察の取り調べで「山路をしっかり取り込んだと思ったはずが自分が取り込まれていた」と答えたという。
「Mrサンデー」(3月22日放送)のVTR後、山路氏は村井刺殺やオウムとの接触について次のように話している。
宮根誠司氏「村井…幹部が刺殺されたときには、まぁ表には無数のカメラがあって山路さんは地下にいた訳ですよね」
山路「はい」
宮根「上のあの騒動って全然分かんかったですか?」
山路「全然分かんなかったですねぇ。んー。ただあそこで要するに一回、村井幹部が下に降りないと、そのー、殺人者(徐裕行)は…玄関に回れないんですよ」
宮根「そうですよね、んー」
山路「で、戻ってきた所を殺してると」
宮根「で、がちゃがちゃっていう扉を開ける音を聞いた」
山路「聞いた。で、それはいわばカギがかかっていたから開かなかったんだということを、後に表現させられた形なんです」
宮根「その前に…待たされる訳ですよね?意味もなく。で、そして病院の中にも取材カメラを入れて取材を許されると」
山路「えぇ」
宮根「これ山路さん、犯人(徐裕行)は逮捕されたんですが、もの凄く意図的なものを僕らVTR観て感じるんですがどうですか?」
山路「いや、僕自身この20年ずっとこのことについてはですね、ずっと疑問に思ってますし、まぁ後にカメラの取材やってますけれど、取材をすればするほどね、色んな証言者の、まぁ話を聞くと、やっぱりそこで僕は…まぁ非常にこれは悔しい話ですけど、利用されたなと、いうふうに思ってます」

●麻原逮捕!
地下鉄サリン事件から2ヵ月後、捜査当局は逮捕した遠藤誠一の証言から、麻原が第6サティアンの1階と2階の間の部屋にいるとの情報を掴んだ。
「明日、麻原を捕る。拳銃を携帯し、予備弾5発持っていくように」
5月16日午前5時16分。警察の先遣隊が第6サティアンに立ち入りる。午前5時30分、約350人の警察官が押し寄せてきた。電動ドアで扉をこじ開け建物内部を次々解体しながら捜査を続けた。
ところが、3時間かけても麻原の姿が見当たらない。捜査は一時中断し仕切り直しとなった。

警視庁本田署の後方要員、牛島寛昭巡査長(当時)は休憩中、ゴールデンウィークの捜査で2階と3階の間の外壁に信者がカバーのようなものをつけていたのを思い出した。「なぜ、あんなところに通気口を作るのか?」そう思って見つめていると、窓際にいた麻原の三女、アーチャリーがアッカンベーをしてきた。

牛島はその時「あそこらへんに隠し部屋でも作るんじゃないの」と冗談感覚で仲間と語っていたという。

しかし、これだけ人員を動員しても麻原が見つからない。「隠れるなら空気穴が必要。カバーは穴を隠すためでは」。
牛島は休憩時間に捜索したいと指揮官に申し出た。
サティアンに入った牛島は、通気口の経路を想像しながら進んでいくと、2階のある部屋に、少女漫画がうずたかく積まれているのを見た。
「この部屋で、3女は隠し部屋に潜む麻原と会話していたのではないか」

牛島は二階の天井を叩き壊したところ、天井裏に怪しい箱がうっすらと見えた。

「なんだあれは・・・!」
捜査員たちを呼ぶと、隠し部屋のありそうな場所の天井を叩いて調べることにした。
「コン、コン」「コン、コン」「とん、とん」
捜査関係者「!」

中は空洞だ。金槌で穴をあけてみると、中で黒いものが動いている。

警官「髪の毛のようです…いや違います!ヒゲです!ひげを生やした赤い服の男がいる!」
警官「…麻原か?」
麻原「ウィー」

警官「何やっていた?」
麻原「隠れてました」
警官「どこから入った?」
麻原「わからない」

警官「出られるのか?」
麻原「顔がデカくて出られません…」

麻原を狭い棺桶のような部屋から引きずり出した。その時、麻原は、ぶるぶると震えていた。
麻原「重くてすみません…」

麻原が隠れていた部屋は高さ60㎝、幅1m、長さ3m程度の狭い空間だった。
中から現金960万円の札束とカールとお茶、テッシュが無造作に置かれていた。オウム帝国の指導者は、部屋に寝袋とスポンジを詰め込み、怯えながら逮捕の瞬間を待ち続けたのである。

山田正治理事官「悪いところはないか?」
麻原「どこもない」

同行していた医師が健康状態を確かめようと手を取ろうとした瞬間、麻原の血相が変わった。

麻原「駄目だ! パワーが落ちる!」
山田「君のためにしているんだ」
麻原「カルマがつく!」

指揮官は、発見者の牛島氏を現場へ呼び戻すと、「牛島、手錠!」と命じた。

乗ってきたバスに手錠を忘れた牛島氏は、苦笑いする指揮官の命で、同僚から借りた手錠を麻原にかけた。



麻原(何故なんだ、ちくしょう!)

道場から出ると、信者が驚いてこっちを見ている。
麻原は慌てて背筋を伸ばした。
牛島氏「こいつ、虚勢を張っているな」
警視庁では井上幸彦警視庁総監が記者会見を開いた。

「えー、本日、午前、9時45分、オウム真理教教祖、麻原彰晃こと松本智津夫、40歳を、殺人罪及び、殺人未遂罪で逮捕致しました」

麻原を連行する牛島査員ら。当時捜査当局はガスマスクを入手するため上野の某ミリタリーショップから装備を購入していたという。この時東ドイツ軍の中古品が安価で売られており、捜査員が東独軍の帽子をかぶっているのもその経緯と思われる。

五月雨とマスメディアの中を、麻原を乗せた護送車が進んでいく。
上九一色村から離れるとき、3万人以上の信者を従えた男にかつての覇気は既になく、その表情は亡霊のように変わり果てていた。