村井秀夫が刺された話は、すぐに実家へ伝わった。
93年5月、村井の両親は静岡県富士宮市の富士山総本部を訪ね、たまたま通りかかった村井に「戻る気があるなら待っている」と声をかけた。しかし、村井は「あきらめてほしい」と言って施設の中に姿を消した。その後、一切連絡は途絶えたままだった。

村井父「刺されたことですか?(テレビを見て)知ってます。東京へ行くか?答えなければいけないんですか。どこを刺された?知りません。腹?そうですか…」
息子の容態を心配した両親は、至急広尾病院に向かう支度をはじめた。
●警察庁捜査第一課
この日も幹部が顔をそろえて、電話連絡などにあたっていた。そこへ、村井が刺された、との情報がテレビのニュースで初めて伝わり、警視庁に状況確認をするなど部屋は慌ただしさに包まれた。
「一歩、一歩着実に捜査は進んでいる。これからがヤマ場になる。壁を打ち破りながら、全容解明に取り組んでいきたい」と関口祐弘次長が管区警察庁会議や記者会見で繰り返していただけに、思わぬ事件だった。
オウム真理教によるサリン疑惑の核心を、村井が握っていただけに捜査陣は大きな衝撃を与えた。というのも、教団施設でのサリン製造の立憲検証をほぼ終わらせ、村井秀夫らサリン生成疑惑のある信者20人に事情聴取を決めた矢先の出来事であり、次週までには逮捕状を請求する予定だったからである。
警察幹部「だれがやったんだ、いったい」
「中等傷のようだが、どの程度のけがか」
「容態が危ないみたいだ。絶対に助かってほしい」
警視庁でも事件直後から刑事部長以下の幹部が部屋にこもったままで、夜遅くまで緊急会議が続いた。
●首相官邸
村井が刺された情報は警視庁から同庁出身の秘書官を通じ、村山首相にも伝わった。首相官邸の関係者は事件に重大な関心があることを示唆し、具体的な対応は警察にゆだね、事態の推移を慎重に見守る考えを示した。

●国家公安委員長
村井事件について、野中広務・国家公安委員長は高輪の議員寄宿舎で、「状況報告を受けたばかりだ。一連の事件の真相解明中にオウム真理教の関係者が暴漢に襲われ、予期せぬ事態が生じたことは遺憾なことだ。容疑者(の身柄)は確保しており、警察で事実関係をよく調べたい」と述べ、背後関係などの解明に全力を挙げる考えを示した。

(村井事件について見解を述べる野中広務。)
●村井の手術
救急車に運び込まれた当初、村井は意識があり、「息ができない」と話した。救護隊員が「だれにやられたのか」と尋ねると、村井は「ユダ」と回答した。救急車には上祐史裕外報部長も同乗した。しばらくして青山吉伸弁護士の他信者30名が広尾病院に駆けつけてきた。上祐は出家信者を対象に輸血をするよう呼びかけた。村井と同じA型だった青山も輸血をした。しかし、それだけでは十分足りず、輸血を運んだ車が三回病院へ入っていった。駆けつけた信者の中に村井の元妻、森脇佳子の姿はなかった。

村井は9時17分に意識を失った。手術は9時30分から24日午前0時まで続いた。手術を始めた段階で心臓はほとんど止まっており、心臓マッサージを続けながらの作業をした。
村井は左腕と左胸、右わき腹の3カ所を刺された。中でも右わき腹の傷が酷く、肝臓を傷つけ、じん臓と大動脈は完全に切断されていた。傷の深さは13㎝まで達し、背中近くまで刺されていた。
●山路の取材
地下にいる山路が、それに気付いたのは、一人の信者が駆け寄ってきたときだった。
「大変です!村井さんが刺されました!」
びっくりした山路氏は、エレベーターから1階に上がり、玄関へ向かった。


玄関は生々しい血だまりで汚れていた。

期せずして事件をオウムの内側から目撃することになった。
上九一色村で4時間、青山で1時間待たされた。
山路「待たされて待たされて、最終的に僕を、その証人に…あの、したかったんだという、彼らの思惑みたいなものが、やっぱり感じられるわけですよね…」
その後、一旦事務所へ戻ろうとすると、相川(仮名)と五十嵐(仮名)の2人に呼び止められた。しばらくしてオウム外報部から連絡が入り、山路氏は相川と共に、村井が運び込まれた広尾病院に向かった。病院内は警備が厳しく、信者以外入ることが許されなかった。ところが奇妙な出来事が起きた。

警官「ダメダメダメ!入っちゃダメだよ!」
信者「あっ山路さん、その人信者です」
山路「僕らを呼んだ外報部の人間が、『あっこの人信者だから』って言って信者!?と思ったんだけど、中に入れたんですよ」
その結果、山路氏はジャーナリストとしてただ一人、病院内の一部始終を目撃することができた。
そこにはマスコミ向けに声明文を準備する信者たちの姿があった。


待合室には相川の姿もあった。(A信者=相川)

(教団の声明文)
山路は待合室で驚くべき言葉を耳にする。


「待合室で、小声でね、その隣にいた、A信者(相川)に、『尊師の予言通りになったな』って言ったんですね」

「そしたらその信者、A信者(相川)が、その言った信者に『しっ』って言って、口止めしたんですよね。こういう感じで、シッ!って」

(相川の行動に困惑する山路氏)
●麻原を殺す気ですか

9時40分、広尾病院前で上祐は記者会見を開いた。
上祐「この病院の、あのー、内科医の部長さんから、というのは、あの、外科医の方はみんなついて、手術されているそうですが、えぇ…」記者「もう少し大きい声でお願いします」
上祐「内科医の、部長さんから、あのー報告を受けました。えー、右の、わき腹の、あのー、損傷が酷く、血圧が低く、危篤状態」
「私はあのずっとあのー…彼はころさ、殺されかかった現場から救急車で着いて回りました。何かこれ以上言う必要ありますか」
記者「救急車で一言も喋りませんでした?」
上祐「いや、あのー…朦朧とする意識の中で、いくつか!話してた…」記者「どんな?」
上祐「私は潔白だと」上祐「私は潔白だ!!」
記者「…と村井氏が言った訳ですね」上祐「そうです(半ギレ気味)」
上祐「…あなた達は、マスコミの報道で、犯人にまでなっていない人間を…起訴もされていないし逮捕もされていない人間を、犯人と決めつけ、そして、国民の感情をあらぃ…煽り、そして、そういう結果、いらぬ敵意を抱く暴漢を作り出し、そして、こういう結果に陥ったんじゃないのか!!」
上祐「…と言うことを私は言いたいですが、まずは今、あの村井の、早期の、ってか村井は死にかかってますんで……その、方に集中したいと思います」
上祐「村井は意識も朦朧としていまして、あの、我々の反応に答えたり答えなかったりで、手足がこういう感じで動いて、でもまぁ、私の方はあの、麻原尊師意識して、生命エネルギーをあげて、大丈夫だから、頑張れと、いうふうにいいました。そしてそれに関してはうなずいて…」
記者「上祐さんはご自身も、身の危険というかこういった意識する部分があると思いますけど…」
上祐「それはそうですけど、例えば今だってここに来るときに撃たれるかもしれないから出るなって言われました。しかし私はあの、村井が、村井、あのー、村井の役職を果たしているように私は私の役職が、あの、果たさなきゃならないから、あの、撃たれても出るしかないです」
記者「上祐さん今回の件で、麻原尊師が、えー、会見に、出るということは考えられませんか?」

上祐「麻原を殺す気ですか今度は」 記者「はい」
上祐「麻原を殺す気です今度は!!」記者「はい」
上祐「尊師を今度は殺すんですか!?」
記者「いや、会見に、今回の事件についても、それからこれまでのマスコミの報道なり何なりについて伺いたいと」
上祐「そのように殺されてどうするんですか!?いいですよ!そういうことだったら!いいですね」
会見は一方的に打ち切られた。
午後11時40分、再び上祐がメディアの前に姿を現す。大勢の信者に守られながらの会見となった。

4月24日、午前0時13分、都立広尾病院側が記者会見を行う。村井の容態について中嶋健之院長と手術を担当した豊田忠之副院長が記者会見を開いた。会見場は重苦しい雰囲気に包まれた。

記者「命に別状あるかどうかなんですが…えぇ、どうですか?危険な状態なんですか?」
豊田副院長「よろいいですか?」「あの極めて、えぇ、危険な状態と、判断をしております」

午前0時20分。上祐、3度目の会見を開く。前回と比べ落ち着いた様子だった。
●巨星逝く
4月23日は統一地方選挙第2ラウンドの投票日である。17日前には青島幸男知事、大阪府に横山ノック知事が誕生した「春の乱」が起きて、無党派層の動向も大きな注目を浴びていた。
そこへ警視庁クラブから一報が入った。
「村井秀夫が刺された」
オウム取材班が、ハイヤーで会社を飛び出した。首都高速は空いていたので10分程度で現場に到着。総本部前の歩道は既に報道陣、野次馬で混乱している。
衆人監視の下での凶行。聞いていると、自称政治団体の徐裕行は、現場で逃げもしないで捕まっていた。教団と闇の世界の繋がりを疑わせる奇妙な事件に、「オウムがやらせたんじゃないの」などの見方も出て、それまで選挙一色だった編集部の様子もガラリと一変した。
都立広尾病院から「2時間で13000ccの輸血、心肺停止」との情報が入った。
「死ぬぞ、これは。原稿を用意しておかないと」
「今日は選挙で打ち切り時間が伸びている。いつでも入るぞ」
じりじりとした時間が流れた。
そしてその時が来た。
●死

山路「4月24日午前2時20分過ぎ、村井さんは亡くなりました…」
午前2時半、広尾病院前。
駆け付けた信者たちの前に上祐が現れた。上祐は村井の死を伝えた。

村井の死が判明してから10分後。村井の死がマスメディアに公表された。
「2時33分、出血性ショックと、急性循環不全のため死亡」

電話ボックスで村井の死を報告する信者。

山口豊レポーター「えー、たった今ですが、報告がありました。えぇ、午前2時33分、村井氏が死去しました。死因は出血性ショック、急性準肝不全です。」
午前4時30分頃。上祐は村井の死を受けての「声明文」を作成した。ひと段落すると、ICU家族控室のソファに腰かけた。
山路「えぇっと…。今…もう既に村井、村井さんは、えー、お亡くなりになりました。あの…上祐さんに今の段階で、今回の事件に対する見解を聞いて…みたいと思います」
山路氏の前で次のように語りだした。
















オウム信者「儀式の方々がみえるのでそろそろ出ていってください」
山路氏は病院を後にした。

(村井の死因を説明する豊田副院長)
手術には15・6リットルの輸血が使われた。