父が布団に入ったのだけど、さすがにまだ眠れない私。テレビも見たくないし、何をして過ごそうか・・・・。スマホを見るけれど、それも長く続かず。結果、私も10時前に布団に入ることにした。

がしかし、父の寝ている隣の部屋にいる私は、ラジオの実況がうるさくて眠れやしない。

部屋の戸も開けているのでなおさらだ。

 

こうなったらこの状況を受け入れるしかない。

実況を聴こうと思って聴いていると、父のいびきがする。

耳元にラジオを置いて、どうして爆睡出来るのか、本当に不思議。

そして、人間って凄い・・私も寝たのだった。。。

 

目が覚めたのは、2時前。父が居間の電気をつけたことに気が付いたのだ。

父に「お父さん、未だ夜中の2時だから寝ようか?」と言うと

「おれば起きてるからいい」と父。

私は「わかった」と伝えた。これ以上の説得や否定は良くないことは熟知しているので、違う伝え方をしてみよう。

 

数分後・・・・・再び起きて居間に行く。

「お父さん、今日は冷えてるね~、風邪ひくと心配だからさ、もう少しお布団の中で温かくしているのはどう?

お父さんが風邪ひくと心配だな~私」と伝えると、

父は、「そうだな。寝るわ」と言って素直にベッドに戻りました。

そして私は「お父さん、ラジオの音が大きいからもう少し音量を小さくしてくれる?」とお願いすると、

小さくしてくれるではないか!

耳がよく聞こえる私はそれでも五月蠅く感じて眠れなかったけど、父は私のために協力してくれたことが嬉しい。父はまだ力がたくさんある。

 

布団の中であれこれ考えてて、勇気づけは、理屈で言い聞かせるよう伝えるよりも、真心から思うことを伝えることが大切なんだ。それを受け入れるか否かは父が決め、それを尊重すればよいのだと腹も括って。

 

そうやってあれこれ考えているから、私は完全に眠り損ねた。

引き続き聞こえてくるラジオを聴く。

こうやって一晩中お仕事している人がいるんだね~ 母も毎日こんな環境の中で寝てるんだ~ と思考はあれこれ浮かぶ。

すると母がトイレに起きたついでに部屋に来て、母の具合を聴くと「久しぶりにぐっすり寝て、凄く楽になったわ」と言って、父の状況を少し伝えて、ラジオのことを聴くと、母も毎日ラジオを聴いて寝ているというではないか?!びっくりです。

そして、再び部屋に戻って行った。今日は泊まって本当によかったと思った。

 

時計は3時過ぎ・・・・あかん・・・私だけ乗り遅れておる。。。と思ったら寝てしまったようで、

次に目が覚めたのは、5時前。父は服を着替え終わって、ストーブも付けてこたつに入っていた。

「お父さん、早いね。もう起きたの?」と聴くと「なに?あんたがなんでおるの?」と言う。そりゃそうだ。

事情を伝えると理解したようで、もうこのまま起きててもらうことにした。

 

次は、母が父の着替えを手伝っている声で目が覚めた私。

父は、着替えも上手く出来ないので、ぐちゃぐちゃに着ていたのだと思う。

「ちゃんとパジャマを脱いでから服を着るの。わかった?」と母は父に言い聴かせるように言っている。

母らしいやりとりだけれど、介護疲れするライフスタイルだと思った。でも、もうそれを変えることは出来ない。

 

私が6時半過ぎに起きていくと、母は「よく眠れたし、今日はご飯も美味しく食べれた。気持ちも凄く楽になったわ。ありがとうね」と言って表情が明るく元気になっていた。

父が家で介護できる限界も来ているし、母の性格も良くわかっている。私も仕事をしているし、様々したいこともある。

そんな状況のなか、親を勇気づける・・・・・引き続きぶら下げて暮らしていこう。

 

 

久しぶりにこのブログを開いてみた。

長い間放置したままだったけど、私のその時の思いが綴られていて、その時期の出来事が懐かしい。

続けるのかどうかはわからないけれど、言葉にしたいことを綴っていこうと思う。

 

今、ぶら下げているタスクは、実家の父の介護問題。

認知症が進んでいるので、母の負担は相当なものになっている。

一昨日、デーサービスにいられなくなった父が帰宅したので、母も参ってしまったようだ。

私にも施設から連絡があって「お母さまは相当困っていらっしゃるんですが、娘さんはご存知ですか?」と言われた。

ちょっと心がざわついた。

なんでだろう・・・・・責められたと思ったんだな、きっと。

仕事中ということで、「事情は了解しました」とお伝えして電話を終えた。

 

仕事帰りに実家によって、母の話を丁寧に聴いた。

父は、帰宅願望が強く、少し暴れてしまい、危険だし本人の意思を尊重するということで帰ってきたようだ。

母は風邪をひいていて、「毎日夜中に起こされて、風邪もひくわ」と陰性感情を持っているのが伝わる。

そんな中、私の夜ご飯も作ってくれて、父のお世話もしていたんだ。

本当に頑張り屋さんだわ。

 

主人が飲み会だということもあって、何年振りかに実家に泊まることにした。

こういう時、主人も協力的なのが本当にありがたい。

家に帰って、お風呂に入って身支度をし、実家に行くと夜9時だった。

母は、別の部屋ですでに寝ていて、父は居間で起きていた。

もう寝る時間だということを伝え、ベッドに横になるよう促すとラジオを微調整する父。

プロ野球の実況を聴いて寝るという。

それも大きな音声で。

マジか・・・・・。

 

まぁ、好きにさせてあげようと思い、長い夜が始まったのだった。

 

 

 

とっても久しぶりのブログ更新です。

義母も天寿をまっとうし、息子らも巣立って行き、夫婦二人、新婚生活?!を送っております。


アドラー心理学を学び、やっと私なりに腑に落ちたと思ったら、お役目を終えたかのように息子らがいなくなりました。目

彼らは、過干渉母ちゃんを退治したので、次のお役目に向かったのかな?


ということで、私は新たなフィールドに立っています。ラブラブ

そのひとつは、実家の両親の介護問題。

認知症の父は、今月の免許切り替えをきっかけに、自ら更新しないことを決めました。

ここに至るまで、実は、色々とあったのですが、アドラー心理学のおかげで、私が冷静に対応できるようになったんです。


今日は、両親を連れて、警察に免許の返納手続きをしに行きました。

父は「ほっとした」と言います。

あれだけ「おれは未だ運転できる!」と力んでいたのですが・・・むかっ


ここは、話を聴いてみようと思って、父に、「何か心配なことがあったの?」と聴くと、「運転するとき、怖かった」と言います。

その後も話を聴いていくと・・・・

自分の判断の鈍さや運転をすることで緊張状態になって、そこから解放されるからほっとしたのだそうです。

やはり、話を聴いてみないとわからないですわ~


母の話もききました。

母は、父の高齢者講習の時、父の検査を隣で見ていて、

小声で答えを教えたのだそうです。

検査官に「答えは教えないでください」と注意されたそうです。←当たり前あせる


さらに「認知症で受診していますか?」と聞かれたとき、

「心療内科にかかってます」と答えたそうです。

確かにそうだけど、物忘れ外来だし叫び

このあたりも丁寧に聴いてみました。


母は、父が答えることが出来ない姿が可哀想に思えたそうです。

周りにいる人は、スイスイ答えるのを見て、気の毒だと思ったんですって。

心療内科と答えたのは、免許を取らせてあげたかったそうです。

取れないのは、周りに恥ずかしいと思うのだそうです。


母の行動も善意からなんだな~と思いつつも、お父さんのためにどうすることが良かったんだろう?と一緒に考えてみることを提案しました。

母も充分解っているのだけれど、判断が鈍るのも母がそれだけ年を取ったということかもしれません。


親を勇気づける


共に過ごす時間も限られているので、丁寧に真心から勇気づけられるよう、

これからも、私のタスクとして向き合っていこうと思います。