ばぁさまネタの番外編音譜


ばぁさまの病室のお隣にいるKおばあちゃん。

カーテンで仕切っているので、顔は見えないのですが、

身体は、動かせないけれど、頭はしっかりしているし、耳は聞こえるし、言語もはっきりしている方です。ビックリマーク


私がばぁさまに色々と話しかけると、ばぁさまより先にいつも答えてくださいます。

それが、本当に面白いんですよ~あせる

これまでのトップ5を紹介します。チョキ


私「おばあさん、おはよう!」とばぁさまに挨拶。

Kさん「あ、また可愛らしい声の人が来たな!」


私「夜は眠れる?」 とばあさまに聴いているけど、

Kさん「がーがーいびきかいてねてりゃぁすわ」(寝ているという意味)


私「明日も来るからね、心配しなくてもいいからね」とばぁさまに言うと

Kさん「なんて良い言葉だ!感動だなー」


私「明日も来るからね」とばぁさまに言うと

ばぁさま「そうも来なくてもいいわ」と答えるやいなや・・・・

Kさん「どういう憎たらしいこといやーすの。明日もきてねっていわないかんわ」


私「あ・き・か・ず!」と主人の名前を間違えたばぁさまに主人の名前を言うと

Kさん「どういう言いにくい名前だ」 ←いらん世話(爆)


どのリアクションも、大爆笑合格

我が家では、「今日は、あの人のネタはあるか?」とKさん人気上昇中ですラブラブ


でもね、Kさん、いつもナースコールを押し続ける手のかかる患者さんなのです。

いつも私に向かって「看護婦さん、ちょときて」というので、「私は、看護婦さんじゃないんですよ~」とお話をするようになりました。


昨日もKさんの話を聴くと「私、看護婦さんを呼んでばかりだから嫌われていて、今も何度ボタン押してもきてくれないんだわ」とおっしゃいます。

看護士さんは、おみえになるけれど、用事が部屋が暑いとか、カーテンを少し等、注目や関心を引くことが目的?と思えるようなばかりなのです。


話を聴いて、Kさんは、寂しいのだと思いました。どこかに所属したいのです。

色々と話してから、帰りに「おじゃましました」と伝えると


「また明日も来てね」とおっしゃいます。

私も「また来ますよ、お大事にしてくださいね」と伝えると、

「ありがとうね~、本当に嬉しい、。待っているからね」とKさん。


Kさんも自分の人生を懸命にまっとうすべく生きていらっしゃいます。

こんなにしっかりしているのに、身体が動かせないつらさや苦しさがあるように思います。

神様から与えられた試練なのか学びなのかはわかりません。

私に出来るのは、ばぁさまのお隣さんという関係で、時々お話をすることだなぁと思う今日この頃です。

おはようございますラブラブ


時々このブログでも我が家のばぁさあのネタを書いておりましたが、新年早々、またまた入院しております。

今回は、細菌性肺炎。

肺炎としては、4回目の入院です。

ちょっと心配な状況ではありましたが、今は、一般病棟にも移り、少し落ち着いてきました。


今回、ヘモグロビンの数値が少ないということで、輸血もしました。

輸血する姿を見ていると、どなたかの血を頂いているんだなぁ~としみじみ。

命を繋いで頂けたことに、感謝の想いが湧いてきました。


毎日、病院へ通う日々は、いつ何が起きるのかわからない状況ではあるけれど、私はすごく充実しているんですよ。

もちろん、疲労はあるけれど、なんともまぁ自己満足な話ですが、ばぁさまのお世話が出来ることが、嬉しいんです。

憎しみ合った?!叫び頃から考えると、想像を絶する状況です。


思えば、ばぁさまとは、ほんとうにたくさんの事件や出来事がありました。

鍛えられたというか、学ばせてもらったというか、私の人生に大きな影響を与えてくれた人です。

ばぁさまが、何をどう思っているのかはわからないけれど、私の中では、充分に満足な関係で、何の悔いもありません。


でも、色々考えさせられます。

良くなることがばぁさまのしあわせなのだろうか?

嚥下機能が低下しているので、今後ご飯が上手く食べることが出来ないかもしれません。

今、鼻から経管栄養を入れているから、回復したけれど、施設では経管栄養をやってもらえないので、退院=管を外すことになります。

つまり、上手く食べれないのであれば、栄養が取れず衰えていき、再度誤嚥性肺炎になるリスクがあるのです。


ばぁさまは、何ひとつ自分の意思で選択肢を選ぶことが出来ません。

生きているけれど、生かされています。

これもばぁさまの人生なのかもしれないです。

でも、解ったことがあります。


ばぁさまがこの世で貢献できることは何もないけれど、少なくとも主人と私にとっては、生きていてくれることが貢献なんだと思いました。

それを言葉で伝えようと思うと、泣きそうになって言えませんが、心の中で毎日伝えている今日この頃です。



おはようございますラブラブ

新年を迎え、もう1週間も経ってしまいました音譜

今年もよろしくお願いしますニコニコ


今年は、箱根駅伝の応援をテレビの前でし過ぎて、

腰痛になってしまい、日々痛い想いを抱えながら過ごしております。

立ったり、走ったりは出来るけど、座るとイタッてくるのです。

「こたつで座りすぎ腰痛」だと自己診断しております。チョキ

腰痛のツボ、腰を温める腹巻、シップでかなり快方に向かっているけど、

痛いという所があるのは、つらいものですね。

新年早々、身体を労わることを実感しています。

さて、新年気持ち新たに仕事を始めておりますが、私の目下の課題は、

冷たい態度をされた時、自分がどのように捉えるかということ。

職場の上司で、私に対して、冷たい態度をする方がいます。

アドラー心理学で言うなら、とても競合的な態度になります。

相手が競合的な構えている場合、私は、オロオロする傾向にあります。


職場の上司の場合、新年の御挨拶で、私が「今年もよろしくお願いします」

と言うと、なんだか忙しそうにされていたのですが、お返事は・・・・


「はい」  のみ。叫び


他の方にごあいさつしたけど、皆さん「よろしくお願いしますね~」と応えてくださいます。

気持ちが良いですね~、挨拶が交わせるって。音譜


「はい」って新年の新しいご挨拶の仕方かな~

なんてことは思えなくて、相変わらず冷たい態度だなぁショック!

と私は思いました。

これまでも、ずっとこんな感じなので、相手の問題だから、私のすべきことをしようという構えでやってまいりました。

お正月休み中は、のんびり過ごしていたので、また戦場に戻ってきた感がありますが、私は今後どんな構えを選びましょうか?


①その都度「なんてうざい態度なんだ!」と怒りをぶちまけ、ストレス発散させながら過ごす。


②静かに何も言わず、修行だと捉えて過ごす


③その上司がしあわせになるために、自分が出来ることをする


さてさて、何を選びましょうか?

アドラー心理学を学んでからは、③を心がけて過ごしてきました。

でもね、現実に晒されると、時々怒りや悲しみが湧いてくるんですよね。

その感情とどう向き合っていくのか?なのです。

辛抱するのではなく、どうすれば良いのでしょう?

と思っていたら、職場に届いていた年賀状が1通机の中にあるのを発見目

以前関わりのあった子からの年賀状でした。

新しい場所で、とっても元気に過ごしているという報告と

「ご健康とご活躍をお祈りします」と書いてありました。


活躍しますとも~~アップ

捨てる神あれば、拾う神ありドキドキ



私らしく、誰にでも平等に、みんな仲間として過ごして行くことを選ぼうと思いますビックリマーク