関白秀次事件(NHK 英雄たちの選択)感想 | 福永英樹ブログ

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 昨夜放送されたNHKBS英雄たちの選択「秀吉狂乱 関白秀次事件」を視聴しました。


 これまでの定説ではなく、『豊臣秀吉は関白豊臣秀次を高野山で出家させたものの、豊臣一族による関白職継承のため命だけは温存するつもりだったが、予想に反して秀次が自ら切腹した』という新説に沿った番組進行でした。キリスト教宣教師の『秀次は内心秀吉の朝鮮出兵に批判的だった』という記録もありますので、あるいは秀次が政権の実権を握りたいと考えていたかもしれません。外征に反対だった叔父豊臣秀長が秀次に遺言した可能性もあります。ただ果たして彼があの千利休のように自らの命にかえて秀吉否定を断行する人物だったかといえば、少々疑問です。また秀次切腹の検死役を務めた福島正則が、その功により11万石から24万石へ大幅な加増を受けていますし、秀次弟の豊臣秀保も藤堂家の記録によれば秀吉に暗殺された可能性が高いのです。また『秀次が勝手に自害したから、秀吉が腹立ち紛れに39名の妻子を皆殺しにした』という論理もかなり無理があります。やはり単純に実子可愛さのあまり後顧の憂いを消し去ったというのが秀吉らしく、それが真実だったのでしょう。


 だいたい豊臣秀吉が自分が死んだ後の日本国や豊臣政権にどれだけ責任を感じていたかということです。もし彼が息子豊臣秀頼の安全や豊臣一族による関白職継承を本気で考えていたとすれば、わざわざそれを危うくする第二次朝鮮出兵に踏み切らなかったはずです。つまり自分が死んだ後のことなどより、今この時の感情やプライドを優先するのが秀吉という人であり、徳川家康のように物事を長い目で見ていく冷静さは残念ながらありませんでした。言い方がひどいかもしれませんが、一言でいえば誰よりも自分が可愛い人だったのです。


 あと秀次をあまり過大評価するのも禁物です。彼は為政者として自らを鍛えて徳を積まなければならない20歳代中盤の時点で20名以上の側室を置いた人であり、番組で紹介された最上義光の娘も無理矢理自分のものにしています。つまり秀長もほかに人がいないから仕方なく秀次に豊臣政権の後を託したわけであり、百歩譲っても並みより少し優れた程度の人物だったと私は思います。また石田三成と小西行長は、かなり早い時期から宇喜多秀家を秀頼成人までの中継ぎとして期待していたふしがあります。まあそれでも番組出演者の皆さんがおっしゃったように、秀頼さえ生まれなければ秀吉死後の政権は秀次がそれなりに運営していた可能性は高いです。家康が死んだ1616年にもし秀次が健在なら、彼は分別盛りの49歳になっていたからです。