大義名分のためには手段を選ばないのは鎌倉殿以上だった北条義時 | 福永英樹ブログ

福永英樹ブログ

歴史(戦国・江戸時代)とスポーツに関する記事を投稿しています

 あの徳川家康が尊敬してやまなかったのが、鎌倉殿こと初代将軍源頼朝ですが、真に日本で初めての長期武家政権を確立したのは、今放送されているNHK大河ドラマの主人公北条義時でした。

 

 平安時代までのこの国の統治は朝廷に側付く貴族たちでしたが、彼らは京都から家来を全国各地に派遣して行政はすべて任せっきりで、税(年貢)を搾取してぬくぬくと暮らすばかりでした。それに対して東国を中心とした武士たちは土地を開墾して実際の政治を担い、耕作してくれる農民たちを命懸けで守り続けました。従ってこのような理不尽が続くはずもなく、武家政権が中央の朝廷貴族を凌駕したのは歴史の必然だったのです。流人に過ぎなかった頼朝が奇跡的に政権を得たのは、歴史の必然性の流れに上手に乗ったからなのです。ただ頼朝死後に実質的に政権を運営した義時は、頼朝のように源氏の血筋にはまったくこだわりませんでした。二代・三代がボンクラだと分かれば、感情に流されることなくあっさりと源氏を切り捨てたのです。それは義時が大義名分のためには手段を選ばなかった頼朝の後ろ姿をずっと見てきたからこその行動であり、そういう意味では、彼は主君だった頼朝に倣ったと言えそうです。

 おそらく今後のドラマの主題はこのあたりがメインとなりそうですね。今回の三谷脚本はユーモアを交えながらも、歴史的意義を貫いた非常に秀逸なものだと感じています。