米軍キャンプ場跡 | ☆ 占い師・画家…人間のようなもの ☆

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画家・伝説の魔術師☆ 相馬 英樹 の愉快な毎日♪

支笏湖南岸には、釣り人やカヤック愛好家などから『米軍キャンプ場跡』と呼ばれている砂浜があります。


1946(昭和21)年以降、朝鮮戦争期〜ベトナム戦争期に、現自衛隊東千歳駐屯地内に駐留していた米軍の水泳訓練施設が支笏湖南岸に存在しており、


当初は現在『米軍キャンプ場跡』と呼ばれている地点よりモーラップキャンプ場に近い位置にある枯れ沢にあった様ですが、


1962(昭和37)年に、当初の水泳訓練施設より風不死岳寄りの風不死岳北尾根コース登山口付近の砂浜に移転されたのだそうです。

水泳訓練施設、地図上の記載では『米軍水上訓練施設跡地』とは言っても、米軍や家族のレクリエーション施設としても使用されていたようで、『千歳市史』によると、当時、王子製紙の借用地だった面積約13000平米という広大な敷地に、宿泊施設など計17棟の宿泊施設など、米軍がレクリエーションで使用する建物が点在していた様です。

『米軍キャンプ』という言葉を真に受けて捉えた印象としてなのですが、

私個人的には、就役軍人が上官に殴られながら汗だくになって

一日中、腕立て伏せや匍匐前進をさせられ軍人魂を叩き込まれているイメージを持っていたのですが、

どうやら、家族を湖の畔に連れてきて、ビール片手にバーベキューを頬張り、レクリエーションをしていらしたらしいのです!
(千歳民報より)
これがその時の様子です。

同じ日の朝、ベトナムの米軍キャンプでは、
兵士が森の中でベトコンに狙撃され爆死した仲間の肉片の傍らで、

薄れ行く意識の中で必死にネックチェーンを引きちぎり、ペンダントに写る家族の写真を握り締め、血を吐きながら死んで逝くというのに…
(千歳民報より)
こちらではみんなニコニコと湖を眺めながらレクリエーションですか…

なんとも感慨深くて…なんだか涙が出ちゃいます。

それを想いながら米軍キャンプ場跡地の砂浜に座って石を積み、湖を眺めていました。

今は米軍はおろか、人っ子一人いない米軍キャンプ場跡地の浜辺ですが、熊っ子は毎日来る筈です。

以前、ここを含む付近の山林で、数週間にわたり無食単独での山籠り修行をしたことがありますが、熊っ子は、たびたび来ます。

そのことについては後日書こうと思ってます。

それにしても、今となっては米軍キャンプ場だった頃の面影は殆どありません。

ふと気がついたのですが、
これは当時の遺構でしょうか…

それとも、山線の遺構かなぁ…
爽やかな風に吹かれて、ムシトリナデシコの花が咲いていました。



おわり。