人は、自分が気分を害するとき・試みが失敗に終わったときなどに
決まって外的要因があり…他人や環境や社会のせいであって『俺は悪くない』という様な内容の、キモい主張を繰り返して来た。
その、多くの人間がもつ特性については、全く理解し難いことこの上ない。
私がサラリーマン時代に勤めていた会社で、些細なヒューマンエラー(個人による凡ミス)によって、請け負っている巨大な仕事の依頼自体が白紙になるかどうかの瀬戸際と言っても過言ではないような、重大な問題が発生する、という事象があった。
私はたまたま、会社全体の動きを正確に記録する責任職を任せられていたので、何月何日のどのタイミングで、誰のミスによってその事象が発生したのかを知っていた。
勿論、知っていることは誰にも言わずに黙っていた。
残念なことに…やはり私の予想した通り、やっちゃった本人も黙っていた。
私が『あぁ、それ俺のミスだったかも。』と言ったらどうなるかどうか面白そうなので、試しに言ってみた。
どうなったか訊きたい?
それはまた今度ね。
まあ、たいした事にはならなかったよ。
こんな感じで多くの人間が、全世界を取調室だとでも思っているのか
評判を重んじ、個人的な批判や『孤立』に過剰に怯えている。
先日の水道管凍結→破裂→冷蔵庫の故障の記事に対する周囲の反応によって、私にとってはどうでも良いことが、他の誰かにとっては死活問題だということに、私は心の底から驚いたのは事実である。
冷蔵庫が壊れて嘆いていた人が、故・世界一貧しい国の大統領の演説や、海外の泣けるコマーシャルを、過去にフェイスブックでシェアしていた。
いったいこの人は何なのだろう…と思うことしか私には、出来ない。
人間って本当に、可愛いな。