先日、午後から小樽で釣りをした。
細かい場所は言えないが、
地元の人なら写真の一部から解るはずだ。
平日水曜だというのに岸壁は完璧に埋まっているが、
朝から居たという釣り人に訊くと誰一人として何も釣って居ないという。
釣らぬなら 釣って見せよう アニサキス …
などと頭の中で下らないことを考えながら、
一人でのんびり出来そうな釣り座を確保しようかと思い始めるのだが、
完璧に埋まった岸壁を今一度見渡すと、
私と同じように岸壁を見渡し、諦めて帰って行く人が見える。
あ!廃船と廃船の隙間があいてる!
そこで廃船の上で整備作業のような感じのことをしてる人に断った上で、
廃船の隙間に釣り座を確保した。

そこでひとつ、私には気がかりな事があった。
20メートルほど離れてはいるが、
隣の釣り座で釣りをしてる人が自分自身のために車の窓を全開にして、
カーステレオから釣り座に向け、結構な音量で音楽を自分に聴かせて居る。
主がちゃらちゃらした若者であれば
場所を移動して心を静めるか
『ヘッドホンで聴いてくれませんかね。』と相談しに行くかしていたかも知れないが、
主は私の父親と同じぐらいの年代だろう。
ちゃらちゃらしていたのはずっと昔のこと。
聞こえてくるサウンドは、赤い鳥、カルメンマキ、ガロ、ジャックスなど、
今をときめかない、懐かしのサブカルフォーク・ロックで、
この日釣りに出掛けなければ一生海辺で聴く機会はなかったであろう曲たち。
主の風貌も、
あの頃からずっと同じ服を着たまま老いてしまった
『過去の人』であることを象徴するかのような出で立ちなのである。
千年に一度あるかないかの突然変異的惑星間の座標アルゴリズムの混沌が織り成す、奇跡的な、出来過ぎたシチュエーション。
私は、挨拶がてら、『私はこの曲が好きです。』とだけ言って
自分の釣り座に戻ってきた。
ヒッピーとは反対隣に釣り座を構えているのは旧公務員風の堅そうな老人であるが、
僕が着いてまもなく、この日のこの埠頭初の釣果『クロガシラ40センチ越え』をあげた。

先は越されたが、居るには居ることがわかった。
二号の埠頭釣果は小さくて恐縮だが
私が『シマゾイ23センチ』を釣った。

そして
こんなものや
こんなもの『クリガニ』まで釣れた。
いわゆる邪道である。
測っては居ないし種類も違うが、市場やスーパーで売られている一般的な毛ガニに比べると大高も厚く、はるかに大きい。
クリガニに関しては、密漁になるかも解らないので、埠頭に居た海上保安庁の人にも確認したうえでバケツに入れて持ち帰った。
私が小学校に入学したての春、父と石狩川の河口付近にモズクガニを釣りに行ったことがある。
釣りといっても針ではなく、鮭の頭をタコ糸でぐるぐる巻きにしたものを糸にくくりつけて投げ竿で投げる、というものだ。
暫く放置して置いてから、
頃合いを勘で見計らって引き上げると
急に動き出した鮭の頭を『離すものか!』と、感情的になって強く抱きしめるのであろう。
時には5~6匹のモズクガニがしがみ付いて釣れてくるのだ。
そのときに『クリガニも混じってるから、今日はカニが食べれるな~』と父が言っていたのを思い出した。
釣ってきて、『処理が面倒!』と母に怒られ、
嬉しくて吼えたことにより、飼い主にぶっ叩かれたときの、柴犬のような顔をして、
モズクガニを洗っていたのは覚えている。
恐らく40年ぶりのクリガニ料理である。、
まだ元気に暴れているクリガニを
たわしでよく洗ってから
輪ゴムで緊縛して、塩茹でするだけだが
塩加減と湯で時間の目安だけでも確認して
最高の状態で食べたいのだ。
茹で上がると
形こそ違いはするが、まるで毛ガニのようだ。
茹でると、前脚の爪の先が青黒くなるのが特徴のようだ。
フンドシの形状からオスであることが解る。
実がぎっしり詰まっていて旨そうなので、食べてみる。
う
う…
うまいっ!
うますぎる!
念願の蟹ミソも…
あまりの興奮のため
分けの解らないたとえになってしまって恐縮だが…
何だか、かねさ味噌の様に、ぎっしりと詰まっている。
邪道ガニを食った話、以上だ。
明日は旭川のcocodeという市民活動するところで、生命保険会社主催のイベントに呼んで頂いているので、釣りではなく、タロット占いを堪能しようと思っている。
週末の4月15日と16日は、愛別総合センターで開催されている恒例の『晴れるやinあいべつ』でタロットを堪能する予定。
愛別といえば私の大好物である、きのこの名産地。
きのこを買いにくるついでにでも、会いに来て欲しい。
では、みんなも、面白楽しい一日を!