志村さんの死で、親父の死を思い出す。 | 椎間板ヘルニアを克服したスポーツトレーナー hidekazuの日記

椎間板ヘルニアを克服したスポーツトレーナー hidekazuの日記

20代…腰痛に悩まされ 30代…椎間板ヘルニアで入院!
そんな困難を乗り越えながら、カラダの使い方を良くし
走れるカラダにした甘い物大好き人間!
体型維持するスポーツトレーナー都築秀和

こんにちは ひでかず です。

 

昨日、志村けんさんが亡くなり

フッと親父のことを思い出しました。

 

2011年10月

兄貴から「親父が倒れたから直ぐ来れるか?」と電話。

 

「マッサージの予約が入っているから17:00に出る。

19:00ごろには病院に行くよ!」

 

病院に到着すると

ヒューヒューゼーゼー呼吸困難

「これでも落ち着いた方だよ。運ばれた時はもっと凄かった!」

 

兄貴に話を聞くと、

「数日前から便秘になって、『トイレに行きたい』と施設の人を呼んだ。

便が一気に出たのであろう、そのまま倒れ呼吸困難に…。」

 

親父の手を握り「親父!誰だかわかるか?ひでかずだよ!」

そう問いかけると一瞬目が合ったような…

そして握りしめた手に力が入ったような気がした。

 

兄貴たちと話をしながら時間はもう21:00

泊まろうか悩んだが、職場から直行したので荷物を取りに家に戻りました。

 

深夜2:00 兄貴から電話。

「今、息を引き取った…と病院から連絡があったから行ってくる。」と…。

「…分かった。始発で向かうよ。」

この時の記憶がない。ズーっとボーっとしていたであろう。

 

あの時、帰らなければ良かった。そればかり考えてしまった。

最後は肺炎で眠るように亡くなったとのこと。

 

 

今回の志村けんさんの死。

芸歴48年…ほぼ自分と同じ年。

小学校の頃は「昨日のドリフ見た?」が合言葉。

お楽しみ会ではヒゲダンスやったなぁ(笑)

笑いの中心はドリフターズだった。

 

小学生の頃、

8時だよ全員集合より野球観戦する親父。

晩年、志村けんのバカ殿様を見ていた親父。

本当は好きだったんじゃないの?

 

志村けんさん苦しまなかったかな?

天国で親父を見つけたら一緒に酒を飲んでください。

ご冥福をお祈りします。