【千利休】
千利休に関して、キリシタンであったかどうか、Wikipediaは、言及を避け、 一切 黙してますね。
しかし、【千利休 キリシタン】と入れて検索してみると、どうも、千利休はキリシタンだったんじゃないのかという説が、いっぱい出てきますので、検索してみると面白いと思います。
南蛮屏風絵(狩野内膳筆)

この絵の中に、千利休が描かれているという説もあります。

(≧∇≦)~~~♪
どこにでも顔 出すおっさんやったんやなぁ😆
フランドルの画家アールト・デ・ヘルデルが描いた『キリストの洗礼』
こん中にもおるような気ィすんねんけどな。。。(UFO飛んでる件は無視😆)
キリシタンやったしかなぁ🤣💦💦💦
さて………
豊臣秀吉が《バテレン追放令》を発したのが、1587年7月24日。
千利休が、切腹したのが、1591年4月21日。
4年弱の間、バレんかったわけやね。
秀吉……アホやな🤣💦💦💦
そもそも、私達 日本人が、いったい何者かを考えた時、この《バテレン追放令》も《キリスト教禁教令》も、アホの所業と言わざるを得ない。
私達 日本人は、ユダヤ人。ユダヤ教や景教・原始キリスト教徒の集まりだったのですからね😆
(私のブログは、このへんから読まれることを、お薦めします。)
《スファラディ》と《アシュケナージ》
あ!。この話は、まだ封印やった😁

【千利休】=【st. Luke】 (≧∇≦)~~~♪
そんなに深読みせずとも、、、、、
【千】【利】【休】
【千】は、見てのとおり《INRI(ナザレの王と揶揄した銘板)》の付いた十字架。
【利】は、その INRIの銘板の付いた十字架に磔にされ、刃(ロンギヌスの槍)を突き立てられた人と書く。
「刂」(りっとう) とは、刀 の事。
【休】は、簡略ではあるが、人によって十字架に架けられた人。
つまり、、、【千・利・休】は、キリシタンでなければ、逆に不自然なのですよ(笑)。
【利】を、調べてて気づき、笑ったのは・・・・・
訓読み →《き》
音読み →《り》
表外読み →《と》
《き》《り》《と》
ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ・・・キリストぢゃあ~~~❗❗
(#`皿´)う~ん……【秀吉】、ほんま、アホ猿やったんやなぁ~・・・。
自分もキリシタンやと、何故に気づかん?。
【秀】 ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ…キリスト&ノア💦💦💦
俺はね、いっつも、なるほどなと思える事しか書いてないし、言ってない。それは、誰しもが、少し考えりゃ分かる…解る…判る事だと思うのです。ほんとはね、こんな事は、どうだっていいとも思うのです。でもね、勿体ないなぁ~~~とも思う。。。
「神様が~~~♪」とか「宇宙人が~~~♪」とか、いつまで言ってんのかなぁと、笑っちゃいます。
どこを検索したって、先人の受け売りしか出てこない。情けない………。
(▼皿▼)...「真実って、こんなもんじゃねぇぞ~~~♪」
(≧∇≦)~~~♪。
【おまけ】
(・ω・)…【でんでらりゅうば】な【かごめかごめ】のアンサーソングになってるお🤣🎶🎶🎶
ちょみっと考えてみたらいいと思うお😁✌️
《ヒント》
【かごめかごめ】「でやる」は、関西弁。
【でんでらりゅうば】「でん」は、九州弁。
つまり、関西の人から「いつ出てくるの?」という問いかけをしているのに対して、九州の人が「でも出られれば出て行くけれども…」と返している。
『なんでもかんでも』は、九州では『なん(でん)かん(でん)』
『でん』は『出ん』だけではなく『でも』も兼ねている。
『でんでら』で区切っても、意味がある。エジプトの神殿や、キリシタンの唄(遠野の姥捨て山とも)。
九州では『行く』を『来る』と言う😆💦💦💦
ま…それこそ、少し考えてみましょう😉✋🎶

