ジュニアゴルファーの親御さんへ
ジニアゴルファーに関わって3年?責任者になって1年半
気が付いた、気になることが何件か?
1.挨拶
ホームではジュニア大会の時、数名ジュニアゴルファーのサポートをするメンバーさんがいます。
全員、サポーターのジャンパーを着ています。
挨拶がありません、いやほとんど
途中にフォアキャディーをやっている時もね。
勿論、中には挨拶される親御さんもいます。
2.目土
ジュニアが目土をしているのをほとんど見かけません、
申し訳程度に「目土袋」は手持ちしている子もいますが、ほとんど砂が入っていないようです。
親御さんがマメに目土してくださっているのは見かけます。
違うんだなぁ!
小学低学年の子供は一歩譲って目土をしない、忘れるのは已む得ないと思うが
高学年以上は子供に目土をさせ、目土をしない我が子を注意するのが本筋では?
それがあって親御さんは感謝の気持ちで目土をしていただければありがたいと思います。
3.乗用カートは子供には乗らせない
現在はどこのゴルフ場にも乗用カートが導入されていますが、子供たちにはキャディーバッグを運ぶ車と教えて欲しい。
ティーショットを打ったら、概ねどこに飛んだかは分かるはず、必要とするクラブを何本か持って、目土袋を携帯して歩いて欲しい。
カートに乗って、自分のボールの距離まで行ったら、まずはボールを見に行く、そしてカートに戻ってクラブを取りに行く
何か変だと感じて欲しい。
4.PLAY FAST
前述にも関係するが、プレイは慎重に、しかしその他の行動はキビキビスピーディーに
前の組のスピードを常に気にしてラウンドするよう指導して欲しい。
勿論、あるホールでミスの連鎖などで時間がかかることもあるでしょう、
しかし、そんな時に次のホールで前の組との間隔がどうなっているか?
そういうことを気にするプレイヤーになってもらいたい。
5.距離計測器の使い方
まっ、規則で許容されているので否定はできないが、グリーン周りでも距離を測るの?
見た目の感性って、あるいは歩測の感性って大事では???
先日、こんな光景を見ました。
グリーン周りのガードバンカーに子供が打ったボールが入りました。
お母さんが、バンカーに入ってピンまでの距離を測って『21ヤード』と
子供は、グリーンまで行って傾斜などを見てショット、
何度かバンカーに入れていた子供(小学1年生)、とてもバンカーショットが上手でした。
また、親子で距離計を持っていて子供が測って、親も測って・・・
グリーン周りくらい感性でいいのでは?と思ってしまいました。
6.お金の話
ジュニアゴルファーは特別に優遇されていることに気づいていただきたい
ジュニアゴルファー育成ということでゴルフ場はメンバーさんよりはるかに低価格でプレイさせているのです。
当たり前ではありません。
特別に配慮されていると感じていただければ、目土も積極的にやらなければと思う心根を持つように育てて欲しい。
当然、挨拶もです。
常に本日もプレイさせていただき【ありがとうございます】
ではないでしょうか?
勿論、多くのジュニアを見ていて中にはわざわざおいらのところに来て挨拶する子もいます。
子供たちの親御さんは大体30代~40代?
おいらたち団塊世代のジュニア、
そういった意味では我々の子供の教育に問題があったのかもと反省もしています。
団塊世代は何事も競争、ほとんどが貧乏だったので子供たちには・・・、
これがいけなかったのでしょうか?
これを見たジュニアゴルファーの親御さん、
感じていただければその子はいい子になるでしょう。
ゴルフがうまくたってプロになれるのはほんのわずかな才能の持ち主か運の良かった人でしょう。
仮にプロになっても、当然社会生活をする訳です。
心配りができる子供に育てませんか?
挨拶ができる子供に育てませんか?
ほとんどの子供はアマチュアで大人になる、
大人になって社会人になったら、○○さんはゴルフが上手だ!
って言う程度のものですよ。
改正前のルールブックでは
第1章は何だったと思いますか?
”エチケット”
でした。
≪おまけ≫
那須小川のシニアチャンプでアメリカ生活が長かった方のサイトに「プレイ ファースト」を丁寧に書いていあります。
ご参考ください。
ゴルフを止めたくなった日曜日
今年度初めて研修会に参加?
ホームへは度々行ってるが、春先からコロナ感染防止とか、ジュニアゴルファー関連の仕事?がメインで出向いていた。
また、ちょうど1年前から仕事がヤバくなって、ゴルフどころではなくなったりして研修会の参加がままなりませんでした。
月例だけは何とか行くようにしてましたが。
もう何年も克服できないテイクバックイッブス、誰も分かってはもらえない、レッスンに通っていてもいまだにすっきりしないおいらの悩みの本質。
前日、仕事ついでにホームに行って練習をしたが、
ダフリ、こすり球、etc.
要するにボールを掴まえた感覚がないのである。
どうしてこんなに下手になってしまったの?って
そんな状況なので、レストランで朝食も取らず(またまた朝早く起きたのでパン1枚+リンゴ1/4は食べましたが)練習場へ、
やはり、前日と同じ、コイン2枚ボールを打ったがさっぱり。
結果から言うと
”49-48=97/18-19P
スコアはある意味気にしてはいないのですが、ショットがね。
こういう状況になってかれこれ10年、レッスンに通い始めて7年、
一考に変わらない、いやいやますます悪く(不安が増す)なるばかり。
どうすればいいのやら。
止む無くPC買った。
2週間前に自宅のPCの画面が突然切れた。
ご臨終。
さて、困った、
かれこれ25年、自宅にPCがない生活はあり得なかったからね。
今は自宅ではOFFICEを、あるいはweb関係アプリを使うことが無くなったので、タブレットでもいいかな?
とも思って、息子のKenny君に相談したが、やはりおいらは文章を書くのがかなりのウエイトを占めているのでPCかと
いろいろ調べて、「返品中古品」ってやつをメーカーサイトからゲットした。
ハイパフォーマンスのPCなんていらないので、極力安く買おうが第一だったので、
そんな制約から買ったのが↓
機器の設定なんて何年もやっていないので面倒だなぁ、
のんびりやるか!
って、お酒も飲まずに気合を入れてセットアップ
ん?
30分程度でWinのセットアップ、ネット接続完了、
メールはwebメールにしているので特段メーラーを使わない=メール設定なし。
ずいぶん簡単になったものだ。
こんなのに初期設定サービス料金を払う人がいるの?
動くが善か?動かざるがベターか?
最近、過去を振り返ることが多くなった。
まっ、この世にいる時間もカウントダウンってとこからそう思うのかも知れません。
子供時分は別にして動いたのと動かされたことでの変化、経験などを書いてみた。
最初は「結婚」
21歳の時においらが声をかけてから付き合い始めて24歳で結婚、
11年後に別居、16年後には離婚をしたが、二人のまともな子どもを産んで育ててくれたから感謝しかないでしょう。
次は25歳の時に社内カレッジの受験に挑戦、
2年後になったが見事合格して、日立グループから選抜されて入学して来た同期80名とのつながりができた
また、15ヶ月の全寮制生活、かけがえの無い経験をさせてもらった。
「特殊相対性理論」なんてちんぷんかんぷんだった。(笑)
この二つはおいらの意思で動いた。
21歳の時、オイルショックで半年間「日産自動車 追浜工場」に出向、
ブルーバードの生産ラインで夜勤も、また文化の違う会社で中々経験できないことを自分の意思ではないが経験できた。
前記、社内カレッジを卒業して職場に戻ったら、「設計」に移動になった。
これもおいらの意思ではない、
当時、「日本語ワードプロセッサ」を開発するとして、事業所内の精鋭(おいらは違うけど)を集結、それから10年くらいは大学卒の技術者の優秀な人材はほぼここに集結させていた。
ここでの15年はとてもいい仕事、実は今のおいらがあるのはここでの仕事が知識が、沁みついているのだ。
強いて言えば、エリート集団(幕内力士集団)に幕下程度の実力のおいらが入っていたのでいろんな意味で処遇的には恵まれなかったかと思う。
とは言っても、蚊帳の外的な処遇できなく、「普通」だったんでしょう。
まっ、人事考査ですから、おいらの人間性や好き嫌い、etc.があって何ともしがたいことですけどね。
45才の時、当時の部長との折り合いが悪く他社への移動の打診があったが、年収が20%くらい下がるのは納得できず断った。
これが後にいい方向に動くことになった。
その半年後の人事異動で事業所内の別部署に異動。
そこの設計部長はおいらがペイペイの時代からの上司で、おいらが移動するのと同時に事業所No.2への昇進も決まっていた。
人事異動の発表と同時に呼ばれて、その職場、製品の展望を切々と説かれ
『モノづくりの基本、そして量産するための設計とは如何にあるべきか、皆の意識改革を頼む、』と
この時点でおいらがここで図面を書くなんてことはあり得ず、期待されたのはおいらがやってきた仕事のやり方の伝授、製品の信頼性に対する考え方etc.だった。
おいらと同時に別部署(元々はここの設計出身)から移動してきた部長、早稲田出身で服装は”IVY”、夜の町で毎晩お酒を飲んで帰る、しかし頭はキレる、英語も堪能、アナログの感性とデジタルの感性を持ち合わせた方。
この方に業務査定はとびっきりの評価をしていただいた。
面白い話だが、二人でお酒を飲んでいる時
『最初の印象、見方はいつも寿司屋のカウンターで一人で飲んでいるきざなやつだと思っていたけど、”秀ちゃんは仕事もできるんだ!”』だって、(笑)
3年後、本社に行かれ、その後に部長になられたNさんは元々一緒に仕事をやっていた方で、更に業務査定をよくしていただいた。
が、職場の業績が芳しくなく、関連に出られた。
次に来られた部長は畑違いのところから来られ、ほぼ面識もなかった、
しかし、評価は前例踏襲だからそのまま、ただコミニュケーションは今までとは違ってほとんどない。
この7年間は自分の意思で動かず、自分の意思ではなく動かされたがとんでもなく”楽”って言ったら語弊があるが、さして自分でがむしゃらにやってはいないが評価に恵まれていた期間。
と、畑の違うどちらかと言うとアナログ的な人間関係を経験させてもらった時期だ。
銀行破たんによるリストラの時、事業所内においらを看取ってくれる上司は誰もおらず、相談できる上司もいなくなっていたので、自分で決断して早期退職をした。
25年ぶりに自分から動いたのである。
それから17年、その結果は未だわからず、
一つだけ、
ゴルフは明らかに上手になった。・・・・・は過去の話、(爆)
「橋下徹」さんそして「中村喜四郎」さん
政治家を辞めてからコメンテーターとしてTVなどのメディアに良く出ている。
おいらも自宅では7:30~9:00までは「BSTBS」&「BSフジ」の報道番組を見ていることが多い。
先日もBS-TBSi「橋下徹」さんが出ていましたが、
一言で
「うるさい」
元オウム真理教の「ああいえば上祐」の上祐 史浩氏を思い出す。
今後、地位、名誉欲が無ければ収入面を考えても政治家にはならないと思うが・・・、
一方、先日の「報道1930」にはほとんどTVに出ない「中村喜四郎」衆議院議員が出演、
おいらのイメージでは「ゼネコン汚職」がどうしても抜けなかった人でしたが、
数字に強い、正確である、話しが理路整然としている。
一貫して自民党を立て直すと、
そして「党より人」と
茨城でもかなり西が地盤で直接的に接することは無いが小選挙区制の中で無所属で勝ち抜いて当選14回と
ちょっと注視してみたい人物だ。
