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ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第四章 

第88話 家族五人

 

 家族五人がそろった。とても嬉しそうな母の顔。酸素マスクを付けていても良い笑顔で僕らを迎えてくれる。母を囲むようにみんなで座る。何を話すわけでもない。ただ母のそばにいられるだけで嬉しい。みんな同じ気持ちだった。

 

 母の喉が渇いていないか気になる。

「お母さん、水を買ってくるね」

 次兄と一緒に売店まで行こうと廊下に出ると、担当の看護師さんに会った。母に水を飲ませる時の注意点を聞く。起き上がって飲むのが難しい状態なので、仰向けのままで飲めるように、水差しで少しずつ飲ませること。しかし、「液体でも窒息してしまう場合がある」と。注意が必要だ。

 

 水分補給に一番いいのはゼリー飲料だと教えてくれた。液体よりゼリー状の方が喉に詰まらないという。知識ある看護師さんが言うのだから信じたい。急いで売店へ買いに行った。母にはもちろん窒息の話はできないので、「ゼリー状の方が水分補給に適しているそうだよ」とだけ話した。

 

 看護師さんが言った「窒息」の話がずっと頭から離れずに怖かった。もし自分のやり方が下手で窒息させてしまったらどうしよう?と。尻込みして情けなかったが、次兄にお願いすると、母に少しずつ飲ませてくれた。上手く飲めて何よりだった。

 たくさん水分補給をしてほしかったが、少し飲んで、「もういいよ」と手で合図があった。喜んでくれた顔を見て嬉しかった。

 僕らが帰った後にもゼリー飲料を飲ませてもらえるよう看護師さんにお願いをした。

 

 物が食べられなくて、口から水分補給も難しく、かなり衰弱している状態。それでも母は前向きだ。

「食べないとね、退院できないから」

 口から食べる仕草をするが、言葉にも手の仕草にも力がない。

 

 あと僕らが何をしてあげられるのだろう。思い浮かんだことは何でもしてあげたい。とにかく母のそばにいることが大事だ。

――みんなでお母さんを支えよう!

 

 家族五人で一緒にいられる大切さを想う。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第四章 

第87話 医療の本質

 

 2011年2月3日の昼過ぎ。

 病室を八階から一階へ移動することになった。一階の部屋はナースステーションがすぐ隣で、何かあればすぐに対応できるとの説明があった。

 

 四人部屋の右奥ベッドが母の場所となる。手前の二つのベッドは空いていた。左奥(母の向かいのベッド)にいる年配の女性患者さんは、ある病気により奇声を発する。申し訳ないが、これではとても落ち着いて母が休めない。

 看護師さんに別の部屋をお願いすると、

「あの患者さんは眠る薬を飲ませるとおとなしくなるので、薬の時間までなんとかお願いします。治療が終わり次第、あの患者さんの元いた部屋へ戻しますから」

 要するに「我慢をしてください」、ということだった。母の具合はかなり悪い。向かいのカーテン越しから奇声が聞こえてくる。心無い罵声も浴びせられた。母が不憫で仕方なかった。

 

 午後になって到着した兄たちと一緒に、今度は看護師長さんに「別の部屋へ移動させてください」とお願いしたが断られた。母を静かに休ませたいのに、落ち着かない。たびたび発する奇声にイライラした。

――正直言って、この環境に納得できない!

 不満だった。この患者さんが悪いわけではないが、母の病状を思うと、あまりにもタイミングが悪すぎる。よりによってこの部屋でなくてもいい。これなら上の階から移動しない方が良かった。

 

 「せめて静かに母を休ませてあげたい」、「落ち着いて見守らせてほしい」と、人としての心のあり方として、看護師長さんや看護師さんたちに何度お願いをしても、話を聞いてもらえなかった。

「他の患者さんも同じように我慢されています!ご理解ください!」

 と、むしろ強い口調で断られてしまった。病院側の都合でしかない。

 

 看護師さんたちに一生懸命やってもらっているのは分かる。心から感謝もしている。しかし本来、医療は人の心を大事に扱うものなのではないだろうか?患者と家族の気持ちを大切にするのが医療の本質なのではないだろうか?どの病院にもあることだと簡単には片付けたくなかった。母の命がかかっている。母の安らぎがかかっている。

 

 再び看護師長さんに願い出て、また強く断られても、母のために負けずと強くお願いしたが、「ご理解ください!」の一点張りで、僕ら家族の願いは聞いてもらえなかった。

 結局は奇声を発する患者さんが移動される気配はない。気にしないようにしても、突然の奇声が耳に入って、どうにも落ち着かない。

 患者や家族と向き合ってくれる、医療の本質を大事にする病院が少しでも多くあってほしいと願う。

 

 母の具合が気になって仕方がない。午前中までは何とか話せていた会話も、次第に言葉が聞き取りづらくなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第四章 

第86話 最後の嘘

 

 兄たちはまだ来ない。病室へ戻ると、すぐに母が聞いて来る。

「検査結果が出たの?」

 知りたい様子の母。

「ううん、まだ出てないよ」

――嘘をついてしまった・・・。

 主治医のI先生から聞いた母の状態はあまりに厳しく、いくら正直に知りたがる母だとしても、この結果は言えない。父も何も言えず、僕に任せていた。

「そう・・・(結果が)出たら教えてね」

「うん」

 

 余命半年の宣告を受けて以来、母は常に自分の病状を知っておきたいと考えていた。正直に話してくれた大橋先生に宣告を受けた時から、覚悟をして過ごして来た。転院して来たこの病院には、残念ながら大橋先生のように、母に本当のことを言ってくれる、心を許せる医師がいなかった。だから僕や父が呼び出されると、母は本当の病状を教えて欲しかったのだ。

 

 母が余命宣告を受けてからは、母に対してどんなことも嘘をつかないよう心がけて来た。いつ最期を迎えてしまうかもしれないという母に、嘘だけはつきたくなかった。本音と建前はあれど、話せないことは話さず、嘘はつかなかった。

 でも今回だけは正直に言えなかった。体力もかなり落ちている母に、もし正直に伝えたとしたら、希望を無くし、気力を無くし、すぐに最期を迎えてしまうかもしれない。それだけはなんとしても避けたい。最後まで希望を持たせてあげたかった。

 

 夕方にもう一度、母から聞かれる。

「先生から結果を聞いた?」

「まだ聞いていないよ」

――また嘘をついてしまった・・・。

「そうなの・・・聞いたら教えてね」

「うん」

 

 母に正直に言えないことが苦しかった。泣きたい気持ちを悟られないように、心配かけないように、何事もないような顔をして、嘘をつくのが辛かった。

 

 今にして思えば、もしこの時、母に正直に話していたら?と考えることがあった。思っていた以上に心が強かった母。もうどうにもならない状況と分かったら、それを受け入れ、覚悟をして、僕たち家族それぞれに最後のメッセージを伝えたかったかもしれない。

 僕が良かれと思って言わなかったことが、もしかしたら母の最期のメッセージの機会を無くしてしまったのでは?とも考えると、母や父、兄たちに申し訳ない気持ちになった。

 

 当時の気持ちを父や兄たちに伝えると、

「それは(お母さんに)言えないよ。言わなくて良かったと思うよ」

 と、次兄が言ってくれて心が救われた。

 

 それでも、母についた最後の嘘はとても切なかった。