「秀と母」 第五章(最終章)
第114話 後ろ姿
JR西日暮里駅から文京区千駄木へ向かって歩いていると、後ろから都営バスが追い抜いて行く。前方の停留所「道灌山下」にバスが停まる。降りて来る人たちの中に、母の後ろ姿を見つけて声をかける。
「お母さん」
振り返って驚く母。
「今、バイト面接の帰り。お母さんは?」
「整形外科の帰り。急に秀郎の声がするから驚いた」
母と笑いながら一緒に家まで歩いて帰った。今から約十年ほど昔の思い出。
この当時はアルバイト先を転々としていて、あちこちたくさんの会社で面接を受けていた。職探しや面接以外の日に家にいると退屈で、時間が余るとよく谷中や千駄木を歩いていた。なので、谷中散歩が好きな母と偶然会うことがよくあった。
谷中からよみせ通りを歩いていると、前方に散歩をしている母と父を見つけた。後ろからこっそり近づいて行く。
どの商店街もそうだが、よみせ通りもBGMが流れる。母の好きな歌、文部省唱歌や童謡がよく流れていた。母と父の後ろまで近づいてみると、商店街のBGMに合わせて母が歌を口ずさんでいた。その歌は「故郷」。母が大好きな歌だ。
母を驚かせようと、すぐ後ろまで近づいて、突然「故郷」を歌う。
「兎追いし♪かの山~♪」
驚いて振り返る母と父。
「びっくりした~!」
と、明るく笑う母。
谷中で母を見かけては驚かせるのが楽しみだった。
ある日、停留所「道灌山下」で、母と似た後ろ姿を見た。振り向いた姿はまったくの別人。もし母だったなら「びっくりした~!」と明るく笑ってくれただろう。もう二度と会えないと思うと悲しくて切なかった。
どの街へ行っても、母と似た後ろ姿を見かけると切なくなった。もうこの世にいないと分かっているのに、どこかでまた偶然会えるんじゃないかと思うほど。
母の明るい笑顔がもう一度見たかった。母の明るい声がもう一度聞きたかった。
寂しく切なく。母と歩いた谷中の散歩道を帰る。