「秀と母」 第五章(最終章)
第116話 二人の先生
母が生前とてもお世話になった洋裁の野島先生。葬儀に来ていただいたお礼と、母のお墓参りをしてくださったお礼を兼ねて、父と次兄と三人でご自宅にご挨拶へ伺った。長女のSさんにお出迎えをしていただけた。
野島先生は当時八十五歳の女性の先生。お話をしていると、母が野島先生を大好きだった理由がすぐ分かる。とても優しく温かく思いやりがあり、品があって可愛らしく素敵なお人柄。
母の知人は皆さん優しくて品のある方が多い。特に野島先生は母が尊敬して大好きな先生だった。その野島先生とお話ができるだけで心が癒された。
今から約三十年前のこと。母は野島先生と出会い、洋裁へ行くのが楽しみになった。当初は区民センターで部屋を借りて、たくさんの人達が洋裁を習っていたが、ある時期からセンターの都合で部屋を使用できなくなり、洋裁教室は終了した。
しかし、野島先生を慕う人たちの希望もあって洋裁教室を続けることになった。場所は野島先生のご自宅。母を含めて三人が毎週水曜日に、木曜日には他の生徒さんが習いに通っていた。
休憩時間には野島先生や皆さんが持参したお菓子を食べながら、お茶の時間を楽しく過ごしたという。母はいつもお土産に持ち帰って来てくれた。いつも美味しいお菓子を食べていた話をすると、
「そうそう、千恵子さんはお子さんへお土産に、いつも食べずに持って帰っていましたね」
と、話してくれた。そんな母の優しさが嬉しかった。
洋裁教室も個人の事情により一人減り、二人減り、最後は母だけが一人で通っていたという。
母は入院してからも、野島先生の体調を心配していた。それほど慕っていた。野島先生が葬儀に来て下さって、母がとても喜んでいたのが分かる。なぜなら、それは僕の体を、心を通じて母が喜んでいたのを感じたから。だから、どうしても野島先生には感謝の気持ちを込めて、お礼のご挨拶に伺いたかった。
「母の葬儀に来てくださって、本当にありがとうございました。母も喜んでいたと思います」
「まだお若かったのに、残念です」
野島先生は母を思い出し、涙を流した。
母が洋裁教室に通っていた時の話を聞くと、
「千恵子さんがいつも座っていたのが、その席です」
今、僕が座っている席だった。今日たまたま座った席に、母はいつも座っていたのだ。これは母のお導きであると感じて感動した。涙が溢れて来た。今、母がここにいると感じた。
――お母さんの分まで、野島先生に感謝の気持ちを伝えたからね。
野島先生にお礼のご挨拶ができて本当に良かった。
それから四年後、2015年の夏。
野島先生が体調を崩して入院された。もう幾日持つか分からないと、長女のSさんから連絡が入った。虫の知らせか、ちょうどその頃、野島先生のことが頭に浮かんで気になっていた。どうしてもお会いしておきたいという気持ちが込み上げてきた。父から長女のSさんにお願いをしてもらい、野島先生に会いに行くことになった。
入院先の病院で野島先生にお会いできたが、ここ最近は記憶が曖昧になり、身近な家族しか思い出せないという状態になっていた。
父と一緒にご挨拶をしても、僕らが誰だか分かっていないようだった。しかし、「浅賀千恵子の息子です」と、母の名前を口にすると、
「(亡くなるのが)早かったですね」
と、急速に野島先生の記憶がよみがえった。
もう一度、「野島先生、浅賀千恵子の息子と父です」と、話しかけると、今度は思い出したように笑顔を見せてくれた。嬉しかった。身内以外の人は思い出せなくなっていたのに、母を思い出してもらえた。長女のSさんも驚いていた。それほどの奇跡だった。きっとまた母が近くにいて、野島先生に僕らの思いを伝えてくれたのだと感じた。
その一か月後、野島先生は亡くなられた。父と次兄と一緒に、野島先生のお墓参りへ。ちょうどその日が野島先生の月命日だと教えてもらい、これも何かのお導きと感じた。
――天国で母と仲良くしてくださいね。
心の中で声をかけ、手を合わせた。
長女のSさんに、野島先生と母が写っている写真があると聞いて見せてもらえた。初めて見る野島先生と母の写真。他の生徒さんと四人で写っている。
母が珍しく「先生、一緒に撮りましょう」と自ら言って撮った写真だという。にっこり笑った野島先生の優しい笑顔。この写真が遺影になったという。長女のSさんから「千恵子さんのおかげで、良い笑顔の遺影になって良かったです」と言ってもらえて嬉しかった。
母と野島先生は心の絆が強く結ばれていたと感じる。つながっていった素晴らしいご縁に心から感謝した。
野島先生のお墓参りが出来て本当に良かった。きっと母も喜んでいる。
もう一人、お礼を言いたい先生がいた。母が最初の入院先でとてもお世話になった大橋先生だ。母だけでなく、たくさんの患者さんの命に携わっている大橋先生。大変お忙しいのは想像がつく。
――お会いすることはできないかな・・・。もう母のことを覚えていないかな・・・。
それも仕方ないと思っていたが、次兄が病院に電話をすると、会ってくださることになった。大橋先生は母を覚えていてくれた。
父、長兄、次兄と四人で病院へ向かった。
大橋先生とお会いするのは、母が転院して以来、約半年ぶり。母の余命宣告を受けた時はショックだったが、大橋先生は僕ら家族に正直に話し、誠意を持って母の治療をしてくださった。
あの時、最初は冷たい先生という印象だったが、率直に言ってもらった後は優しく接してくださった。母自身も直接の宣告を受け、本当のことを話してもらえた大橋先生を心から信頼していた。
母に希望を与えてもらい、治療にも全力を尽くしてくださり、母にも僕ら家族にも優しく接してくださり、心から感謝した。できれば最後まで大橋先生に診てもらいたかったが、病院の都合による転院は仕方のないことだった。
今思い出しても、最初の治療で調整が上手くいったからこそ、その後は体調が安定して、年末年始を家で母と過ごすことができた。
だからこそ、大橋先生には是非ともお会いして、直接、感謝の気持ちを伝えたかった。
「浅賀さん、どうぞ」
診察室へ入り、大橋先生と久しぶりの再会。
「まぁ、どうぞおかけください。(転院先の)H先生から聞きました。残念ですね。最初にお話ししたと思いますが、浅賀さんは非常に難しい病だったのでね・・・。うちもH先生のところでも、いろいろと手は尽くしたのですが、残念です。でも浅賀さん、頑張りましたね」
大橋先生が母を褒めてくれた。涙が出そうになった。
「最初に先生に治療していただいたおかげで、そのあと安定して、年末年始は家で母と過ごすことができました。ありがとうございました。心から感謝いたします」
感謝の気持ちを伝えた。
「いえいえ、そんな私は・・・。年末年始をご家族で過ごせて良かったですね。お父さん、落ち着きましたか?」
「まぁ、少しずつ」
正直な気持ちを話した父。
大橋先生が続けて父に話しかける。
「私が母を亡くした時は、思い出したり悲しんだり、落ち着くまで五年ぐらいかかりました。五年ほど経つと、ようやく落ち着いてきますから。頑張ってくださいね」
その言葉の意味が、五年経つとようやく分かって来た。母を失った寂しさ、喪失感は家族みんな一緒。ぽっかり空いた心の穴は急には埋められない。日が経ち、少しずつ少しずつ落ち着いていく。時が癒してくれる。
母が大橋先生に出会えて本当に良かった。ようやく大橋先生に感謝の気持ちを伝えることができてホッとした。
――お母さん、感謝の気持ちをちゃんと伝えたからね。
こうしてまたひとつ、心が落ち着いていく。