「秀と母」 第五章(最終章)
第118話 思い出の道
母と歩いた思い出の道を歩く。台東区は谷中、文京区は根津、千駄木へ。
子供の頃、谷中は刺激的でなく、むしろ退屈な街と感じていた。もっと都会で華やかな街へ遊びに行きたいと思っていた。しかし、大人になるにつれて社会の厳しさ、自分の置かれた立場や現実を知り、挫折を経験し、傷つき落ち込んだ時、母に誘われて谷中を歩いた。
静かでゆったりとした時間の流れ、人情味溢れる街の雰囲気、谷中銀座の活気ある賑わい。優しく温かいこの街に心が癒された。谷中の良さに気づいていく。
毎年8月末は谷中から近い西日暮里の諏訪神社お祭り「お諏訪様」が毎年の楽しみ。お正月には谷中七福神めぐりで上野まで歩く。行事がない週末も、谷中の味わい深い散歩道を母と父とよく歩いていた。
谷中まで歩くコースは、千駄木の静かな住宅街を歩き、須藤公園を抜け、団子坂下から三崎坂を上り、谷中霊園へ。そこから土塀に屋根瓦が積み重なる「築地堀」まで歩き、朝倉彫塑館の前を通り、幕末の上野戦争での弾痕が残る経王寺に寄り、夕焼けだんだんを下り、谷中銀座を通って帰る。
谷中銀座では「肉のすずき」や「肉のサトー」のメンチカツを食べる。酒屋「越後屋本店」でビールケールに座り、ビール片手にメンチカツをくわえて自撮りしている時も、母は「また自分撮ってる」と笑いながら待っていてくれた。
三崎坂を上らないコースは団子坂下から「よみせ通り」へ。パン屋「リバティ」で菓子パンを買って帰る。母はアンパン、僕チョコパン。
母お気に入りの谷中コースがある。JR西日暮里駅方面から青雲寺前の細い道を歩き、谷中銀座を横断して、通称「萩寺」と言われる「宗林寺」で萩の花を楽しみ、岡倉天心記念公園前を道なりに歩くと、豆の専門店「丸安商店」で小豆ときな粉をよく買いに行った。
根津まで歩くコースは、谷中三崎坂下の細い路地を抜けて、甘味処「芋甚」へ。最中アイスをコーンで食べるのが楽しみだった。母は大のコーン好き。お味は母が小倉、僕バニラ。
根津でもう一つ楽しみだったのが、言問い通り沿いの蕎麦屋「新富士」でのお昼。
五十代のご夫婦が営む美味しいお蕎麦屋さん。ご主人が蕎麦を打ち、話好きの明るい女将さんがホールを担当。
お気に入りの天ざるは、つけ汁の器に入りきらないほど大きなかき揚げが乗り、こしのある蕎麦も、ちょっと濃いつけ汁も美味しい。今までどのお蕎麦屋さんで食べても特に美味しいと思わなかったが(そんなに蕎麦経験ないですけど)、このお店は美味しかった。
何より可愛い看板犬がいた。ウェルシュ・コーギーの雄で名前は「まめ」ちゃん。
このお蕎麦屋さんは母と父が散歩中に見つけた。母の上手な誘い方は、
「可愛い犬がいる根津のお蕎麦屋さん、行ってみる?」
と、僕の犬好きを分かっていた。さすが母。もちろん即二つ返事です。
看板犬まめちゃんは、めちゃめちゃ可愛い。いつも店内を自由に歩いて、お客さんが入ってくるとお出迎え。吠えずに大人しく人懐っこい。母によく懐いて、蕎麦を食べる母の足元で伏せして寝ていた。
まめちゃんの遊び道具は太い縄。中心が方結びになっている。それを咥えて持って来て、目の前でポトリと落とす。「持って」と催促するまめちゃん。縄を手に持つと、まめちゃんが縄の結び目を噛んで凄い勢いで引っ張る。綱引きだ。凄い力で引っ張られるので手を離すと、縄を咥えたまま店の奥にある自分の座布団まで持って行く。
すぐにまた縄を咥えて持って来て、目の前にポトリと落とす。「また綱引きやって」と催促する。この繰り返しがとても可愛かった。母も僕も大好きだったまめちゃん。蕎麦も美味しく良いお店だったが、残念ながら現在は閉店して寂しい。
谷中から上野まで歩くコースは、谷中霊園から上野桜木へ。旧吉田屋酒店とカヤバ珈琲の十字路を真っ直ぐに進むと、突き当りの左角に和菓子の「桃林堂」がある。ここで抹茶を点ててもらい、お茶菓子を食べた。
桃林堂を後にして、前方の信号を渡って直進すると東京藝術大学がある。その先の上野恩賜公園へ。ここまで母と歩いたことも思い出深い。
いつも隣で歩いていた母はもういない。谷中は母との思い出の街。
次の仕事先がなかなか見つからなかった2010年1月。「気分転換に」と母に誘われて出かけた。荒川区は日暮里の繊維街を歩く。母のお気に入りのお店で洋裁に使うボタンを探した。洋裁好きな母。この繊維街で布やボタンを買い、洋服を作っていた。繊維街を歩く母は嬉しそうだった。
繊維街からJR日暮里駅に戻り、初めて「日暮里・舎人ライナー」に乗った。足立区の見沼代親水公園駅まで行って戻って来る。それだけのことだが、母は「先頭車両の窓から眺めが良いから乗らない?」と誘ってくれた。
日暮里・舎人ライナーはコンピュータ制御の自動運転で運行している。大きなフロントガラスから前方の景色を眺めることができた。母の情報によると、このフロントガラス席は人気があり、普段はなかなか座れないという。この日は平日だったこともあり、運よく空いていたので、行きも帰りもフロントガラス席に座ることができた。
帰りは荒川区の熊野前駅で降りて、レストラン「山惣」で美味しいハンバーグをご馳走になった。
当時はアメブロ(ブログ)にハマっていたので、何かにつけて自撮りをしていた。母は僕の自撮りをいつも楽しそうに笑って見ていた。日暮里・舎人ライナーのフロントガラス席で撮った写真は、母に撮ってもらったもの。僕の携帯を手に持ち、慣れない手つきで上手に撮ってくれた。
今にして思えば、ブログ用に自分ばかり撮らないで、もっと母を撮れば良かった。母とのツーショット写真をもっと撮っておけば良かった。でも恥ずかしがり屋の母は「私はいいよ」と照れながら遠慮したと思う。
母がいなくなってから数か月後。熊野前に行った時に、母と乗った舎人ライナーの思い出がよみがえり寂しくなった。
それから日暮里の繊維街を歩くたびに、母がなぜ自身の服をよく作っていたのか?その理由が分かったような気がした。わが家は決して裕福ではない家庭。子供には寂しい思いをさせないようにと、自分で洋服を作り、お金を使わずに、その分を僕ら子供に洋服を買ってくれていたのだ。
毎年夏に母の故郷である静岡へ行く時と、お正月を迎える時には常に洋服を新調してくれた子供時代を思い出し、日暮里を歩きながら感謝の気持ちでいっぱいになる。
文京区の小石川植物園は季節ごとによく出かけた。梅、桜、新緑、紅葉。他にも花が咲く場所へ出かけた。昭和記念公園、新宿御苑、浜離宮庭園へ。
母に「これ何ていう花?」と聞くのが楽しみだった。母は即回答のお花博士。
昭和記念公園へ行くと、母の手作りおにぎりを食べるのが楽しみだった。いつも食べる場所は決まっていた。ハーブガーデン近くにあるハナミズキが咲く場所にレジャーシートを敷いて、母の作ったお弁当が広げられる。おにぎり、僕の大好物のウインナー、卵焼きが並ぶ。たくわんも忘れずに。
青空の下、母と父と三人でおにぎりを食べる。外で食べるとまた一段と美味しかった。
薔薇が咲く季節には千葉県習志野市の谷津バラ園へ。母の誘い方はいつも上手い。
「美味しいゴマ団子のお店があるけど行く?」
僕は花より団子とよく分かっていた母。もちろん即二つ返事。
谷津バラ園の甘い香りと美味しいゴマ団子を楽しんだ。ここでも母にブログ用の写真をよく撮ってもらっていた。
葛飾区の柴又帝釈天へ行く時も、
「寅さん記念館、行ってみる?」
と、誘ってくれた。母に誘われるとひょいひょい出かけた。
参道でよもぎ餅を食べてから寅さん記念館へ行き、矢切の渡しに乗った。対岸には黒い看板犬がいたお土産屋さんがあった。特に何も買わなかったが、犬と遊んだ。帰りには参道でみたらし団子を食べて「なんだか食べてばかりだね」と母と笑った。
テレビ東京の「アド街ック天国」を見ては、放送された場所へよく出かけた。
深大寺へ行って美味しいお蕎麦を食べた。武蔵小金井公園へ行って桜と「千と千尋の神隠し展」を見に行った。「千と千尋の神隠し」は母が好きな映画だった。
「お母さん、また武蔵小金井公園へ行こうよ」
「秀郎はお寿司が食べたいだけでしょ?」
と、母が笑う。そう、武蔵小金井公園近くに美味しい回転寿司があり、また食べたかった。さすが母、すべてお見通し。
栃木市へ行った時は、ちょうどドイツビール祭りが開催していた。僕はいつものごとくビールを飲んで、大好きなソーセージを食べる。会場に設置されたステージでドイツ民謡の踊りを見ながら、飲み終わるまで待ってくれた母。
蔵の街遊覧船に乗って古い町並みを眺めて癒された。母が好きな味噌田楽のお店まで長く歩いてようやく辿り着くと、なんと売り切れ。せっかく母に食べさせてあげたかったのに。がっくりきた。
栃木駅までの帰り。曇り空から大粒の雨が降り出した。母と父を雨に濡れさせたくないとタクシーを探すが、大通りまで行ってもタクシーが1台も来ない。その先の通りまで走ってタクシーを捕まえると、母が「ありがとう」と喜んでくれた。
栃木駅ホームで空を見て賑わう団体の観光客たち。その視線の先には綺麗な虹が出ていた。味噌田楽は食べられなかったが、綺麗な虹を見られて良かった。
母とよくこの時の虹の話をした。
何気ない日常が、いつのまにか大切な思い出になっていた。一体、どこへ出かければ、もう一度母に会えるのだろう?もう二度と会えないのは分かっているのに。
母と歩いた思い出の道を歩く。寂しさを感じながら。