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ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第五章(最終章) 

第120話 母の日に花束を

 

 毎年五月、母の日に花束をプレゼントするのが楽しみだった。

 

「お母さん、ちょっと出かけてくるね。すぐ帰ってくるけど」

 それだけ言って家を出る。西日暮里の「イシハラ花店」へ。

 

 いつも良い花がそろっているお気に入りのお花屋さん。

 母の日は赤いカーネーションを選ぶのが定番だが、僕は自分で花を選んでアレンジするのが楽しみの一つ。母の好きな青いデルフィニウムやトルコキキョウ(白で花びらの先が紫色の)があれば入れてもらう。カーネーションの色は赤にこだわらず、その時その時の気分で選ぶ。あとの花はお店の人にお任せすると、素晴らしい花束に仕上げてくれる。

 

 イシハラ花店を出て家まで歩く途中、手に抱えた花束がすれ違う人たちの目に留まる。母が喜んでくれるのを想像するとワクワクした。家に着くと花束を後ろに隠して玄関を入っていく。台所に立つ母に花束を差し出す。

「お母さん、母の日おめでとう。これ三兄弟から」

「わぁ、ありがとう」

 感激して喜んでくれる母を見ると嬉しくなる。花が大好きな母にサプライズで喜ばせるのが毎年の楽しみだった。

 

秀郎ひでお、生協で炭酸水を買って来て」

 炭酸水を入れると花が長持ちする、と母がどこかで聞いてきた。早速、近所の生協へ炭酸水を買いに行くのも楽しみの一つ。

 家に帰ると、母が花瓶に花を生けている。花束を包んでいた華やかな色のラッピングペーパーで花瓶を包む。リボンも添えて。母のそういうセンスが好きだ。

 玄関に飾られた花は炭酸水のおかげか母の愛情か、よく長持ちした。母も喜んで毎朝、花を見て過ごしていた。

 

 2011年5月

 母がいなくなったこの年の母の日は心底寂しかった。もうサプライズで喜ばせることができない寂しさ。それでも花を買いに行く。西日暮里のイシハラ花店へ。

 

 母が好きだったデルフィニウムやトルコキキョウを入れた花束を持って帰る。家に着くとすぐ生協へ炭酸水を買いに行く。玄関に置いてある花瓶を洗って、ラッピングペーパーで花瓶を包み、花を生ける。リボンも添えて。母のやり方を真似てみた。我ながら上出来な仕上がり。

 仏壇の下に花瓶を置いて手を合わせる。

――お母さん、母の日おめでとう。三兄弟からプレゼント。

 

 それからも毎年、母の日に花を買いに行く。西日暮里のイシハラ花店へ。店主に母が亡くなったことを伝えると、いつも以上にボリューム満点の素晴らしい花束に仕上げてもらえた。店主の優しさに心から感謝した。

「いつも素晴らしい花をありがとうございます。母も喜んでいると思います」

 

 家までの帰り道は、母に花束を渡せない寂しい思いの年が続いたが、年々またワクワクして来るようになった。家で母が喜んで待っていてくれると分かるから。母が喜んでくれるだけで嬉しい。たとえ姿は見えなくても。

 

 また来年も母の日に花束を買いに行く。炭酸水も忘れずに。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第五章(最終章)

第119話 夢で逢えたら

 

 幽霊でもいいから、母に会いたかった。せめて夢で逢えたら。そう願っていると、母の夢を見た。2011年から2015年にかけて見た母の夢を書き残していた。

 

 2011年

 2月22日

 会社の出張で海士町へ行った夜に見た夢で、眼鏡をかけた母の顔がはっきりと見えた。モノクロのイメージ。特に何もしゃべらず。

 海士町の朝。母の夢を見て嬉しくて頑張ろうと気持ちが上がった。

 

 6月1日

 内容は覚えていないが、母がスッと去ってゆく後ろ姿を見た。

 

 7月10日

 家族で年賀状の当選を確認している。

 母がいた。僕は母が着ていた洋服をたたんで手に持つ。目が覚めて、夢と分かり泣いた。

 

 7月28日

 家族がそろった。

 母の顔を正面から見る。内容は覚えていないが、何か話をした。

 

 11月7日

 遺影写真で着ていたベージュの服が、淡いピンク色に変化したものを着ていた母。とても楽しそうに笑っていた母。父も登場した。

 

 11月28日

 ショートカットの髪型で少し若い母。ベージュ色のようなコートを着ていた。僕は右手で母と握手しながら、左手で母の肩を抱くように、話しながら泣きながら一緒に歩いた。

 

 母は元気そうで微笑んだり笑ったりしていた。話した内容は目が覚めるとどんどん忘れていくが、一つだけ覚えていた。「綺麗にしてくれてありがとう」というようなことを言ってくれた。

 週末になると仏壇や母の鏡台を掃除しているから、そういう夢を見たのだろうか?母が亡くなり、旅立つ前に化粧をして綺麗にしてあげられたことへのお礼の言葉にも思えた。

 

 2012年

 2月3日

 台所でご飯の支度をしている母に話しかける。「あれからお母さんといっぱい話したいことがあったんだよ」と言うと母は笑っていた。「お母さんがいない間にお母さんの凄さが分かって、お母さんて本当に凄いと思ったよ!」と言ったら、微笑みながらも食事の準備に忙しい母。

 ふと台所の床を見ると、ガスコンロ台の下に菜っ葉の切れ端がいくつも落ちていた。綺麗好きな母が気づかないはずがない。たとえ夢だとしても。とにかく母が元気そうで良かった。

 

 なぜ床に菜っ葉の切れ端が落ちていた夢を見たのか?それは父が台所に立って野菜を切っていた時に目撃した。切れ端がいくつも床に転がっていたことを。

「お父さん、足元に野菜の切れ端が落ちてるよ」

 と、父に教えて上げることができた。母が夢で教えてくれたように思えた。

 

 5月10日

 一階の茶の間で母と話をしていた。急に雨が降って来て、外に干した洗濯物を入れようと戸を開けたら大雨で、洗濯物がびしょ濡れになった。

「上(離れの二階)のも取ってくるね」と、母に言って二階の部屋へ上がった。窓を開けて洗濯物を入れようとしたら、なぜか懐中電灯がぶら下がっていた。そこで目が覚めた。どんなメッセージを伝えたい夢だったのだろうか。

 

 10月16日

 青い着物を着た少し若い頃の母が出て来た。元気そうに笑顔で手を振ってくれた。青色は僕が大好きな色。母が着た青色の着物を見て何かご縁を感じた。

 

 10月28日

 どこか白い世界へ母に会いに行く。そこでは僕が幼い頃から大人になるまでの変化する姿が見えた。

 母を見つけると、知人らしき人たちと話していた。

「この子はいつも覗きに(見に)来てくれる」と褒めてくれた。嬉しそうに喜んでいた母。

 

 入院時に看病に行っていた時の思いが影響したのだろうか?もしくは毎朝仏壇にお参りしていることを母が喜んでくれているのだろうか。

 

 11月12日

 家族全員で「どこかへ出かけよう」、という夢に母が出てきた。

 

 2013年

 3月8日

 家の中に入ると仏間に布団が敷いてあり、掛け布団がめくれていた。父の布団にしては桃色というのがおかしい。茶の間から台所の引き戸を開けると、いつもの席に母が座っていた。風呂から出たばかりのようだ。桃色のパジャマを着ていた。さっきの布団は母が寝ていたのだと分かった。

 

 母はメガネをかけて、髪は美容室へ行った後のように綺麗にカットされていた。元気そうな笑顔だった。思わず「お母さん、会いたかったよ~!」と声をかけてハグした。夢の中で泣いた。

 

「元気で頑張っているね」

 と、褒めてくれた母。

「お母さん、今どこ(どこの世界)にいるの?」

「そういうのはいいから」

 教えてくれなかった。でもその言い方で確信した。僕に心配させまいとするその話しぶりは、まさに生前の母そのものだった。

――この夢は本物だ。

 母も本物だ。涙が流れて目が覚めた。久しぶりに本物の母に会えて嬉しかった。

 

 9月7日

 母と次兄と近所の公園にいた。ベンチに座りいろいろ話して、僕は途中から母と次兄の間にある樹木の間を抜け、どこかへ向かった。

 さりげなく夢に登場した母。いつものメガネをかけていた。元気そうで何より。母の笑顔が見られて良かった。

 

 11月3日

 母がまだ入院していた頃が夢に出た。

 母からの伝言は僕ら三兄弟にどう伝えられていたか。母が父に話して、父から僕ら三兄弟個人個人に話す。もしくは三兄弟が集まった時に父がまとめて話していた。

 僕の場合は「秀郎ひでおにはいろいろ(直接)話せるから」と言う母。僕とは「話がしやすい」と言ってくれて夢でも嬉しかった。

 

 2014年

 4月30日

 母が出先から帰って来た。お菓子のチョコクッキーを勧めた。

 

 2015年

 10月30日

 鎌倉のような場所で、海を背に母と二人で階段に座る。「足が疲れた」と言う母の肩を支えるように隣に座ると、目の前の道を人が通る。母が「恥ずかしいでしょ?もういいから」と言うが「全然恥ずかしくないよ」と答えた。そのままうたた寝。

 気づくと海を背に階段の回りには、たくさんの人たちが座って休んでいた。

「もう行こうか」と立ち上がると、母はいつもお気に入りのポシェットを肩に斜め掛けした。ここで目が覚めた。

 

 

 年々、母が夢の中に出てくる回数が減って来た。きっと、最初は心配して励ましに夢に出て来てくれたのではないだろうか。悲しみが少しずつ癒されて来て、母の心配も少しずつ減って来たのかと思う。

 現在2017年(7月時点)は母の夢を見ていない。もし見ていたとしても、起きてすぐ忘れてしまっているかもしれない。

 

 たとえ夢でも、あちらの世界だとしても、母が元気そうだと分かると、ただそれだけで嬉しい。

 

 夢でもなんでもいいから、また母に会いたい。

 

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第五章(最終章) 

第118話 思い出の道

 

 母と歩いた思い出の道を歩く。台東区は谷中、文京区は根津、千駄木へ。

 

 子供の頃、谷中は刺激的でなく、むしろ退屈な街と感じていた。もっと都会で華やかな街へ遊びに行きたいと思っていた。しかし、大人になるにつれて社会の厳しさ、自分の置かれた立場や現実を知り、挫折を経験し、傷つき落ち込んだ時、母に誘われて谷中を歩いた。

 静かでゆったりとした時間の流れ、人情味溢れる街の雰囲気、谷中銀座の活気ある賑わい。優しく温かいこの街に心が癒された。谷中の良さに気づいていく。

 

 毎年8月末は谷中から近い西日暮里の諏訪神社お祭り「お諏訪様」が毎年の楽しみ。お正月には谷中七福神めぐりで上野まで歩く。行事がない週末も、谷中の味わい深い散歩道を母と父とよく歩いていた。

 

 谷中まで歩くコースは、千駄木の静かな住宅街を歩き、須藤公園を抜け、団子坂下から三崎坂さんさきざかを上り、谷中霊園へ。そこから土塀に屋根瓦が積み重なる「築地堀」まで歩き、朝倉彫塑館の前を通り、幕末の上野戦争での弾痕が残る経王寺に寄り、夕焼けだんだんを下り、谷中銀座を通って帰る。

 

 谷中銀座では「肉のすずき」や「肉のサトー」のメンチカツを食べる。酒屋「越後屋本店」でビールケールに座り、ビール片手にメンチカツをくわえて自撮りしている時も、母は「また自分撮ってる」と笑いながら待っていてくれた。

 三崎坂を上らないコースは団子坂下から「よみせ通り」へ。パン屋「リバティ」で菓子パンを買って帰る。母はアンパン、僕チョコパン。

 

 母お気に入りの谷中コースがある。JR西日暮里駅方面から青雲寺前の細い道を歩き、谷中銀座を横断して、通称「萩寺」と言われる「宗林寺」で萩の花を楽しみ、岡倉天心記念公園前を道なりに歩くと、豆の専門店「丸安商店」で小豆ときな粉をよく買いに行った。

 

 根津まで歩くコースは、谷中三崎坂下の細い路地を抜けて、甘味処「芋甚いもじん」へ。最中アイスをコーンで食べるのが楽しみだった。母は大のコーン好き。お味は母が小倉、僕バニラ。

 

 根津でもう一つ楽しみだったのが、言問い通り沿いの蕎麦屋「新富士」でのお昼。

 五十代のご夫婦が営む美味しいお蕎麦屋さん。ご主人が蕎麦を打ち、話好きの明るい女将さんがホールを担当。

 

 お気に入りの天ざるは、つけ汁の器に入りきらないほど大きなかき揚げが乗り、こしのある蕎麦も、ちょっと濃いつけ汁も美味しい。今までどのお蕎麦屋さんで食べても特に美味しいと思わなかったが(そんなに蕎麦経験ないですけど)、このお店は美味しかった。

 何より可愛い看板犬がいた。ウェルシュ・コーギーの雄で名前は「まめ」ちゃん。

 

 このお蕎麦屋さんは母と父が散歩中に見つけた。母の上手な誘い方は、

「可愛い犬がいる根津のお蕎麦屋さん、行ってみる?」

 と、僕の犬好きを分かっていた。さすが母。もちろん即二つ返事です。

 

 看板犬まめちゃんは、めちゃめちゃ可愛い。いつも店内を自由に歩いて、お客さんが入ってくるとお出迎え。吠えずに大人しく人懐っこい。母によく懐いて、蕎麦を食べる母の足元で伏せして寝ていた。

 

 まめちゃんの遊び道具は太い縄。中心が方結びになっている。それを咥えて持って来て、目の前でポトリと落とす。「持って」と催促するまめちゃん。縄を手に持つと、まめちゃんが縄の結び目を噛んで凄い勢いで引っ張る。綱引きだ。凄い力で引っ張られるので手を離すと、縄を咥えたまま店の奥にある自分の座布団まで持って行く。

 すぐにまた縄を咥えて持って来て、目の前にポトリと落とす。「また綱引きやって」と催促する。この繰り返しがとても可愛かった。母も僕も大好きだったまめちゃん。蕎麦も美味しく良いお店だったが、残念ながら現在は閉店して寂しい。


 

 谷中から上野まで歩くコースは、谷中霊園から上野桜木へ。旧吉田屋酒店とカヤバ珈琲の十字路を真っ直ぐに進むと、突き当りの左角に和菓子の「桃林堂とうりんどう」がある。ここで抹茶を点ててもらい、お茶菓子を食べた。

 桃林堂を後にして、前方の信号を渡って直進すると東京藝術大学がある。その先の上野恩賜公園へ。ここまで母と歩いたことも思い出深い。

 

 いつも隣で歩いていた母はもういない。谷中は母との思い出の街。


 

 次の仕事先がなかなか見つからなかった2010年1月。「気分転換に」と母に誘われて出かけた。荒川区は日暮里の繊維街を歩く。母のお気に入りのお店で洋裁に使うボタンを探した。洋裁好きな母。この繊維街で布やボタンを買い、洋服を作っていた。繊維街を歩く母は嬉しそうだった。

 

 繊維街からJR日暮里駅に戻り、初めて「日暮里・舎人ライナー」に乗った。足立区の見沼代親水公園駅まで行って戻って来る。それだけのことだが、母は「先頭車両の窓から眺めが良いから乗らない?」と誘ってくれた。

 

 日暮里・舎人ライナーはコンピュータ制御の自動運転で運行している。大きなフロントガラスから前方の景色を眺めることができた。母の情報によると、このフロントガラス席は人気があり、普段はなかなか座れないという。この日は平日だったこともあり、運よく空いていたので、行きも帰りもフロントガラス席に座ることができた。

 帰りは荒川区の熊野前駅で降りて、レストラン「山惣やまそう」で美味しいハンバーグをご馳走になった。

 

 当時はアメブロ(ブログ)にハマっていたので、何かにつけて自撮りをしていた。母は僕の自撮りをいつも楽しそうに笑って見ていた。日暮里・舎人ライナーのフロントガラス席で撮った写真は、母に撮ってもらったもの。僕の携帯を手に持ち、慣れない手つきで上手に撮ってくれた。

 

 今にして思えば、ブログ用に自分ばかり撮らないで、もっと母を撮れば良かった。母とのツーショット写真をもっと撮っておけば良かった。でも恥ずかしがり屋の母は「私はいいよ」と照れながら遠慮したと思う。

 

 母がいなくなってから数か月後。熊野前に行った時に、母と乗った舎人ライナーの思い出がよみがえり寂しくなった。

 

 それから日暮里の繊維街を歩くたびに、母がなぜ自身の服をよく作っていたのか?その理由が分かったような気がした。わが家は決して裕福ではない家庭。子供には寂しい思いをさせないようにと、自分で洋服を作り、お金を使わずに、その分を僕ら子供に洋服を買ってくれていたのだ。

 毎年夏に母の故郷である静岡へ行く時と、お正月を迎える時には常に洋服を新調してくれた子供時代を思い出し、日暮里を歩きながら感謝の気持ちでいっぱいになる。


 

 文京区の小石川植物園は季節ごとによく出かけた。梅、桜、新緑、紅葉。他にも花が咲く場所へ出かけた。昭和記念公園、新宿御苑、浜離宮庭園へ。

 母に「これ何ていう花?」と聞くのが楽しみだった。母は即回答のお花博士。

 

 昭和記念公園へ行くと、母の手作りおにぎりを食べるのが楽しみだった。いつも食べる場所は決まっていた。ハーブガーデン近くにあるハナミズキが咲く場所にレジャーシートを敷いて、母の作ったお弁当が広げられる。おにぎり、僕の大好物のウインナー、卵焼きが並ぶ。たくわんも忘れずに。

 青空の下、母と父と三人でおにぎりを食べる。外で食べるとまた一段と美味しかった。

 

 薔薇が咲く季節には千葉県習志野市の谷津バラ園へ。母の誘い方はいつも上手い。

「美味しいゴマ団子のお店があるけど行く?」

 僕は花より団子とよく分かっていた母。もちろん即二つ返事。

 谷津バラ園の甘い香りと美味しいゴマ団子を楽しんだ。ここでも母にブログ用の写真をよく撮ってもらっていた。

 

 葛飾区の柴又帝釈天へ行く時も、

「寅さん記念館、行ってみる?」

 と、誘ってくれた。母に誘われるとひょいひょい出かけた。

 参道でよもぎ餅を食べてから寅さん記念館へ行き、矢切の渡しに乗った。対岸には黒い看板犬がいたお土産屋さんがあった。特に何も買わなかったが、犬と遊んだ。帰りには参道でみたらし団子を食べて「なんだか食べてばかりだね」と母と笑った。

 

 テレビ東京の「アド街ック天国」を見ては、放送された場所へよく出かけた。

 深大寺へ行って美味しいお蕎麦を食べた。武蔵小金井公園へ行って桜と「千と千尋の神隠し展」を見に行った。「千と千尋の神隠し」は母が好きな映画だった。

「お母さん、また武蔵小金井公園へ行こうよ」

秀郎ひでおはお寿司が食べたいだけでしょ?」

 と、母が笑う。そう、武蔵小金井公園近くに美味しい回転寿司があり、また食べたかった。さすが母、すべてお見通し。

 

 栃木市へ行った時は、ちょうどドイツビール祭りが開催していた。僕はいつものごとくビールを飲んで、大好きなソーセージを食べる。会場に設置されたステージでドイツ民謡の踊りを見ながら、飲み終わるまで待ってくれた母。

 蔵の街遊覧船に乗って古い町並みを眺めて癒された。母が好きな味噌田楽のお店まで長く歩いてようやく辿り着くと、なんと売り切れ。せっかく母に食べさせてあげたかったのに。がっくりきた。

 

 栃木駅までの帰り。曇り空から大粒の雨が降り出した。母と父を雨に濡れさせたくないとタクシーを探すが、大通りまで行ってもタクシーが1台も来ない。その先の通りまで走ってタクシーを捕まえると、母が「ありがとう」と喜んでくれた。

 栃木駅ホームで空を見て賑わう団体の観光客たち。その視線の先には綺麗な虹が出ていた。味噌田楽は食べられなかったが、綺麗な虹を見られて良かった。

 母とよくこの時の虹の話をした。

 

 何気ない日常が、いつのまにか大切な思い出になっていた。一体、どこへ出かければ、もう一度母に会えるのだろう?もう二度と会えないのは分かっているのに。

 

 母と歩いた思い出の道を歩く。寂しさを感じながら。