ちょっとだけ“秀でた世界” -11ページ目

ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第五章(最終章) 

第123話 カズさんとのりさん

 

 母のことで励まし慰めてくれた高知のカズさん、のりさん(のり子さん)ご夫妻。母が入院した時に、便利な手作り収納ポケットを送ってもらえた。母も助かり、感謝の気持ちでいっぱいだった。お礼の言葉を伝えたくて、高知の温かさに触れたくて、2011年10月、次兄と一緒に高知へ向かった。

 

 カズさん、のりさんと再会した途端に涙がこぼれそうになった。明るく楽しく温かく、素敵なお人柄のカズさんとのりさん。2010年9月に高知市内の居酒屋「葉牡丹」のカウンターで、吉田類さんの「酒場放浪記」よろしく、乾杯をお願いした時からの出会いだ。

 

 母が入院してから、落ち込んだ時によく励ましてもらえた。母が亡くなってからの数か月、立ち直れない時期に慰めてもらえた。まだ出会って一年ほどだったにもかかわらず、遥か昔からの知り合いのような気持ちになった。

 

 母が亡くなった2011年2月。カズさんもお母様を亡くされ、同じく辛い思いをされていた。それなのに僕ら浅賀兄弟を励まして、力を与えてくれたその優しさに心から感謝した。カズさん、のりさんにはどれだけ励まされて勇気づけられたか。本当に大きく温かく優しい心の持ち主のカズさんとのりさん。大好きで大切な人たち。高知でご縁ができて本当に嬉しい。

 

 一年ぶりの高知はお天気も良く、早速いつも最初に行きたい桂浜へ向かった。龍馬さん(銅像)に再会のご挨拶をして、南国の輝く海を眺めて心が穏やかになった。

――こんなに晴れて、お母さんのおかげだ。

 母を想う。できれば一緒に高知へ来たかった。でも飛行機が苦手な母。

――誘ってもやんわり断られたかな。

 そんなことを想いながら高知を巡る。南国土佐の雄大な山と海の景色に癒される。

ゆったりとした時間を過ごして心が和んだ。

 

 最初に高知へ来た時に、坂本家(龍馬の家)墓所まで、自転車を押して道案内して連れて行ってくれた山本惣菜店の山本さんご夫妻とも再会できた。ご主人の山本さんは口数少なく一見強面だがとても優しい人。奥さんは話し出すと止まらない楽しい人。お二人ともお元気そうで何よりだった。

 

 この日の夜はカズさんの家に泊めてもらえることになり、初めてご自宅を訪問した。母のことで大変お世話になったことに、感謝の気持ちを伝えることができた。

 カズさんのお母様の仏壇にお参りすることもできて良かった。

 

 夜は美味しい手料理をごちそうになり、高知の美味しいお酒を飲み、楽しい夜となった。カズさん、のりさんと飲むと、もう楽しくて楽しくてお酒がすすむ。母の話になって涙が出たが、胸の内をすべて話せる間柄のカズさんとのりさん。まだまだ寂しかった当時、話を聞いてもらえて胸のつかえが取れていった。

 

 ここで、のりさんから思わぬことを聞けて嬉しくなる。それは昼間に桂浜から龍馬記念館へ向かって歩いていた時のこと。目の前に突如、黒い大きなアゲハ蝶が飛んで来た。あまりの大きさにコウモリと間違えてびっくりするほど大きなクロアゲハ。しばらく僕の周りを飛んで、ほどなくして去って行った。実はこのアゲハは母が姿を変えて来てくれたのだという。

 

 今思えば、僕が歩く隣を平行して飛んだり、体の周りをクルクル回って飛んだりと、普通のアゲハの動きではないように感じていたが、高知旅行を楽しんでいた僕の気持ちとシンクロして来てくれたようだ。

 のりさんの言うことを自然と受け入れて信じられた。腑に落ちた。あのアゲハの動きは確かに僕に好意を抱くような動きをしていた。そう思うと嬉しかった。母が会いに来てくれたことがとても嬉しかった。思わず嬉し泣きしてしまった。のりさんに気づかせてもらえた。この日から、アゲハの動きに注目するようになっていく。

 

 わが家の裏庭(庭というより通路)に、みかんの木があり、子供の頃は毎年夏になるとアオムシを見つけて成長を見守り、アゲハになって飛んでいくのを観察していた。夏休みの宿題として、毎朝アゲハの観察日記を母と一緒に書いていた。今でもみかんの木は健在で、毎年アゲハが飛んで来るのがとても楽しみだ。

 

 のりさんのおかげで、「特別」なアゲハが飛んで来た時は分かるようになった。家の近所でも、谷中を歩いていても、アゲハに母を感じられる。月命日にお墓参りへ行くと、アゲハがよく飛んで来る。頭の上を飛んで来たりすると嬉しくなる。

 

 朝、アルバイトへ出かけると、平行するように飛んで、まるで「いってらっしゃい!今日も頑張って!」と、言ってくれているように感じた。

 僕は信じています。信じることで前向きになれる。気持ちが上がる。だから、アゲハのよく飛ぶ夏が好きだ。以前は冬が好き派だったけど。

 

 カズさん、のりさんとはいつでもどこでも母の話ができるから嬉しい。一緒にお酒を飲むと楽しい。懐が深く心温かい人たちが住む高知が大好きだ。

 

 まるで母のような明るく楽しい高知に癒される。また高知へ行きたい。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第五章(最終章) 

第122話 静岡へ

 

 毎年八月お盆の時期に母の故郷、静岡へ旅行することが母も僕らも楽しみだった。2010年8月に母と一緒に行ったのが最後となった。

 

 その一年後に母がいなくなるなんて想像もつかなかった。もう一緒に行くことができない寂しさ。だからこそ、初盆は静岡へ行きたい気持ちがいつも以上に強かった。母の生まれ故郷で、母の想いに触れることができる。

――今年も静岡へ行こう。

 母を偲んでゆっくり過ごそう。親戚のみんなと楽しく過ごそう。父と兄たちと静岡行きを決めた。

 

 今回の静岡行きにはもう一つの目的があった。納骨のお願いである。

 母が亡くなった時、分骨して静岡のお寺に納めてあげたいと考えていた。父と兄たちに話してみると、同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかった。

 母の実家の家主である静岡のお兄ちゃんに相談すると、親戚関係に話をしてくれて、皆さんが快く了承して受け入れてもらえることになった。とても嬉しかった。母も喜んでいると感じた。

 

 静岡のお兄ちゃんは僕たち家族を気遣ってくれた。

「納骨はすぐじゃなくていいよ。ゆっくりでいいから。一年後くらいでいいから」

 僕はすぐにでも母の故郷に納めてあげたい気持ちでいた。でも、静岡のお兄ちゃんが言ってくれた言葉の意味を、後に分かることになる。

 

 毎朝毎晩、仏壇にお参りをする時、分骨がそこに置かれているだけで、母がまだそこにいるような気持になり心が癒された。もしすぐに静岡へ納骨していたら、きっと寂しい気持ちになっていたことだろう。

 一日一日、日々、時が経つことによって、少しずつ気持ちの整理がついていく。寂しさも和らいでいった。

 

 静岡のお兄ちゃんの父である「静岡のおじちゃん」は、母の兄。母より先に亡くなっていた。だから静岡のお兄ちゃんは親を亡くした時の寂しい気持ちをよく分かっていた。僕らが寂しくならないよう気遣ってくれたのだ。静岡のお兄ちゃんの優しさに心から感謝した。

 

 母の実家で過ごす夏の午後。大きな家で風通しがいい。敷居の襖をすべて開けておくと、クーラーがいらないほど風が通り涼しい。外なら尚更、風が通って気持ちがいい。玄関先に出ると、大きな屋根の下になぜかビーチチェアが二つ置いてあった。そこへ横になり、ゆったりと休んでみた。父も一緒に。心地よい風が吹いて、そのまま眠ってしまいそうなほどの気持ちよさ。

 

 視線の先に玄関が見える。今にも戸が開いて、母が出てきそうな雰囲気があった。

「今にもお母さんが出てきそうな雰囲気だよね」

 父も笑顔でうなずいた。すると、玄関の戸がガラリと開く。静岡のおばちゃんが出て来た。母が出てきそうだという話をすると、

「チーコちゃんなら『どうしたの?なにやってるの?』と言いそうだね」

 何気ない言葉だが、母がこの場にいたら言いそうな言葉だった。さすが母と付き合いが長い。静岡へ来るとこんな時あんな時、「チーコちゃんなら」ああ言いそう、そう言いそうと、親戚のみんなから話を聞けるのが嬉しかった。

 

 母の実家に一晩泊まって翌日は島田市へ。母が大好きだった姉の島田のおばちゃんに会いに行く。毎年、島田の家に母と泊まるのが楽しみだった。島田のおばちゃんに会うだけで癒される。

 島田のおばちゃんは母と雰囲気が似ている。さすが姉妹。性格は母は明るく、島田のおばちゃんはおおらか。

 

 みんなで田代の郷温泉「伊太和里の湯」にゆったりと浸かり、夜は島田の家でお手製のごちそうを頂き、お酒を飲んで母の話に花が咲く。泣いて笑って癒された夜。

 

 翌日は母と最期に来た島田博物館の街を歩く。

「ここ来たよね」

 一年前、ここに母がいた。楽しかった思い出がよみがえる。母と思い出の場所、木製の休憩所に、島田のおばちゃんと座って一休み。

 

 2010年の8月。母と島田のおばちゃんがここに座って、僕らと待ち合わせていた。僕たち三兄弟と島田のお姉ちゃんたちは二人にドッキリを仕掛けようとした。もし声をかけられても、知らんぷりして通り過ぎようと。

 

 僕らを見つけた母は「おーい。あれ?どうしたんだろ?」と、島田のおばちゃんは「あれ?気づかないのかな?」と話している声を聞いて、僕は笑いを我慢して歩いていたが、母の「あれ?どうしたんだろ?」と真剣に困っている声に我慢できず、吹き出して笑ってしまった。みんなも吹き出して大笑い。

 ドッキリの説明をすると母たちも笑った。みんなで笑った楽しい思い出がここにある。母がいない寂しさはあるが、母はみんなの中で生きている。

 

 島田のみんなに静岡駅まで送ってもらい、改札で見送られた時に泣きそうになった。静岡のみんなの優しさが胸にしみる。

 

 母の想いに触れて癒された静岡の旅。

 またひとつ、心が落ち着いていく。

 

 

 

 

 

 

「秀と母」 第五章(最終章) 

第121話 高崎の猫みいちゃん再び

 

 2011年7月

 長兄の車に乗って、家族旅行へ。母が生前に行った群馬県みなかみ町は水上温泉の旅館「水上山荘」を目指す。その前に高崎に寄って、電気店ダイイチストアの看板猫「みいちゃん」に会いに行った。

 

 2010年の11月に猫のみいちゃんの存在を知った。背中の三日月模様に触れると、ツキを呼び良いことがおきるとテレビで見た。母の命が助かるようにと藁にも縋る思いで高崎へ会いに行った。みいちゃんに触れてパワーをもらい、写真も撮ったおかげで、母は希望をつないで生きることができた。母が「みいちゃんパワー」と祈り、僕ら家族みんなが、みいちゃんに感謝していた。

 

 母も体調が落ち着いたら「会いに行きたい」と言っていた。母に頼まれて、お土産に魚の缶詰を買っておいた。

「みいちゃんに会って、お礼を言わないと」

 母も楽しみにしていた。会わせてあげたかった。それは叶わなかったが、母の分までお礼を言いに行こうと、どうしても高崎に寄ってみいちゃんに会いたかった。長兄が車を出してくれたので、それが実現した。

 

 みいちゃんはいつもお店にいるわけではなく、散歩に出かけてしまうこともある。だから会えた時はとても嬉しい。今回はせっかく家族そろって会いに行くので、店主の高橋さんに連絡をして、みいちゃんにお店にいてもらえるようお願いをした。

 

 高崎の電気店ダイイチストアに着くと、店主の高橋さん、そして奥様がいらした。レジ横の台の上にみいちゃんがいた。

「みいちゃ~ん!」

 僕らみんなで声をかけると「いらっしゃ~い」と言うように台から降りてお出迎え。早速、みいちゃんに缶詰のお土産をプレゼントした。

 奥様がコーヒーを淹れてくださり、みんなでコーヒータイム。

 

 みいちゃんが母に希望を与えてくれた話をすると、みいちゃんが父の膝の上に乗って来た。そして長兄、次兄、そして僕と順々に膝の上に乗ってくる。まるで僕らの寂しい気持ちを分かって慰めるように。みいちゃんを通して、母が「元気出して」と伝えてくれたような不思議な感覚もあった。

 

 感謝の気持ちを込めて、みいちゃんに話しかける。

「みいちゃん、お母さんのこと、ありがとうね」

 撫でていると、まったりと眠気が出てウトウトするみいちゃん。人懐っこく可愛い。

「みいちゃん、またね」

 高橋さんご夫婦に感謝のご挨拶をして、ダイイチストアを後にした。

――お母さん、みいちゃんに缶詰のお土産を渡したからね。お母さんの分もきちんとお礼を言えたから安心してね。

 

 それから毎年届くダイイチストア高橋さんからの年賀状は、高橋さんご夫婦の名前の横に、手書きで「みい」と書いてあるのを見ると、みいちゃん元気で何よりと嬉しくなる。

 その後、2016年9月、みいちゃんは天国へ旅立った。日本全国の人にたくさんの幸せを与えてくれたみいちゃんに心から感謝した。

――みいちゃん、ありがとうね。

 

 水上山荘へ行く前に、谷川岳へ。お天気もよく、ロープウェイから素晴らしい山の景色を眺め、高所恐怖症なのに谷川岳天神平からリフトに乗り、怖くも楽しく雄大な大自然を満喫した。

 

 いよいよ「檜の宿・水上山荘」へ。到着するとロビーで家族写真を撮るという旅館のサービスを受けた。母が生前に撮った場所と同じ場所で、父と兄たちと記念撮影。ロビーの窓から眺める山の緑が美しい。母が見た景色を見れて嬉しかった。

 

 温泉とても気持ちよく、夜はお酒を飲みながら楽しい食事会。僕は母の写真を持って来ていた。写真立てをテーブルに置いて一緒にいる気持ちになった。母の話に花が咲く。父や兄たちが胸の奥にしまってあった母への想いを聞けて嬉しく涙が出た。

 みんな口に出さなくとも、寂しい思いをしていたのは一緒だった。

 母に感謝の気持ちを込めて、地酒で何度目かの乾杯。楽しい夜となった。

 

 翌日は古き日本の原風景が広がる「たくみの里」へ。泰寧寺たいねいじに寄ると、高い階段の上に本堂がある。そこで休憩していると、おばあちゃんを連れた二十代半ばの女性が現れた。

「こんちは」

 と、声をかけてくれた。

「こんちは。暑いですね~!」

 挨拶をして話ができた。その女性は、連れのおばあちゃんのお孫さんで、車で二人旅をしているという。

 おばあちゃんが、「この子に誰か良い人がいないかと思って」と言うと、「やめてよ、おばあちゃん」と恥ずかしがるその女性は「綾瀬はるか」さんに似ていた。もちろんタイプです。

 

 おばあちゃん思いの優しさが素敵な女性で、連絡先を交換したくなった。ところが情けないことに、一緒だった父や兄から、「相手も旅行で来ているのだから、楽しい気分を台無しにするようなことをするな」と、後で注意されると勝手に思い込み、「確かにそうだ」と躊躇してしまった。

 

「ここら辺でお昼を食べられる場所はありませんか?」

 と、女性に聞かれた。

「道の駅の食堂ぐらいしかなさそうです」

 僕は女性に道の駅の案内をした。

「ありがとうございます」

 と、女性が車に乗る。助手席に乗るおばあちゃん。

――あ~!連絡先を聞きたいなあ・・・。

 迷っているうちに、女性の運転する車がゆっくりと動き出して去っていく。

 

 お昼を食べる場所は、ここら辺では道の駅ぐらいしかない。

――きっと後でお昼に会えるはず。そこで連絡先を聞こう。

 そう思っていたら、結局、道の駅で会うことはなかった。がっくり・・・。

 

 さきほど泰寧寺へ着いた時、熊野神社との間に「縁結びご利益」と書かれた石碑を見ていた。高崎では猫のみいちゃんに触れ、ツキもあった。まさに出会いのチャンスだった、この時までは。しかし、おもいっきりチャンスを逃してしまった。がっくり・・・。

 

 後から次兄に話すと「バカだなぁ。女の子の連絡先を聞くのを俺が止めると思うか?」と、言われてさらにがっくり・・・。

――ああ~!やっぱりあの場で連絡先を交換しておけばよかったー!

 おばあちゃん思いの優しい素敵な女性だった。しかも、綾瀬はるかさん似で可愛かった。背は僕より高かったが、そんなことは気にしない。想像してみた。二人並んで歩いている姿を。うん、いいね!

――ああー!連絡先が聞けていればー!

 世界は変わった、かもしれなかった。

――わ~ん!俺の意気地なしー!

 

 連絡先を聞けなかった事件、ではなく小事件。後に笑い話となったが、逃した魚は大きかった。でも、これは母から「行く時はいかないとダメだよ」と教えられたように思えた。これからは素敵な女性と出会えたら、躊躇なくアタックしようと気づかされた。

――はい、頑張ります。あ~!それにしても、残念!

 

 もしかしたら今回の旅行は、実はあの綾瀬はるかさんに似た素敵な女性と出会うために、母とみいちゃんが機会を与えてくれたのではないか?しかし、逃した。情けない。

――せっかくの機会を。お母さんごめんね!チャンスをゲットできなかったよ。

 

 これからは前向きにいく。素敵な女性との出会いを大切に。母も笑って「次だよ次」と言ってくれるに違いない。

――うん、そうだそうだ。ポジティブに切り替えていこう!

 

 チャンスを活かすも活かさないも自分次第。前向きに、前向きに。そう、良い出来事は何でも母に結び付けると、前向きになれる。母の想いに感謝。

――お母さん、ありがとうね。はい!次、頑張ります!