「秀と母」 第五章(最終章)
第122話 静岡へ
毎年八月お盆の時期に母の故郷、静岡へ旅行することが母も僕らも楽しみだった。2010年8月に母と一緒に行ったのが最後となった。
その一年後に母がいなくなるなんて想像もつかなかった。もう一緒に行くことができない寂しさ。だからこそ、初盆は静岡へ行きたい気持ちがいつも以上に強かった。母の生まれ故郷で、母の想いに触れることができる。
――今年も静岡へ行こう。
母を偲んでゆっくり過ごそう。親戚のみんなと楽しく過ごそう。父と兄たちと静岡行きを決めた。
今回の静岡行きにはもう一つの目的があった。納骨のお願いである。
母が亡くなった時、分骨して静岡のお寺に納めてあげたいと考えていた。父と兄たちに話してみると、同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかった。
母の実家の家主である静岡のお兄ちゃんに相談すると、親戚関係に話をしてくれて、皆さんが快く了承して受け入れてもらえることになった。とても嬉しかった。母も喜んでいると感じた。
静岡のお兄ちゃんは僕たち家族を気遣ってくれた。
「納骨はすぐじゃなくていいよ。ゆっくりでいいから。一年後くらいでいいから」
僕はすぐにでも母の故郷に納めてあげたい気持ちでいた。でも、静岡のお兄ちゃんが言ってくれた言葉の意味を、後に分かることになる。
毎朝毎晩、仏壇にお参りをする時、分骨がそこに置かれているだけで、母がまだそこにいるような気持になり心が癒された。もしすぐに静岡へ納骨していたら、きっと寂しい気持ちになっていたことだろう。
一日一日、日々、時が経つことによって、少しずつ気持ちの整理がついていく。寂しさも和らいでいった。
静岡のお兄ちゃんの父である「静岡のおじちゃん」は、母の兄。母より先に亡くなっていた。だから静岡のお兄ちゃんは親を亡くした時の寂しい気持ちをよく分かっていた。僕らが寂しくならないよう気遣ってくれたのだ。静岡のお兄ちゃんの優しさに心から感謝した。
母の実家で過ごす夏の午後。大きな家で風通しがいい。敷居の襖をすべて開けておくと、クーラーがいらないほど風が通り涼しい。外なら尚更、風が通って気持ちがいい。玄関先に出ると、大きな屋根の下になぜかビーチチェアが二つ置いてあった。そこへ横になり、ゆったりと休んでみた。父も一緒に。心地よい風が吹いて、そのまま眠ってしまいそうなほどの気持ちよさ。
視線の先に玄関が見える。今にも戸が開いて、母が出てきそうな雰囲気があった。
「今にもお母さんが出てきそうな雰囲気だよね」
父も笑顔でうなずいた。すると、玄関の戸がガラリと開く。静岡のおばちゃんが出て来た。母が出てきそうだという話をすると、
「チーコちゃんなら『どうしたの?なにやってるの?』と言いそうだね」
何気ない言葉だが、母がこの場にいたら言いそうな言葉だった。さすが母と付き合いが長い。静岡へ来るとこんな時あんな時、「チーコちゃんなら」ああ言いそう、そう言いそうと、親戚のみんなから話を聞けるのが嬉しかった。
母の実家に一晩泊まって翌日は島田市へ。母が大好きだった姉の島田のおばちゃんに会いに行く。毎年、島田の家に母と泊まるのが楽しみだった。島田のおばちゃんに会うだけで癒される。
島田のおばちゃんは母と雰囲気が似ている。さすが姉妹。性格は母は明るく、島田のおばちゃんはおおらか。
みんなで田代の郷温泉「伊太和里の湯」にゆったりと浸かり、夜は島田の家でお手製のごちそうを頂き、お酒を飲んで母の話に花が咲く。泣いて笑って癒された夜。
翌日は母と最期に来た島田博物館の街を歩く。
「ここ来たよね」
一年前、ここに母がいた。楽しかった思い出がよみがえる。母と思い出の場所、木製の休憩所に、島田のおばちゃんと座って一休み。
2010年の8月。母と島田のおばちゃんがここに座って、僕らと待ち合わせていた。僕たち三兄弟と島田のお姉ちゃんたちは二人にドッキリを仕掛けようとした。もし声をかけられても、知らんぷりして通り過ぎようと。
僕らを見つけた母は「おーい。あれ?どうしたんだろ?」と、島田のおばちゃんは「あれ?気づかないのかな?」と話している声を聞いて、僕は笑いを我慢して歩いていたが、母の「あれ?どうしたんだろ?」と真剣に困っている声に我慢できず、吹き出して笑ってしまった。みんなも吹き出して大笑い。
ドッキリの説明をすると母たちも笑った。みんなで笑った楽しい思い出がここにある。母がいない寂しさはあるが、母はみんなの中で生きている。
島田のみんなに静岡駅まで送ってもらい、改札で見送られた時に泣きそうになった。静岡のみんなの優しさが胸にしみる。
母の想いに触れて癒された静岡の旅。
またひとつ、心が落ち着いていく。