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ちょっとだけ“秀でた世界”

マニアックでちょっぴりディープな世界をジョジョに奇妙なお届け♪

「秀と母」 第五章(最終章) 

第126話 2月4日

 

 2012年2月4日

 母の命日。

 前月に一周忌法要を行い、命日となる2月4日は、お寺にて家族だけでお経上げをしてもらえた。あれから一年。もう一年、まだ一年。いまだに母がいなくなった喪失感は大きい。かけがえのない人を失った深い悲しみと寂しさ。

 

 ぽっかり空いた心の穴はそう簡単に埋まらない。まだまだ寂しく、時に泣いてしまうこともあるが、一周忌法要も無事に終わり、命日に家族で集まれたことが嬉しかった。母もきっと喜んでくれている。

 

 お経上げが心に響く。この一年、悲しく寂しい思いをしていた気持ちが癒されていく。少しずつ、少しずつ。深い悲しみは一変には癒されない。薄皮を一枚一枚とはぐように、悲しみが和らいでいく。少しずつ、少しずつ。三歩進んで二歩下がるように。昨日より今日、今日より明日。一歩ずつ前へ。

 

 一年前の葬儀を思い出す。お寺でお経上げの最中に、目に見えない母の「存在」を感じ取ろうとしていた。

 今もしかして住職が座る隣の大きな柱の横に立っているのではないか?目の前のお焼香台のすぐ後ろに座っているのではないか?天井左角の隅に浮いて上からこちらを見ているのではないか?実はすぐ目の前にいるのではないか?と、本堂内のあちらこちらを見渡しては空想した。ふとした瞬間に姿が見えるのではないか?と期待しても見えなかった。

 当時は空想にふけるほど深い悲しみの中にいた。

 

 命日でも、一年前と同じように「今、目の前にいる。俺だけが感じ取っている」なんて、勝手に空想してみる。自分でも分かるが霊感はない。だから何かが見えたり聞こえたりはしないが、それでも母の「存在」を感じ取れているような気がした。

 家族みんなが集まって母を想う。母が喜んでくれていると感じた。それだけでいい。

 

 お経上げが終わり、母が旅立った時刻に家族みんなで黙祷をすることにした。お寺の待合室で待つ間、母への想いを家族で話せて嬉しかった。みんな口には出さないで来たが、この一年、母を想っていた気持ちは同じだった。

 

 時間になり、外に出てその時を待つ。肌寒い冬の夕暮れ。

 17時4分、黙祷。

 

 冬空の下、母を想う。やはり寂しい。涙がこぼれた。でも父と兄たちと一緒にいて寂しさも少し和らいだ。

 

 悲しみは分かち合う。あらためて家族の大切さに気づいた。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第五章(最終章) 

第125話 家族四人の年末年始

 

 母がいない年末年始を初めて過ごす。

 

 2011年12月31日

 大晦日の谷中を歩き、師走の空気を感じながら、母と最後に過ごした一年前を思い出す。あの時は家に電話をしたら母が出てくれて嬉しかった。年末年始を母と過ごせた幸せ。

――よし!お母さんの分もみんなで協力してお正月の準備をしよう!

 

 長兄が群馬から帰ってきて、父と次兄とみんなそろった。毎年家族みんなで作っていた錦玉子は、味付けする母がいないのでもう食べられない。みんなでゆで卵を剥いて裏ごししていた時が懐かしい。でも錦玉子がないと寂しいので生協で買う。

 

 味見をしてみると不味いわけじゃないが、今まで食べてきた味と全然違う。当たり前である。母の作ったサッパリ味の美味しい錦玉子にかなうものはない。こってりしたお節の箸休めで美味しかったのに、もう食べられない寂しさ。でも無い物は仕方ないので売っている物を食べるしかない。

 

 父を中心にお正月の準備は進む。お節料理を重箱へ詰めるのは次兄で、お餅も切ってくれた。僕はお使い担当で、足りない物があるとフットワーク軽く生協へサミットへと買い出しに行く。長兄は家でゆっくりくつろぐ。

 

 男所帯で頑張って、なんとか準備完了。夜は年越しそばを父が作ってくれた。僕だけ年越しうどん。うどんが好きなのです。

 缶ビールで乾杯して、ポテチやカール、ピーナツ入り海苔巻きあられなど、つまみを食べながらお笑いテレビ特番を見る。

 僕と父は基本的に準備や片付けなど家事に忙しい。こういう時に母の気持ちがよく分かる。

――これを今までずっと一人でやっていたのだから大変だ。

 家族思いの母の優しさに感謝した。

 

 毎年、年越しの時間になると家族みんなで近所の八幡神社へ初詣に行く。

 身内で亡くなった人がいる年は、神社の鳥居をくぐらない方がいいと聞いて、神社へ行くと鳥居の外側を通って歩く。

 

 本堂を目指し、階段下から大勢の人が並び、新年を迎えるわくわく感でいっぱいの雰囲気だ。わが家は母がいない寂しさ。母と過ごした年末を思い出し切なくなる。でも家族一緒だと寂しさも紛れて安心する。家族の一体感は大切だ。母も同じ気持ちでいたのだと分かる。

 

 毎年並んでいるうちに年を越してしまう。今回の年明けは「新年の挨拶」をしない。本堂に着くと、お参りして願う。

――今年もよろしくお願いします。どうか母をよろしくお願いします。

 新しい年になり、これからも強く明るく生きていこうと母に想いを届ける祈りを捧げた。気持ちが少しすっきりした。

 

 2012年1月1日

 毎年お正月の朝はゆっくり寝て、朝の十時頃にお節を食べる。小さな茶の間に、こたつと長方形のテーブルをつなげてお節料理を並べる。

 お屠蘇で献杯。お正月特番のお笑い番組を見ながら、お酒を飲んでお節を食べる。母がいない初めてのお正月。やはり母がいないと寂しい。母の特製錦玉子もない。それにしても生協の錦玉子の味は何かが足りない。母が作ってくれた錦玉子は家族への愛情が詰まっていたから美味しかったのだ。あの美味しい錦玉子がもう食べられない。仕方のないことなのだけど、やっぱり寂しい。

 

 お雑煮も今までは母が味付けしてくれた。今回は父が代わりにお雑煮を作ってくれて、母の代わりに僕が味見した。父が作ってくれたお雑煮は美味しかった。母の分まで頑張ってくれた父は偉い。

 仏壇にお雑煮とお節をお供えした。母もご先祖様も喜んでくれていると感じる。

 

 みんなでお雑煮を食べると、これぞお正月という気分になる。

母と過ごしたお正月を思い出して寂しくなる。みんな口には出さないが、母がいなくて寂しいのは一緒だ。僕はすぐ「寂しい」と口に出してしまうけど。

 

 2012年1月3日

 毎年恒例の谷中七福神巡りへ。一年前は母のために、家族みんなで谷中七福神巡りをした。もう母はいないが、それでも母のために、母も一緒にという気持ちで谷中を歩いた。

 谷中を歩くと母のことばかり思い出す。もう母と一緒に谷中を歩くことができなくなり、寂しい気持ちでいっぱいだったが、谷中七福神巡りができて、また少し気持ちが落ち着いた。

 

 家族みんなが健康でお正月を迎えられる幸せ。

 母と一緒にお正月を過ごした幸せ。最後に年末年始を一緒に過ごせて本当に嬉しかった。今年も健康でお正月を迎えられることのありがたさ。母に心から感謝した。

――さっ、明日も洗濯とたくさんの家事が待っている。

 家事に休みはない。僕ら家族のために、休みなしで家事をこなしてきた母を心から尊敬する。

――これからは俺が家事を頑張るよ!お母さんの分までフル回転で!早速、伊達巻が足りなくなったから生協へお使いに行ってきます!

 

 生協では新春くじ引き開催中。年末年始に三千円以上の買い物でくじ引き券が一枚もらえる。くじ引きコーナーに行くと、生協でよく会う同級生の母、通称「ダダパンのおばさん」に声をかけられた。下町気質の元気なおばさんだ。

「秀君、くじ引き券を持ってるの?」

「二枚あります」

「それだけじゃあダメよ!ほら、これあげる」

 くじ引き券をまとめて七枚もくれた。

「いや、そんなにもらえないですよ」

「いいのよ。二枚だけじゃ当たらないから。それ使って!」

「ありがとうございます!」

「当ててね!」

「はい!当てます!」

 ダダパンのおばさんは大きな声で笑いながら去っていく。飾らない優しさにグッときて涙が出そうになった。同級生の母親同士で交流もあり、母が亡くなったことを悲しみ残念がってくれた。生協で会うといつも明るく励ましてくれた。その優しさが嬉しくありがたい。

 

「当てます!」と宣言したにも関わらず、結果はすべてハズレの残念賞。安いお菓子とポケットティッシュをたくさん持って帰った。

――ダダパンのおばさん、すみません!

 一等賞のお米が欲しかったが、そう上手くはいかない。しかし、他のお客さんから「当たりが少ない」と言う意見が多いと聞いた。生協のベテラン女性店員のUさんでさえも「ごめんなさいね。店長に文句言っておくから」と言ってくれた。

 Uさんは母と生協の委員会で交流があり、亡くなったと伝えた時はとても驚いて悲しんでくれた。生協へ買い物に行くたびに、いつも優しく声をかけてくれる。

 

 母のことを知るたくさんの優しい人たち。母の明るく楽しい人柄が誰からも愛され、良い人たちとのご縁を繋いで来たのだと実感する。お正月早々、人の優しさに触れて嬉しくありがたい。

 

 これもすべて母のおかげだ。いなくなっても母の存在を感じて心が温かくなる。

――お母さん、ありがとうね。

 母に心から感謝。

 

 

 

 

 

「秀と母」 第五章(最終章) 

第124話 揚げ餅と富士見坂

 

 秋から冬にかけて寒くなると切なくなった。母がいなくなったこの年は特に寂しく切なかった。

 

 2011年11月の夜。父と二人で巣鴨の大鳥神社酉の市へ。

 一年前は母が病気に打ち勝つように「勝」と書かれたお守りを買いに来たことを思い出す。あの時は母のためにと必死に願掛けをした。そう、昨年までは母が生きていた。巣鴨の酉の市は母とよく一緒に来て、屋台の揚げ餅を食べるのがいつもの楽しみだった。まさか一年後に母がいなくなるなんて想像もつかなかった。

 

 父と二人で母の話をしながら大鳥神社までの道を歩く。賑わう屋台を見ても、華やかな熊手を眺めても心寂しい。お参りした後は、恒例の揚げ餅を父と二人で食べる。いつも隣で一緒に食べていた母がいない寂しさ。

 これからもどこへ行っても、何を食べても母との思い出がよみがえるのだろう。

 

 2011年12月の夕暮れ。谷中を歩く。富士見坂の上から眺める景色を見て、母と来たことを思い出す。

 一人で散歩した時は富士山が見えると、家にいる母にすぐ電話した。

「お母さん、今日は富士山が見えるよ」

「良かったね」

「今から来れば?」

「いいよ。今日はやめておくよ」

「来ればいいのに~!じゃあ、後で写真見せるから。じゃあね」

「気をつけてね」

 何気ない会話を思い出して寂しくなる。

――もっとたくさん話したかったなぁ・・・。

 

 家に電話をしても母はいない。本当に寂しい。しかし、ここへ来ると、谷中を歩くと母との楽しかった思い出がよみがえり癒される。

 

 日が落ちてきた富士見坂。母を想う。遠くの空を眺めながら。