9/28に、旧東海道を歩く旅に行ってきました
今回は、御油宿から二川宿までの東京方面へ
まず、前回の御油宿からスタート
ちなみに、後日取り直した写真が含まれてますので、御朱印の日付や天気が合ってないところがありますけど、あまり気にしないでください![]()
この、御油橋辺りまでが御油宿
前回来た時は、桜が満開だったのに、もう葉も落ちて寂しい景色![]()
御油橋を渡り、旧東海道を歩いて行くと、
すぐ十字路に出ます
ここは、御油の追分という、東海道と姫街道(ひめかいどう)の分岐点
交差点の角には、道標などがありました
姫街道とは、御油宿と見付宿(現在の静岡県磐田市)を結ぶ街道
東海道は、浜名湖の南側を通るルートですが、姫街道は、浜名湖の北側を通るルート
本来は、本坂街道(ほんざかかいどう)と呼んでいたそうですが、なぜ「姫街道」と呼ばれるようになったのか?
前に行った、赤坂宿の大橋屋さんで聞いた話によると、東海道の新居宿(現在の静岡県湖西市)には関所があり、いわゆる「入鉄砲に出女」で、江戸方面から来る女性は厳しい取り締まりがあったそうです
先日、再放送の水戸黄門を見てたら、丁度、新居宿が出てきて、そこでも厳しい取り締まりをしている光景が描かれていまして、服を脱がしたりまでして、取り締まってたそう
そんな新居の関所を通りたくない多くの女性が、浜名湖の北側のルートを通るようになり、そこから姫街道と呼ばれるようになったそうです
いつか姫街道も歩いてみたいですねー![]()
御油の追分からすぐの場所には、大社神社(おおやしろじんじゃ)がありました
大社神社の御朱印
御朱印と一緒に、おせんべいも頂きました
しばらく歩くと、御油一里塚跡がありました
東海道を歩いていると、よくみる秋葉山の石灯籠
一里塚跡を越えると、国道1号線に出ます
で、本当は、橋の左の道へ行くのが正解なんですけど、
現在は道が消滅しちゃってるので、橋を渡って迂回します
橋を渡ると、右に曲がる道が出てくるので、ここから右に曲がって、1号線を離れます
しばらく歩くと、行き止まりになるので、迂回します
T字路を右に曲がると、橋に上がる階段があるので、その手前の道を左
で、また左にすぐ曲がると、スゲー細い道に出ます
一応、歩行者と自転車が通れる標識がありますけど…
雑草だらけ![]()
奥まで進むと、もう歩くの大変なくらいジャングル状態になってました![]()
なんとか歩けたけど、自転車は絶対無理ですね
なんとか反対側に迂回して、旧東海道に戻ってきました
よく見たら、先ほどのT字路を左に曲がると、1号線に出るみたいなので、そっちを通った方がいいかも…
気を取り直して歩きます
しばらくすると、速須佐之男神社(すさのおじんじゃ)がありました
神社の隣に公園があり、ちょっと休憩してると、ポツポツ雨が![]()
まぁ、大した雨でもなかったので、雨宿りもせずに、先を急ぐことに…
途中、伊奈一里塚跡がありました
更に歩いて行くと、迦具土神社(かぐつちじんじゃ)がありまして、
この辺りから、雨が激しくなってきた![]()
しばらく雨宿りさせてもらいました![]()
途中のスーパーで、雨宿りがてら、雨に濡れてちょっと寒かったので、温かい豚キムチスープを買って休憩
体も温まり、小雨になってきたので歩き始めたら、また雨が激しくなってきた!
幸い、また神社が近くにあったので、雨宿りをさせてもらうことにしました
…ってあれ?ここは、ずーっと前に来た事がある、菟足神社(うたりじんじゃ)じゃないか~
で、鳥居をくぐって境内に入ったものの、拝殿まで遠く、そこに着くまで雨が凄く激しくなり、参道の途中にある神輿庫の前で雨宿り
最初はよかったんですけど、どんどん雨が激しくなり、小さい屋根の神輿庫の前では危なくなってきた
参道が川の様になってきたよぉ~![]()
で、鳥居の横にある大きな木の下なら、雨が防げるかも!と、なぜか思って、激しい雨の中を走って行ったら…ズコッ!
足がもつれたのか、思いっきり転んじゃいまして、服は泥でべちゃべちゃ、右腕の関節が痛い、左目の上を石かなんかにぶつけたのか、腫れてちょっと出血してる…
もう、最悪![]()
![]()
結局、大きな木の下でも、激しい雨は防げず、また神輿庫の屋根の下に
どうしようかと思っていたら、境内の中にある家から、おじいちゃん(宮司さんかな?)がこっちに寄ってくる
うわ…勝手に雨宿りしてたから怒られる…と思ったら、「雨宿りしてるんですか?」と聞かれ、「そうです」と答えると、もういらない傘だからと言って、傘をくれました!
おじいちゃんが神様に見えた![]()
何度もお礼をして、菟足神社に参拝
世の中には、良い人がいるもんですね
すごく助かりました!
菟足神社を後にして、先へ進みます
しばらくすると、高橋という橋がありまして、
この高橋には、こんな話があるそうです
昔は、「子だが橋」とも呼ばれていたそうで、先ほど雨宿りさせてもらった菟足神社では、春の大祭で、この街道を歩いて通る若い女性を生贄(いけにえ)にする習慣があったそうです
ある年、向こうから若い女性が歩いて来る…が、よく見ると、自分の子ではないか!「いかにすべきか」と悩んだあげく、「子だが止むを得ん」と言って生贄にして神に奉り、そこから「子だが橋」と呼ばれるようになったそうな…
なんという怖い話![]()
さっきの菟足神社に、そんな怖い習慣があったとは…
可愛いウサギの神輿が置いてあったのにー!
ちなみに、現在では12羽のスズメが贄に替えて神事が執り行われているようです
1000年前の話ならまだしも、現在も行われているんですね![]()
それも怖い話…
高橋を越えた辺りから、豊橋市に入ります
先へ進むと、下地一里塚跡がありました
一里塚を越え、豊川の土手を歩いて行くと、東海道の標識があります
本来は、この辺りから豊川に架かる橋があったそうですが、現在はもちろんありません
少し先の豊橋という橋を渡って迂回します
この豊橋が、現在の豊橋市の名前の由来になってみたいですよ
豊橋を渡って真っすぐ歩いて行き、この交差点を左に曲がり、
この交差点から右に曲がります
すると、門のオブジェのような物がありました
西惣門(にしそうもん)というみたい
ここから、江戸から数えて34番目の宿場、吉田宿に入ります
吉田宿は城下町なので、道がカクカクした枡形になってます
道なりに進むと、本陣跡がありました
現在は、鰻屋さんになってます
昔は、この辺りが最も賑わっていた場所みたい
吉田宿は、豊橋の街中といった感じで、昔の宿場町という感じは全くありませんでした
カクカクした旧東海道を、右に左に曲がって歩いて行くと、東惣門(ひがしそうもん)のオブジェがありました
ということで、吉田宿はここで終わり
【その2】に続く…




































































