4/6は、旧東海道を歩いてきました
今回は東京方面へ向かって、岡崎宿から御油宿までの旅
前回の終了地点、二十七曲りの石碑がある場所からスタート
で、いきなり昔の道がなくなってまして、本当は、ここから斜めに行く道があったみたいですけど、現在は家が建ってるので、迂回します
国道1号線に出ました
しばらく歩くと、東名高速道路の岡崎ICが出てきます
ここから先は、歩行者や自転車は行けないみたいなので、また迂回します
トンネル3つくぐります
そして、また1号線に合流
ちょっと歩いた所に、八幡宮があったので、ちょっと寄ってみました
この八幡宮のある場所から、1号線を外れて、旧道を歩きます
しばらくすると、大平一里塚がありました
また1号線に合流するんですけど、1号線を歩かず、このまま真っすぐ斜め向かいの道に行きます
本当は、このまま真っすぐ行って、橋を渡るんですけど、もう橋は無くなっているので、別の橋を渡ります
ここを左に曲がり、1号線に出るので、
1号線を右に曲がると、現在の橋があります
昔は、この橋のちょっと右にあったらしい
で、橋を渡ってて思ったんですけど、古地図アプリを使うと、昔の橋の位置がわかるんじゃない?と思って、古地図アプリを使ってみた
これが1960~80年頃の地図
分かりやすく、今の位置を赤点にしてあります
進行方向は、下の方へ歩いてます
すでに、今と同じ場所に橋が掛かってる
そして、1900年頃の地図がコチラ
おおーっ!確かに現在地から右側に橋が掛かってる~
この古地図アプリ面白い!
1930年頃までは、この位置に橋があったみたい
1930~60年頃に、現在の橋の位置に移動したんでしょうねー
橋を渡って、すぐ右へ曲がります
すると、すぐ分かれ道になっており、ここを左に曲がって下ります
農道って感じ
真っすぐ歩くと、舗装された道に出るので、左に曲がります
しばらく道なりに進むと、国道1号線と合流します
おっ!道の駅藤川宿まで1キロ!
ずーっと1号線を歩いて行くと、右に曲がる道があるので、ここを右
すると…いよいよ藤川宿!
品川宿から数えて、37番目の宿場町
途中、藤川一里塚跡があります
そして、ここから藤川宿に入ります
周りは、普通の住宅街です
昔の家などが残る街道を歩いて行きます
途中、高札場がありました
本陣跡は、休憩所みたいな場所になってました
途中に、津島神社があったので、ちょっと行ってみようと思ったら…
踏切があって行けないという
この先、目の前に鳥居があるけど、1号線があって向こうに行けない、みたいな神社が結構ありました
藤川宿の東側まで来ると、道がクランク状になってる枡形、ここでは曲手(かねんて)と呼んでるみたいですけど、道がカクカクしてます
東棒鼻という矢印の通りに進みます
すると、藤川宿の江戸側の入り口に着きました
さっきの東棒鼻という名前、実はコレのこと
「従是西 藤川宿」とかいてある棒
これが棒鼻というそうです
そして、歌川広重が書いた浮世絵が、この場所の東棒鼻を描いてます
藤川宿を後にして、旧東海道を進みます
50メートルほど歩くと、1号線に合流
奥に、名鉄の電車が見える
ここから、しばらく1号線を歩いて行きます
そして、この舞木町西という交差点を左へ曲がって、1号線から外れて行く…んだけど、この交差点の右を見ると、
なんか、遠くに大きい石燈籠が見える!
なになに~と思って近づいて見ると、近くから見ても、やっぱ大きい
で、やっぱりというか、ここを右に曲がると、神社がありました
山中八幡宮(やまなかはちまんぐう)という神社
ちょっと散策…
奥宮があるみたいなので行ってみると…あれ?
お社じゃなくて、木が植えられてる
こういう奥宮ってあるんですね
そして、この山中八幡宮には、鳩ヶ窟という穴があるそうで、ちょっと行ってみます
徳川家康公御開運の鳩ヶ窟…と書いてある
どんどん進むと、ありました~!
この鳩ヶ窟、三河一向一揆で門徒に追われた家康が、この鳩ヶ窟に身を隠して、難を逃れた…という洞窟
こんな場所があったんですねー
山中八幡宮をあとにして、先ほどの交差点に戻り、左へ曲がり、しばらくすると、1号線に合流します
1号線をしばらく歩いて行くと、松の木が見える
交差点を渡ると、本宿という間の宿(あいのしゅく)へ入ります
間の宿とは、宿場と宿場の間にある、お土産屋さんとか休憩所があった所で、旅籠を置く事は禁止されてたそうですが…実際は旅籠があったみたいです
元々、法蔵寺(ほうぞうじ)というお寺の門前町として栄えてた場所らしい
しばらく歩くと、本宿一里塚跡がありました
途中、欣浄寺(ごんじょうじ)というお寺の裏山が、桜山という名前だというのを見て、ちょっと寄ってみました
桜山山頂まで100m!
で、あっという間に到着
桜山山頂からの景色がコチラ
おいおい、全然桜が咲いてないじゃないか~
まだ早かったっぽい
山頂からちょっと下った辺りは桜が咲いてました彡
そして、先ほどもちょっと触れた法蔵寺
この法蔵寺というお寺、なんと、徳川家康が小さい頃、このお寺で漢籍を学んだ場所
で、ずーっと説明を読んでいくと…新選組で有名な、近藤勇の首塚も祀られています!?
これは見て行かないと!
はい、こちらが新選組で有名な、近藤勇の首塚です
近藤勇の像がこっちを見てて、ちょっと怖い
なぜ、徳川家康ゆかりのお寺に、近藤勇の首塚があるのかというと…
『新撰組局長の近藤勇は明治元年、東京板橋で斬首。京都三条大橋西に晒された首を同士が持出し、近藤が生前敬慕していた京都誓願寺住職に託した後、住職が転任した法蔵寺に運ばれた。当初は石碑を土で覆いひっそりと弔ったといわれている。』【西三河ぐるっとナビHPより】
近くには、松平家霊廟と三方ヶ原合戦忠死者のお墓がありました
法蔵寺から出ると、表に変な形のベンチが置いてある
なんか、団子みたい…と思ったら、やっぱり団子をモチーフにしたベンチでした
昔、法蔵寺の向かいにある茶屋で売られていた団子が、法蔵寺団子と呼ばれるようになったそうです
現在は、そのお茶屋さんはありませんが、道の駅藤川宿で食べられるという事で、食べに行ってきました
こちらのお店で法蔵寺団子が買えます
で、法蔵寺団子がコチラ
ちょっと平べったくなってる団子を、たまり醤油に付けて焼いてある
香ばしくて、めっちゃ美味しい!
団子も柔らかい
法蔵寺をあとにして、しばらく歩くと、1号線と合流します
ここで、向こう側から、ひげを生やして、リュックを背負ったおじいちゃんが歩いてくる…
明らかに、東海道を歩いてるんだな~ってうのがわかる
すると、おじいちゃんが話しかけてきた
「東海道はあっちですか?」
と聞かれたので、「そうですよ」と答え、いろいろ話をしたら、おじいちゃんは、日本橋から野宿をしながらここまで歩いてきたそうです
スゴイおじいちゃんですねー
おじいちゃんと別れ、先へ進むと、門跡があります
ということで、本宿はここで終了
そして…
いよいよ豊川市に入ったー
【その2】へ続く…