2/10は、旧東海道を歩いてきました
前回、関宿から土山宿まで歩いて、その第二弾!
前回からの続きで、土山宿から京都方面に行ってもよかったんですけど、とりあえず近場から歩いて行こうかと思って、今回は宮宿から池鯉鮒宿まで行く事にしました
っていうか、池鯉鮒ってなんて読むの?って思いません?
池鯉鮒ってどこなんだろ?と思って調べたら、これで『ちりう』と読むそうで、現在の知立市
『ちりう』が『ちりゅう』になったみたいですけど、なぜこの地名になったのかは、また後で…
まず、早朝に家を出て、向かったのが七里の渡し
昔は、ここから船に乗って三重県の桑名宿まで行ってたそうで、愛知県の西側の陸路はここまで
という事で、今回はここからスタートして東へ進みます![]()
現在も残ってる船着き場
現在の宮宿は、普通の住宅街
七里の渡しから10分くらい歩いた所に、道標があります
東海道を歩いて来た人は、船で桑名まで行くか、陸路で佐屋街道という別の陸路で西に向かってたみたいです
ここは、東海道と佐屋街道の分岐点
ちなみに、ここから熱田神宮が見える(奥の森みたいなとこ)んですけど、歩道橋を渡って行かないといけなく、遠回りになっちゃうので、今回は参拝せず、旧東海道を先に進みます
ここから、東の江戸方面に向かって進みますよ~![]()
![]()
しばらく進むと、大きな通りに出ます
ホントはここを直進したいんですけど、現在は無理なので、伝馬町の交差点まで、ちょっと迂回
旧東海度に戻り、先へ進みます
すると、すぐに鈴之御前社(れいのみまえしゃ)という神社がありました
御祭神は、天鈿女命(アメノウズメノミコト)
熱田神宮の末社で、東海道を往来してする旅人は、ここで身を清め、お祓いを受けてから熱田神宮へ参拝するという習わしだったそうです
しばらく歩くと、何かある![]()
裁断橋址と書いてある
昔は、この辺りに川が流れていたそうで、その川に架かってた橋が裁断橋という名前だったそうです
宮宿の東のはずれにあったみたいなので、ここら辺まで宮宿だったんですね
他に、都々逸発祥之地と書かれた石碑がありました
所々、道路にこんな感じで、『ここは東海道です』みたいな目印がありました
しばらくすると、伝馬町の一里塚がありました
一里塚とは、一里(約4キロ)ごとに、道中の旅人の目印になるような塚の事
大体、大きな木が植えられてますね
線路を渡り、先へ行くと、
トヨトミの本社があります
雪国出身なんで、トヨトミのストーブとか、すごく身近なメーカーでしたけど、名古屋に来るまで、トヨトミという社名は、別にそういう会社の名前なんだ…くらいしか思ってなかったんですど、この看板を見て、トヨトミって、豊臣秀吉の豊臣って書くんだ!って驚きました![]()
![]()
愛知県で豊臣と言ったら、やっぱり豊臣秀吉から取ったんだろうなーと思って、ウキペディアを見たら、『豊田に臣下を尽くす』という理由みたいですけど、他にも、豊臣秀吉の名前も理由になってるみたい
そんなトヨトミ本社の横を抜け、パロマの本社がある交差点で、国道1号線に合流します
でも、1号線に合流したと思ったら、すぐに外れちゃいます
この交差点を右に曲がると1号線で、これから行く知立方面
だけど、旧東海道は真っすぐの道
歩道橋を使って、1号線の上を渡って行きます
歩道橋から降りてきて、この道を歩いて行きます
所々に、東海道の文字
しばらく歩くと、熊野三社(くまのさんしゃ)という神社がありました
御祭神は、伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・事解之男命(コトサカノヲノミコト)・熊野速玉命(クマノハヤタマノミコト)
由緒書には、伊邪那美命の名前も書いてありますけど、氏子さんの話だと、現在は伊邪那岐命だけなんじゃないか?という話になってるそうです
境内をウロウロしてたら、話し好きそうな氏子さんが色々教えてくれました
これを絶対見て行って!と言われたのが、この古そうな手水鉢
昔は、この辺一帯が島になっており、白砂の景勝地で、松巨嶋(まつこじま)と呼ばれていたそうです
熊野三社の御朱印
本当は400円を納めて、後日郵送というシステムなんですけど、この日は偶然にも、「今いいですよ」ということで、その場で頂きました
熊野三社を後にして、旧東海道に戻ります
しばらく道なりに進むと、道標がありました
『東かさでら』と書いてあるので、この交差点から左に曲がります
名鉄の踏切があり、
しばらくすると、笠寺観音(かさでらかんのん)がありました
笠寺観音は、名古屋ではかなり有名なお寺
この前を何度も通った事がありますけど、中に入るのは初めて!
結構大きいお寺なんですね![]()
お寺を後にして、脇の細い道を歩いて行きます
この道、細いわりに交通量が多いので注意![]()
道なりに進むと、笠寺の一里塚がありました
って事は、伝馬町の一里塚から4キロも歩いて来たってこと
結構、あっという間
そして、天白川を渡り、
橋を渡ってすぐの交差点を右に進みます
真っすぐ行くと、大きな通りに出ます
ちょっと分かりづらいけど、この道を横断して、向こう側の右斜めの道へ進みます
すると、常夜灯がありました
ここから鳴海宿に入るみたい
西の端っこにある常夜灯
鳴海宿も、現在は普通の住宅街になってます
鳴海宿に入って、すぐに成海神社(なるみじんじゃ)の社号標がありました
ちょと成海神社に行ってみる事に…
旧東海道から歩いてくると、裏参道っぽい
表参道から入ると、大きな鳥居があります
現在は鳴海と書きますけど、昔は成海だったんですねー
成海神社に来るのは、3回目かな?
この神社にはちょっと思い出がありまして…
一眼のデジカメを買った当時、この成海神社の手水鉢を撮ったら、すげー綺麗に撮れたんです
で、そこから、神社の手水鉢をカッコよく綺麗に撮ってみよーって思って、そこから、神社の手水鉢の写真を撮るようになった…という話
ちなみに、今回撮った手水鉢
デジカメじゃないから、イマイチしっくりくる写真じゃないな~
前回のレポートに、上手く撮れた手水鉢の写真があるので、よかったら見てみてください![]()
だるま塚のだるま達![]()
スマホのポートレート機能を使ってぼかしてみた![]()
![]()
再び旧東海道に戻って、オートバックスのある交差点を真っすぐ
道なりに進むと、道が分かれているので、ここを左
すると、鳴海宿の本陣跡がありました
本陣とは、身分の高い人が泊まる宿
現在は、山車庫になってるのかな?
東海道中膝栗毛の弥次さんと喜多さん![]()
真っすぐ歩いて行くと、こんな交差点に出ます
旧東海道は、この交差点を真っすぐなんですけど、左手を見たら、神社っぽいのが見える![]()
ちょっと道をそれて、左に曲がります
すると、途中に高札場を復元した場所がありました
高札場とは、いろんなお知らせ事などが書いてある場所
そして、すぐ隣に天神社(てんじんしゃ)がありました
成海神社の御旅所になってるみたいです
他に、鳴海城址の石碑
昔はここに、お城があったんですね
天神社をあとにして、旧東海道に戻り、しばらく歩いて川を渡ります
飛脚と女性が掘られた岩
そして、交差点の角に常夜灯がありました
ここが鳴海宿の東の入り口という事で、この辺りで鳴海宿が終わり
交差点を渡り、真っすぐ歩いて行きます
すると、左手に神明社(しんめいしゃ)の社号標を発見![]()
階段を上がると…なに~!
何気に来た神社が元伊勢だったとは![]()
結構、こじんまりとした元伊勢の神明社でした
この神明社のすぐ近くに、仁位殿社(にいどのしゃ)の社号標があったので、ちょっと行ってみた
元々、二位殿塚(にいどのつか)という塚で、お墓だった場所みたいです
旧東海道に戻り、先へ進みます
途中、名鉄の踏切があり、踏切を渡ると、
有松の一里塚がありました
ここから有松に入ります
有松といえば、有松絞りが有名
町全体が、昔ながらの町並みになってて、良い雰囲気![]()
左手に、有松天満社があるんですけど、
踏切を渡って、山を登らないといけないので、今回は参拝せず![]()
有松天満社のレポートはコチラ
途中に、岡家住宅があり、中を見せてもらいました
見学は無料です
有松絞りの工程の展示
家の梁がスゴイ!
2階が左右で段違いになってるので、階段は別々らしい
昔はここで、大きな広間で対面商売をしてたそう
そして、岡家の見学をしていたら、団体客がぞろぞろと…
どうやら、俺と同じ、旧東海道を歩くツアーみたい
20人くらいですかね?
添乗員の方と地元の人が話してるのが聞こえて、「歩いて東京まで行くの!?
」ってビックリしてましたけど、俺もそのうち東京まで歩いて行きますよー
しばらく歩いて行くと、歌川広重が描いた、鳴海宿の絵の場所がありました
浮世絵に書いてある店が、この写真のお店で、現在も残っています
井桁屋さんという、有松絞りのお店
っていうか、ここは有松なのに、鳴海宿の絵って…どういう事?
【その2】へ続く…













































































































